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  作者: Yonohitomi
一章
39/167

42.残酷な真実


もう数百年も前のこと。

最愛の息子を、失った。しかし。



「……こんなことが、あるのだろうか」



目の前にいる少年を見つめながら、朱炎は独り言のように呟いた。


白銀の髪。月光を纏ったかのようなその輝きは、かつての蓮次そのものだ。


紫の瞳。深淵の中に宿る決意と儚さは、あの日の彼を映し出しているかのようだ。


だが、蓮次のもう一つの目――赤い瞳が朱炎に現実を突きつける。


鬼としても人としても未完成で、どちらにもなりきれない半端者の証。その不完全さが、朱炎の胸に苛立ちと焦燥を同時に生む。


同じ姿。同じ声。同じ名前。それでも魂は別物だ。

朱炎は分かっている。この少年は、過去の蓮次ではない。

しかし、似すぎている。



朱炎の中で、記憶の炎が何度も燃え上がる。

守りきれなかった、失ったという痛み。


そして今、目の前にいるこの少年。



「……お前が別人だとしても、私の期待は変わらない。」



朱炎は静かにそう言葉を紡いだ。


目の色が揃わない今の蓮次。

未完成であるがゆえに、鬼としての完成を自分が導く。


この子が鬼として覚醒する日が来れば、最強の存在となるだろう。


しかしその日が来たとして、本当に「蓮次」と呼べる存在であり続けるのか。


朱炎自身、その答えをまだ見つけられないまま、ただ前に進むしかなかった。




____




星が瞬く夜更け。

神社の裏庭は静まり返り、冷たい空気が漂っていた。


朱炎は無言のまま蓮次を連れて歩いていた。


彼の足音はまるで地面そのものを恐れさせるかのように重々しく、それに従う蓮次の軽い足音は、やけに頼りなさげに響いていた。


朱炎は歩きながら、ちらりと隣を見た。


蓮次の表情には疲れが浮かんでいる。戦いに慣れ始めたがゆえに、力を消耗し、目に見えない疲労に苛まれているのが明らかだった。


このままではいけない――朱炎はそう思った。


力なきものが生き残れるほど、鬼の世界は甘くはない。

蓮次がこれから生きていくためには、人間であることを捨て、鬼としての道を選ばせるしかない。



「お前に見せたいものがある」



そう言ったきり、目的地を告げることもなく、歩き続けた。



神社の裏庭に着いた。


耳を澄まさずとも聞こえてくる、赤子の泣き声。

その小さな命が置かれている場所を正確に見極める。


朱炎には初めから分かっていた。

これは、人が仕掛けた罠。


この赤子は人間たちが仕掛けた餌であり、ここに鬼が誘い込まれることを狙っている。


しかし、それがどうしたというのか?


朱炎は無表情のまま赤子のいる場所に足を向けた。背後には、緊張した気配を纏った蓮次が従っている。


赤子を見た蓮次は、ほんの一瞬、驚きの表情を見せた。


夜更けの神社に、無防備に置かれた幼子。なんでこんなところに?という疑問が、その顔に浮かんでいるのが朱炎には分かった。


朱炎は蓮次に目を向け、静かに言った。



「喰え」



その言葉はまるで風に溶け込むように低く、冷酷だった。


蓮次は目を見開き、朱炎を見つめた。


動揺が顔に浮かぶのを、朱炎は予想していた。

案の定、蓮次は朱炎の命令に従わなかった。ただ、その場に立ち尽くし、無言で赤子を見つめていた。



やはりな。



この反応は、想定の範囲内。

強制するつもりはない。

だが、朱炎にはもっと重要な目的があった。



「なぜお前は鬼になることを拒み、人間でありたいと思う?」



朱炎は静かに問いかけた。

答えを求めているわけではない。むしろ、この問いは蓮次の心を揺さぶるためのものだ。



「この赤子は、人間どもが鬼を狩るために餌として置いているものだ」



その言葉に蓮次はハッと息を飲んだ。朱炎は目を細め、続けた。



「人間が仕掛けた罠だ。鬼をおびき寄せ、殺すための道具にすぎない」



朱炎は、蓮次の目の前で人間の残酷さを突きつけることで、彼の価値観を覆そうとしていた。


鬼を残酷な生き物として嫌い、人であり続けたいと願う蓮次に、人もまた同じように残酷であるという事実を叩き込むために。


蓮次の表情に、困惑と失望が浮かんでいるのを朱炎は見逃さなかった。



これでいい。鬼として生きる覚悟を決めるきっかけとなれば。



だが、蓮次の反応は朱炎の思惑からは少し外れていた。

蓮次は目を伏せ、赤子に手を伸ばすでもなく、立ち尽くしている。



「鬼も人間も、……同じなんだな……」



朱炎はその言葉に、胸の奥で何かが軋む感覚を覚えた。

それはかつての息子が幼かった頃に見せた表情と重なっていたからだ。


朱炎は、揺らぐことのない冷静な声で言い放つ。



「絶望すればいい。その先で何を選ぶかはお前次第だ」



それ以上は何も言わず、朱炎は赤子に一瞥もくれずに背を向けた。

蓮次がどう動くかを見届けるつもりはなかった。



ただ、何かを掴めばいい、それだけだ。



木々の間を冷たい風が吹き抜け、静まり返った森にわずかな枝葉のざわめきが響く。


朱炎は蓮次を連れて神社を去る前に、そっと気配を探った。

暗がりに潜む者たちの鼓動が、朱炎の耳にははっきりと響いている。

隠れている人間たちの震え。それは恐怖に満ちたものだった。



「愚かだ」



朱炎はそうつぶやき、軽く手を上げる。


次の瞬間、彼の手が空を切り裂くと、木々の幹がまるで紙のように粉々になった。轟音が響き渡り、人間たちが隠れていた木々が一瞬にして無残な姿を晒した。森の空気は一層凍りつく。



「去れ」



静かに人間たちに向けて言葉を放ち、彼らの隠れ場所に鋭い目を向けた。


人間たちはその視線に耐えきれず、声も上げずに後ずさりし、恐慌状態で森の奥へと逃げ去った。



朱炎はその様子を冷ややかに見送りながら、何も言わず歩き出した。


蓮次は戸惑いながらも、この場を離れる事を決意したようだった。


しかし、背後で蓮次の足音が止まる。ふと振り返ると、蓮次が何かを凝視している。



神社の裏。あの赤子の置かれていた場所。



そこに現れたのは、醜悪な形の鬼たち。

歪んだ体を持つ鬼が二匹。闇に紛れるようにして神社の裏へと飛び込んだ。


やがて、赤子の泣き声が途切れた。


蓮次の顔に浮かんだ恐怖と後悔の色を、朱炎は見逃さなかった。


また、立ち止まるか……。


朱炎は心の中でため息をついた。


強くなるためには、恐怖も、迷いも、いずれ全て捨て去らなければならない。



「行くぞ」



冷たく一言だけ告げ、朱炎は再び歩き出す。


蓮次が後を追うかどうか、振り返ることもなく、ただ夜の闇の中へと足を進めた。


蓮次はその背中を追うように歩き出した。

ふらふらとした足取りの音。心の乱れが現れていた。




____




森の中に一人残された蓮次は、いつものように戦い始めた。


しかし、その動きには迷いが見える。


おそらく、赤子の泣き声が途切れた瞬間の記憶が、心を乱しているのだろう。



鬼としても、人間としても振り切れない蓮次。

まるで弱さを具現化した存在。



そこに、異形が一匹、木々の影から現れる。

蓮次はその敵に向けて爪を構えたが、攻撃が鈍い。

いつもならすぐに倒せる相手にさえ、手間取っている。


さらに、今夜は低級の鬼まで来ている。

異形とは比べ物にならない力を持つその鬼に、蓮次は次第に押されていた。


この辺りは人と鬼との争いが絶えない土地。

木々には札。地面にも何か施されていた。


破魔の術――。


それは時に鬼や異形に影響を及ぼす事もあるが、ほとんどは人間の気休めにすぎない。


しかし、蓮次は弱すぎた。


どうやらその術が施された何かに触れ、倒れ込んでしまった。


朱炎はすぐにその場に現れた。

蓮次の倒れている姿に目を向け、周囲の敵へ殺気を放つ。


異形も鬼も、一目散に逃げていった。

朱炎の圧倒的な力を前にして、立ち向かうものなど誰もいない。


朱炎は蓮次に歩み寄り、その体を抱き上げた。



人間が施した破魔の術。

気休めのような術に、当てられるとは。



朱炎自身にはまったく効果がないため、蓮次がこれほどもろい存在であることを、改めて思い知らされた。



あまりにも弱い。

鬼としても、人間としても。



朱炎の胸の内に苛立ちが募る。

息子の生まれ変わりのような存在が、この程度で動けなくなる。不甲斐なかった。


朱炎は蓮次を抱えたまま、夜の森を歩き出した。




この子を強く、導かねば。


それがどれほど苦しみを伴おうとも。


彼を弱者のまま放っておくわけにはいかない。




 




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