47.影になる者
門の影に潜むようにして、黒訝はじっと前を見つめていた。
朱炎が帰ってくる。それだけならいつものことだが、今日は違う。
──あの人間を連れて戻ってくるのだ。
長い旅に出た朱炎が、あろうことか人間を連れ歩いている。そのこと自体が、黒訝にとっては到底受け入れがたいことだった。
なぜ父上が人間などに執着する?
耀も烈炎も、なぜあの半端者に期待する?
黒訝は唇を噛んだ。
あの人間のことはよく知らない。
ただ、朱炎の元に連れてこられ、毎日毎日鬼の力を押し込まれ、死にかけながらも生き延びている。
そんな噂を耳にしていた。そして実際に見に行ったこともある。
その時の印象は最悪だった。
歯を食いしばり、苦痛に歪んだ顔。
力を受け入れず、ただ耐えるだけの弱い姿。
見ていて苛立ちしかなかった。
「半端者め」
思わず吐き捨てた言葉だ。
そんなヤツが、なぜ今も生きている?
黒訝は拳を握りしめた。
自分こそが朱炎の息子であり、一族の未来を背負う者だ。
なのに、朱炎はなぜかあの人間に目を向ける。
焦りと苛立ちを押し殺しながら、黒訝は門の影から顔をのぞかせた。
黒訝はゆっくりと目を閉じる。
影に溶けろ。
形をなくせ。
身体の輪郭が、闇の中に染み込むように薄れていく。
己の存在を、空間の一部に紛れ込ませる。
それはただ気配を殺すのとは違う。
何かの影になり、視界の端にも映らなくなる。
これが黒訝の持つ特殊な力だ。
朱炎すら、この力を使った黒訝を即座には見つけられない。
まして、蓮次ごときに察知できるはずがない。
──俺は、ここにはいない。
そう、自分に言い聞かせながら、じっと様子を窺った。
朱炎が戻ってくる。
そして、その横には──
蓮次。
黒訝は息を飲んだ。
蓮次は堂々と歩いていた。
以前見た、弱々しく、苦痛に歪んでいた姿とはまるで違う。
まるで別人のように、肩の力を抜き、静かに、しかし威圧感を纏っている。
鬼らしさすら感じる。
そんなはずはない、と黒訝は思った。
だが、目の前にいる蓮次は──
まるで生まれながらの鬼のように見えた。
「……っ」
黒訝は無意識に爪を立てた。
周囲の鬼たちが、朱炎に頭を下げる。
そして蓮次にも。
誰一人として逆らわず、自然と頭を下げた。
黒訝の喉がひりついた。
なぜだ?
なぜ、誰も何も言わない?
なぜ、皆が頭を下げている?
半端者だったはずの人間が、ここまでの風格を纏うことができるのか?
黒訝は必死に冷静を保とうとしたが、胸の内側から焦りがせり上がってくる。
まさか、本当に──
「……あいつ……鬼になったのか?」
自分でも無意識に呟いていた。
朱炎の隣に並ぶ蓮次を、黒訝は睨みつけた。
蓮次は、気づいていない。
だが、黒訝はもう分かってしまった。
この人間は──
もしかすると、自分よりも朱炎に近い存在になってしまう。
胸の奥が熱く、そして真っ黒に染まっていく。




