43.未熟の器、未踏の覚悟
蓮次は破魔の力を受けた後、朱炎の術でそれを解かれたものの、体力をほとんど使い果たしていた。
鬼の力を注ぎ込まれても、その身体はそれに耐えきれず、血の気を失った首には無数のヒビが走る。
鬼でも人間でもない、半端な存在。
鬼として扱うには、もう限界が近い――そう悟らざるを得なかった。
朱炎は無言で蓮次を抱き上げ、人間の村へと向かった。
朱炎にとって人間の中に紛れるのは難しいことではない。
普段から一部の人間と取引をしている朱炎は、自らの気配を完全に消し去り、何事もなかったかのように人間の住む場所に潜り込む術を心得ている。
だが、蓮次はどうだろう。
一抹の不安があったが、今はそれよりも蓮次の具合の方が厄介だった。
村に着き、朱炎はすぐさま宿を訪ねた。
「この子に食べさせられる物はないか?」
戸口でそう告げると、宿の者は戸惑いながらも朱炎を招き入れた。
朱炎の腕の中でぐったりと力なく横たわる蓮次の姿を見て、その異常さを感じ取ったのか、宿の者は「すぐに粥を用意します」と慌てて奥へ駆け込んでいった。
朱炎は蓮次を布団に寝かせ、静かにその顔を見下ろした。
運ばれてきた粥を受け取り、蓮次の背を支えて口元に粥を運ぶ。
蓮次が粥を飲み込むたびに喉が小さく動くのを確認できたが、朱炎はそれを残念に思う。
「まだ人間か……」
人間の食べ物を受け付ける――それは、彼がまだ人間としての性質を捨てきれていない証だった。
完全な鬼となれば、もっと強くなれる。
だが今の彼は、鬼と人間の狭間に取り残された未熟な存在だ。
朱炎の心には、焦りにも似た苛立ちが渦巻いていた。
「近くに医僧がおります。お呼びしましょうか?」
しばらくして、蓮次を心配した宿の者が部屋に立ち寄り提案してきたが、朱炎はすぐさま首を振った。
医僧の中には、鬼の存在を知る者もいる。この状況の蓮次を見せるわけにはいかなかった。
代わりに朱炎は、少量の酒を頼んだ。
宿の者が酒を持ってきた時、朱炎は袂から小袋を取り出して見せた。
取り出した袋の中には、光を宿す薄い金の小片があった。それを摘み出し、宿の者に差し出す。
「これで足りるだろう」
金の輝きに、宿の者の目がわずかに見開かれる。それは明らかに、宿代を大きく上回る価値のあるものであった。
「頼みがある。この部屋には近寄るな。夜が明けるまで、中で何が起きても耳を貸すな」
金の小片を手にした宿の者は、朱炎の鋭い眼差しを見て頭を下げ、そのまま足早に部屋を後にした。
宿の者の足音が遠かったあと、受け取った酒を慎重に取り分け、鬼の力を込めて蓮次の首元に垂らした。
蓮次の身体がビクリと震え、苦しげに呻き声を上げる。
その顔は痛みに歪んでいたが、それでも彼は朱炎の手を払いのけようとはしなかった。
やがて、首のヒビが徐々に癒え、蓮次の呼吸が落ち着いていく。
穏やかに眠るその姿には、人間としての脆さも、鬼としての片鱗も滲んでいる。
しかし、安堵したのも束の間。
朱炎の瞳が僅かに細められたそのとき、宿の奥から突然、甲高い悲鳴が響いた。
「やはりな……それにしても早すぎるが……」
人間たちは鬼の気配に無意識のうちに敏感だ。
鬼の気配に当てられた人間は、時として錯乱し暴走することがある。それが暴力や殺意へと変わることも珍しくない。先ほどの悲鳴も、その兆しだった。
朱炎自身の気配は完全に消している。
問題は蓮次だ。
おそらく、彼の中に眠る鬼の力が無意識に漏れ、人間たちを刺激しているのだ。
「潜在的な力が大きい証拠か……だが……」
朱炎は短く息をつくと、迷いなく蓮次を抱え上げた。
力なく身を預けてくる蓮次を抱えたまま、朱炎は宿を後にする。
村を抜け、森の奥へと進んだ。やがて荒れ果てた廃村に辿り着いた。
かつて人が住んでいた痕跡のある廃屋を見つけ、その中へ足を踏み入れる。
屋根の壊れた廃屋の中には月明かりが差し込み、静かな空気が漂っていた。
腐臭と埃が充満したその場所に、朱炎は慎重に蓮次を横たえた。
蓮次は相変わらず目を閉じたまま、微かな寝息を立てている。
「潜在的な力はこれほどまでに大きいというのに……まだ何も掴めていない」
朱炎の言葉は、蓮次に届くことはない。ただ静かな空気の中に溶けて消えていく。
外では風が吹き荒れ、廃屋の壁が軋む音が響いた。
朱炎は蓮次から目を離し、周囲の気配を探る。
「……目指している場所は近い。お前が鬼として覚悟を決めるはずの場所だ」
その声は月明かりの中で静かに消え、ただ夜風だけが、廃屋の中を冷たく吹き抜けていった。




