52.馴染む朱、滲む赫
力の抜けた身体は朱炎の手によって起こされる。
触れられた瞬間、熱が流れ込み始めた。鋭く、荒々しい鬼の力。
蓮次の体内を暴れるように巡り、空っぽだった内側を満たしていく。
冷え切った炉に火が灯るように、失われていた感覚がじわりと蘇る。
焼けつくような熱に確かな力があり、蓮次はわずかに息を吐いた。
だが、すぐにその強さは限界を超えた。
痛みが走る。全身が軋み、膨れ上がる力に耐えきれず、蓮次は息を詰めた。喉がひとりでに震える。
――苦しい。
圧倒的な力に押しつぶされそうになり、蓮次は思わず声を上げる。
「ぁあ!」
「声を出すな」
朱炎の低い声が落ちた。
蓮次の身体は一度びくりと震えたが、苦痛は消えない。呻きを押し殺しながら、渦巻く力に必死で耐えた。
「……っ……苦し……もう……」
「耐えろ」
「……っ……!」
蓮次は身を捩らせる。だが、朱炎は容赦なく力を与え続けた。
ふと目を向けた先。迷いのない眼差し。
蓮次がどれほど苦しもうと、止めるつもりはない、と。限界を超えろとでも言うように。
蓮次は歯を食いしばった。
身体は悲鳴を上げているのに、どこかで納得している。
少しずつ、高みに近づいている。
この力を受け入れることに、慣れようとしていた。
爪が食い込むほど拳を握りしめている。
熱に焼かれるような痛みが全身を貫き、頭の奥が軋み、喉の奥から嗚咽が漏れそうになる。
蓮次は限界を訴えるように、朱炎の手を押し退けようとした。
すると、流れ込んでいた力がふと止んだ。
力の抜けた身体を床に横たえられる。
喉の奥で微かに息を吐いた。
「動けなくなる前に私の元へ来い、いいな」
そう言い残し、朱炎は部屋を出ていった。
張り詰めていた空気が和らぎ、静寂が降りる。
ほどなくして再び襖が開き、静かな足音と共に誰かが部屋に現れた。
「失礼いたします」
落ち着いた声音。
耀だ。
ぼんやりとした意識の中で、蓮次は視線だけを向ける。耀は手際よく布団を敷き、蓮次の身体を改めて布団に横たえた。
「少し、よろしいですか」
問いかけるような声。
何が、とは言わない。蓮次はすでに、問いの意味を考える余裕もなかった。疲れ切っており、声を出すのが億劫だった。
耀はそれを拒否ではないと判断したのか、静かに壺のようなものを取り出した。そして、蓮次の腕をそっと掴む。
その仕草には迷いがない。
耀の爪がすっと伸びた。
「……?」
かすれた声が喉から漏れると同時に、鋭い痛みが走った。
耀の爪が蓮次の肉を裂いたのだ。
血が、温かい感触を伴って流れ出る。耀はそれを手元の壺に溜め始めた。
蓮次の眉がわずかに寄る。だが、傷はすぐに塞がる。鬼の体ゆえに。
「蓮次様」
耀の静かな声が耳に届く。
「傷をすぐに塞がず、少し耐えてください」
蓮次は思わず耀を見た。
「……は?」
耐えろとはどういうことだ。鬼の身体は自然に回復する。それを止めるなど考えたこともない。
「押し広げるように……」
耀は淡々と言うが、意味が分からない。
仕方なく、蓮次は言われた通りに傷に意識を集中した。
「はい、その調子で。しばらく耐えてください」
「……」
傷口からじわじわと血が滲み出し、肌にまとわりつく感覚が妙に生々しい。
搾り出すように血を集めている。何のためだろうか。
蓮次の中に、不快な違和感が生まれた。
「一体……何のために?」
「蓮次様の体調を知るためです」
その言葉に、蓮次はふっと口元を緩めた。
「嘘だ……」
一瞬、間があった。
「耀……だったかな」
自分の声がいつもより低いのがわかる。
「お前は……嘘をつくのが下手だな」
沈黙が落ちた。
耀は表情を変えずに作業を続けたが、その手の動きはどこか慎重になったように見えた。
壺に血が十分に溜まる頃には、蓮次は意識は曖昧になっていた。
傷の再生を意識的に止めることはできていたものの、今度は疲労のせいで塞ぐことができなくなっている。
「治癒の術をかけます」
低く、静かな声。蓮次は何も答えない。
ほんのりと温かみを感じたかと思うと傷はすぐさま塞がり、痛みは消えた。その後、ひんやりとした感覚が部分的に残っている。
大した痛みではなかったが、やっと体の緊張が解れた。
蓮次が大きく息を吐き出すと、耀の手がそっと蓮次の目元に置かれた。
柔らかな温もりを感じた。心地よいものだった。
鬼の力とは異なる静かで穏やかな癒し。
蓮次のまぶたが自然と落ちてゆく。
眠りに落ちる寸前、かすかな気配の揺らぎを感じた。それは霧のように薄れ、蓮次の意識は闇へと沈んでいった。
静寂に包まれた部屋の外。
障子の向こうで「影」が揺れる。
じっと様子を伺うように。影に「影」を滲ませる者がいた。




