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  作者: Yonohitomi
一章
45/166

48.鬼の部屋、人の部屋


蓮次は耀の後をついていく。


屋敷の中は広すぎて、歩いても歩いても同じ景色が続くように思えた。襖の奥にどれほどの空間が隠れているのか、見当もつかない。


ただ、歩くたびに鬼たちの気配が途切れず張り詰めており、まるでこの屋敷そのものが巨大な鬼の体内のようだった。


耀は一度も振り返らなかった。蓮次もまた、言葉を発さず、ただ無言でついていく。



やがて、ある部屋の前で耀が足を止めた。



「こちらです」



短くそう言って、耀は襖に手をかける。



──途端に、蓮次の喉が強く締めつけられた。



開かれた襖の奥から、圧倒的な気配が流れ出てきたからだ。


陰気とは違う。妖や異形のようなものでもない。

形のない霊魂や念とも違う。



それは── 鬼そのものだった。



蓮次は目を見開いた。



這い出してくる。



目には見えない。けれど、部屋の奥に巣食う 何か が、ずるりと蠢きながら、引きずるようにして這い寄ってくるのが分かった。



心臓が潰れそうなほどに脈打つ。



逃げなければ!!



視界が揺れ、崩れるように廊下に尻餅をついた。


冷えた空気が肌を撫でる。胸の奥に張り付くような重みが増していく。

逃げようとするほど、まるで見えない腕に捕まえられたように。呼吸さえ奪われる。



「──っ……!」



声が出ない。

喉の奥が震えている。口を開こうとしても、言葉にならなかった。



これは、ここにいた者の遺した 気 だ。

恐ろしいほどの重圧。



誰かが、長い時間をかけてここで過ごし、何かを抱え、何かに耐え、何かに押し潰されそうになりながら、じっと…… 生きていた。



──これは……!



蓮次の心臓が悲鳴を上げる。



酷い孤独の闇。

生半可なものではない。



この部屋に満ちているのは “鬼”の孤独 だ。



鬼でなければ、この部屋で生きられない。

鬼でなければ、この部屋に耐えられない。



「嫌だ……っ」



小さく震える声が、唇から零れた。


蓮次は両手で自分の腕を掴む。体が、まともに動かない。冷たい恐怖が背筋を駆け上がり、喉の奥から吐き気がこみ上げる。



「嫌だ……嫌だ!!」



この部屋には、入ってはいけない。

ここに足を踏み入れたら 自分はもう戻れなくなる。



この恐ろしい気配は──


この凍てつく孤独は──



「嫌だ……やめろ……来るな……来るな!!」


「蓮次様!」



耀の手が、蓮次の肩に触れ、体がびくりと跳ねた。



「落ち着いてください、蓮次様」



耀の声が耳に届く。けれど、蓮次の震えは止まらなかった。喉が詰まり、息が上手く吸えない。



──違う、これは違うんだ。


これはただの恐怖じゃない。


本能的な拒絶。



ここに入ったら、もう…… 戻れなくなる。






「烈炎!烈炎! いるか!?烈炎!!」



耀が慌てて叫んだ。


次の瞬間、風のような気配が廊下を駆け抜けた。



「おう……なんだ?」



烈炎は蓮次を見て、すぐに状況を把握した。

しっかりしろ、と蓮次の肩を支えて声をかける。


蓮次は咄嗟に烈炎の腕を掴んでいた。



──どうしてこんなに怖い?

──どうしてこんなに、嫌だと思う?



分からない。

分からないけれど、ここだけは駄目だ。

この部屋に入ってしまったら、自分は滅びる。






「耀」


低く響く声。全てを断ち切ったその声は──


朱炎だ。



耀が何かを言おうとするよりも早く、朱炎が言葉を紡ぐ。



「紅葉の部屋へ連れて行け」



耀は一瞬息を呑んだが、すぐに「かしこまりました」と頭を下げた。



蓮次はまだ震えている。



「おい、蓮次!立てるか?」


「蓮次様…」



呼吸は荒く、乱れたままだ。






朱炎は目を細め、静かに周囲に目を向けた。


そして、朱炎がひとつの影に視点を定める。



「黒訝」



声には、怒気が滲んでいた。



「お前は私の部屋に来い」



闇の中に潜んでいた気配がゆっくりと揺れる。

その影はすっと移動し、そのまま消えた。



朱炎は一瞬だけ門の方を見やった後、何も言わずに背を向け、去って行った。






あまりにも恐ろしい、気色の悪い体験をした。

さっきのは一体何だ。



蓮次は烈炎に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。


足取りはおぼつかない。それでも、先ほどの圧倒的な恐怖からは少しだけ解放され、ようやく周囲の景色が目に入るようになっていた。


屋敷の廊下は長く、静かだった。


風の通り抜ける音すらなく、ただ鬼たちの住まう場所特有の澄んだ冷たさが漂っている。


やがて、耀が立ち止まり、ある襖の前に手をかけた。



「こちらです」



そう言って襖を引くと、先ほどの部屋とはまるで異なる空気が蓮次を包んだ。



温かい──。



不意に蓮次の肩から力が抜けた。


烈炎の腕から自然と離れ、吸い寄せられるように中へ踏み入る。


耀と烈炎が驚いたような声で名を呼ぶのが聞こえてきたが、蓮次は彼らの反応を気にする余裕もなく、ただ部屋の空気に意識を向けた。


部屋の中に置かれた家具に、そっと触れてみる。



──やはり、温かい。



畳の上に敷かれた敷物、木の机、調度品のひとつひとつが、どれも柔らかく、穏やかだった。


先ほどの部屋とは全く異なる気配。

包み込むような温もり。


蓮次は、静かに息を吐く。



──思い出せそうだ。



そう思った瞬間、蓮次の心の奥に、何かがかすかに触れた。



何か、ある。


いや──居る?



蓮次は無意識に、部屋の奥を見つめた。


何があるのか分からない。けれど、確かに何かを感じる。


胸の奥がざわつく。



蓮次は、まるで導かれるように、奥の襖へと向かった。

無意識に歩を進め、気づけば襖に手をかけていた。


勢いよく襖を開け放つ。


すると、部屋の奥に畳まれた布団が目に飛び込んできた。



蓮次は思わず息をのんだ。


足が、勝手に動く。



──この布団は。



恐る恐る手を伸ばし、指先でそっと触れた。



「……温かい……」



気づけばその場に座り込み、布団を抱き寄せるようにして身を預けていた。



会ったことはない。


それでも、分かる。




ここには、きっと──母がいた。





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