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  作者: Yonohitomi
一章
42/166

45.鬼になるか



夕暮れ時、朱炎が戻ってきた。

朱炎は廃屋の外に佇み、じっと待っているようだったが、蓮次はすぐに動かなかった。


じきに朱炎は中へ入ってきた。


蓮次は静かに正座し、深い沈黙の中で思考を巡らせていた。

沈黙のまま、ぽつりと告げる。



「夢を見た」



朱炎は何も言わなかった。



「拷問される夢だった……人間に……」



そう、鬼ではなく、人間に――。


夢のはずなのに、生々しい痛みと悲しみが、今も胸の奥にへばりついて離れない。

あの光景がただの夢だったのか、それとも何かの記憶だったのか。



朱炎は依然として黙っていた。



蓮次は朱炎の方を見れなかった。どうせ、自分を見ていないのだろうと思えたからだ。

朱炎の目に映っているのは、いつも自分ではない、別の誰か。

なぜかわからないが、蓮次はその者に嫉妬のような感情を覚えていた。だが、どうすることもできない。



やがて、朱炎が静かに口を開いた。



「行くぞ」



それだけ言い残し、外へ出ていく。

付いていくしかない。蓮次は立ち上がり、朱炎の背を追った。




森の中は静かだった。異形が襲ってくることもなく、月の光が淡く森の道を照らしていた。


ふいに蓮次の胸に痛みが走る。

夢の記憶が呼び覚まされるような、焼けつくような痛み。


だが、脚を止めることはしない。ただ前を行く朱炎を追う。


やがて森の開けた場所に出たとき――蓮次の足が止まった。



目の前に広がるのは、見覚えのある光景。



――この処刑台。


夢で見たものと、まったく同じだ。



蓮次の全身に鳥肌が立った。呼吸が乱れる。

胸に激痛が走った。まるで体の中心に衝撃が落ちるような痛み。

崩れ落ち、蹲った。

体の震えが止まらない。


あの夢が、夢ではなく記憶として鮮明に蘇る気がした。

頭痛も激しくなり、息ができない。



その時。



『助けに……こないでください……』



頭の中に響く声。


誰が、誰に向けて言った言葉なのか、わからない。



――これは、罰だ。



それもまた、どこから来た言葉なのか、はっきりとしないまま、胸を締めつけてくる。





しばらくして、ぽつりぽつりと雨が降り始める。

カサリ、と衣擦れの音がして、朱炎が動いたのがわかった。


蓮次は顔を上げた。


やはり、そこにはあの処刑台がある。


森の中にひっそりと佇むその台は、長い時を経てなお、静かにそこにあった。

黒ずんだ木の柱には深く刻まれた傷跡が無数に走り、濡れた苔が絡みついている。

朽ちかけた縄が垂れ下がり、風に揺れて軋む音を立てていた。


空を覆う厚い雲から、しとしとと降り注ぐ雨粒は、次第に細かく、強くなる。

髪に絡みついた滴が伝い落ち、頬を濡らしていく。


遠くで雷鳴が低く響いた。


雨音に混じって、何かが遠のいていく。

けれどすぐに引き戻されるような不思議な感覚に囚われていた。



「落ち着いたか?」



感情の読めない、低く静かな声がした。


蓮次がゆっくりと顔を上げ、朱炎を見た。

その時、朱炎の目は僅かに見開かれたようだった。


頬は雨に濡れていて、それが涙のように流れているかもしれなかった。

見開かれたかと思われた赤い瞳には、もう何の感情もうつしておらず、ただ冷たく、静かだ。


蓮次は言葉を探している。



「……鬼になるとか、ならないとか、もうどうでもよくなった……」



朱炎は黙ったまま、ただ蓮次を見据えていた。

その眼差しに、蓮次はまたひどく孤独を感じた。『どうでもよくなった』という言葉を、打ち消すしかなかった。



「人でありたいとも思わない」



朱炎の表情は変わらない。

ただ、次に口を開いたとき、その声は鬼そのものだった。



「そうか。……ならばここで死ぬか」



容赦のない言葉だ。

蓮次の胸に、名も知らぬ悲しみが込み上げてくる。



どうして、そんなことを言うのだろう、この鬼は。



どこからか分からない感情が胸を締め付ける。



――違う、手を差し伸べてほしかった。

自分のものではないような感覚も襲ってくる。


悪夢を見て混乱し、処刑台を見て打ちひしがれているのに。

追い討ちをかけるように、朱炎の冷たい声が響く。



「鬼になれ」



単なる命令ではない事はわかった。


しかし、鬼になること、それが答えになるのか?


蓮次は自分の中で迷いを感じる。

否応なく迫られる選択の前で、心が震えていた。


自分が鬼になることで、何かが変わるのだろうか。


蓮次は何も言えず、ただ静かに、目を伏せるしかなかった。


答えられない。


代わりに、ひと呼吸おいてから、ゆっくりと立ち上がった。

その反応に応じるように、朱炎が静かに口を開く。



「行くぞ」



蓮次は小さく、



「……はい」



と答えた。




次の瞬間、朱炎の姿がかき消えた。

それが何を意味するのか、蓮次はすぐに理解した。



――高速移動で帰る。



瞬間移動を繰り返しながら進む朱炎の背を、懸命に追った。

来るときには瞬間移動すら思うようにできなかったはずなのに。


今の蓮次は、朱炎の速度に食らいつくようにして、ついていくことができた。



足元の木々が一瞬で過ぎ去り、暗い森の中を駆け抜ける。

目の前の風景が一瞬で変わり、霧深い森が突然現れ、またすぐにその景色が背後に消えていく。


呼吸も追いつかず、ただただ朱炎の後ろ姿を追い続けた。

ざわめきと静けさが瞬間的に交錯し、次々に訪れる。

蓮次はそれに合わせて体を動かし、反射的に次の移動に備えていく。



鬼のような速さで進んでいる自分に、少しだけ驚く。


ああ、もう鬼かもしれない。



だが、余計な事を考えている場合ではなかった。


朱炎の背を見失わないよう意識を戻し、その背中を追う事に集中した。





そして、夜明け前。


二人が辿り着いたのは――




朱炎の、朱炎一族の住む山だった。







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