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  作者: Yonohitomi
一章
41/177

48.鬼の部屋、人の部屋



 蓮次は耀の後をついていく。


 屋敷の中は広すぎて、歩いても歩いても同じ景色が続くように思えた。襖の奥にどれほどの空間が隠れているのか、見当もつかない。


 ただ、歩くたびに鬼たちの気配が途切れず張り詰めており、まるでこの屋敷そのものが巨大な鬼の体内のように思えた。


 耀は一度も振り返らなかった。蓮次もまた、言葉を発さず、ただ無言でついていく。


 やがて、ある部屋の前で耀が足を止めた。


「こちらです」


 短くそう言って、耀は襖に手をかける。


 途端に、蓮次の喉が強く締めつけられた。


 開かれた襖の奥から、圧倒的な気配が流れ出てきたからだ。陰気とは違う。妖や異形のようなものでもない。形のない霊魂や念とも違う。


 それは──「鬼」そのものだった。


 蓮次は目を見開いた。

 這い出してくる。

 目には見えない。けれど部屋の奥に巣食う何かが、ずるりと蠢きながら、

 引きずるようにして這い寄ってくるのが分かった。


 心臓が潰れそうなほどに脈打つ。


 逃げなければ!


 視界が揺れ、崩れるように廊下に尻餅をついた。

 冷えた空気が肌を撫でる。胸の奥に張り付くような重みが増していく。

 逃げようとするほど、まるで見えない腕に捕まえられたように。呼吸さえ奪われる。


「──っ!」


 声が出ない。喉の奥が震えている。口を開こうとしても、言葉にならなかった。


 これは、ここにいた者の遺した気だ。

 恐ろしいほどの重圧。


 誰かが、長い時間をかけてここで過ごし、何かを抱え、何かに耐え、何かに押し潰されそうになりながら、じっと生きていたのだ。


 ──これは!!


 蓮次の心臓が悲鳴を上げる。


 酷い孤独の闇。

 生半可なものではない。


 この部屋に満ちているのは「鬼」の孤独 だ。


 「鬼」でなければ、この部屋で生きられない。

 「鬼」でなければ、この部屋に耐えられない。


「嫌だ……」


 小さく震える声が、唇から零れた。

 蓮次は両手で自分の腕を掴む。体が、まともに動かない。冷たい恐怖が背筋を駆け上がり、喉の奥から吐き気がこみ上げる。


「嫌だ……嫌だ!!」


 この部屋には、入ってはいけない。ここに足を踏み入れたら 自分はもう戻れなくなる。


 この恐ろしい気配は──

 この凍てつく孤独は──


「嫌だ……やめろ……来るな……来るな!!」

「蓮次様!」


 耀の手が、蓮次の肩に触れ、体がびくりと跳ねた。


「落ち着いてください、蓮次様」


 耀の声が耳に届く。けれど、蓮次の震えは止まらなかった。喉が詰まり、息が上手く吸えない。


 ──違う、これは違うんだ。


 これはただの恐怖じゃない。

 本能的な拒絶。 


「烈炎! 烈炎! いるか!? 烈炎!!」


 耀が慌てて叫んだ。

 次の瞬間、風のような気配が廊下を駆け抜けた。


「おう……なんだ?」


 烈炎は蓮次を見て、すぐに状況を把握した。

 しっかりしろと蓮次の肩を支えて声をかける。


 蓮次は咄嗟に烈炎の腕を掴んでいた。



 ──どうしてこんなに怖い?

 ──どうしてこんなに、嫌だと思う?


 分からない。分からないけれど、ここだけは駄目だ。

 この部屋に入ってしまったら、自分は滅びる。


「耀」


 低く響く声。全てを断ち切ったその声は、朱炎だった。


 耀が何かを言おうとするよりも早く、朱炎が言葉を紡ぐ。


「紅葉の部屋へ連れて行け」


 耀は一瞬息を呑んだが、すぐに「かしこまりました」と頭を下げた。

 蓮次はまだ震えている。


「蓮次様……立てますか?」


 呼吸は荒く、乱れたままだ。


 朱炎は目を細め、静かに周囲に目を向けた。そして、朱炎がひとつの影に視点を定める。


「黒訝」


 声には、怒気が滲んでいた。


「お前は私の部屋に来い」


 闇の中に潜んでいた気配がゆっくりと揺れる。その影はすっと移動し、そのまま消えた。


 朱炎は一瞬だけ門の方を見やった後、何も言わずに背を向けた。



***



 あまりにも恐ろしい、気色の悪い体験をした。

 さっきのは一体何だ?

 蓮次は烈炎に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。

 足取りはおぼつかない。それでも、先ほどの圧倒的な恐怖からは少しだけ解放され、ようやく周囲の景色が目に入るようになっていた。


 屋敷の廊下は長く、静かだった。

 風の通り抜ける音すらなく、ただ鬼たちの棲む特有の冷たさが漂っている。


 やがて耀が立ち止まり、ある襖の前に手をかけた。


「こちらです」 

 

 そう言って襖を引くと、先ほどの部屋とはまるで異なる空気が蓮次を包んだ。


 温かい──。

 不意に蓮次の肩から力が抜けた。


 烈炎の腕から自然と離れ、吸い寄せられるように中へ踏み入る。


 耀と烈炎が驚いたような声で名を呼ぶものの、蓮次は彼らの反応を気にする事もなく、部屋の空気に意識を向けていた。


 置かれた家具に、そっと触れる。


 ──温かい。


 畳の上に敷かれた敷物、木の机、調度品のひとつひとつが、どれも柔らかく、穏やかだった。


 先ほどの部屋とは全く異なる気配。

 包み込むような温もり。


 蓮次は、静かに息を吐く。


 ──思い出せそうだ。


 そう思った瞬間、蓮次の心の奥に、何かがかすかに触れた。


 何か、ある。

 いや──居る?


 蓮次は無意識に、部屋の奥を見つめた。

 何があるのか分からない。しかし、確かに何かを感じる。

 胸の奥がざわつく。


 蓮次は、まるで導かれるように、奥の部屋へと向かった。

 無意識に歩を進め、気づけば襖に手をかけていた。


 勢いよく開け放つ。


 すると部屋の奥に、畳まれ静かに置かれている布団が目に飛び込んできた。


 蓮次は思わず息をのんだ。

 足が、勝手に動く。


 ──この布団は。


 恐る恐る手を伸ばし、指先でそっと触れた。


「……温かい……」


 気づけばその場に座り込み、布団を抱き寄せるようにして身を預けていた。


 会ったことはない。

 それでも、分かる。


 ここには、きっと──母がいた。


 



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