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  作者: Yonohitomi
一章
36/165

39.滲む記憶、歪められる覚悟


……試されているのか?



朱炎の姿は消えてしまった。

それは、蓮次が拒んでしまったから。

正確には、恐れが身体を支配して、本能的に後ずさってしまったからだ。


力が欲しい――そう告げた舌の熱がまだ残っているのに、朱炎が一歩踏み込んだ瞬間、蓮次は無意識に後ずさっていた。


自分を悔いた。


「代償を恐れるな」と言った朱炎の言葉は一切の妥協を許さず、冷徹に響いていた。



力がほしい、と言ったのは自分だ……

今更拒否できるわけがない。



朱炎が消えて、異形が再び集まってきている。

ここで本気で戦わないと、朱炎はもう姿を現さない。そう思った。



鬼になりたいとは思わない。

だが、あの時の朱炎の瞳の奥に、自分以外の影が見えた気がした。

心を強く引き裂かれた。


期待を寄せるその目はこちらを見ていなかった。



俺を見てほしい。



だが、記憶が飛び、涙が無意識に流れた事を考えると、次第に何者かに乗っ取られそうな気がして恐ろしかった。


これが鬼になるという事だろうか?

もし、自分が自分で無くなるというのなら。



(鬼に、なりたくない……!)



しかし、力を持つことで自分を証明したいとは思う。



「戦うしかない」



その一言を呟き、蓮次は身構えると、目の前の異形たちに向かって歩みを進めた。恐怖に駆られながらも。




だが、意識が変わったからと言って、鬼の力は湧き上がってくるものではなかった。

力は、朱炎によって与えられたものに過ぎない。


蓮次はまだ、「鬼」になっていない。与えられた力は次第に枯渇していった。


異形たちの攻撃を受け、体力が限界に達していく。


明け方、空が徐々に明るくなり始める頃、蓮次はその場に倒れ込んだ。

意識はまだあったものの体が動かず、目の前には闇が、すぐそこに。



その時だった。



「蓮次……」



目を開けると、朱炎が静かに立っていた。



赤い瞳の奥。蓮次が何を求めているのか。

見透かされているような気がした。



「力を受け入れる覚悟は?」



蓮次は地面に横たわったまま、目の前の影に目を細めた。

息を吐くだけで肺が焼けつくようだった。何もかもが限界。


力を受け入れる覚悟とは。


ああそうか、求めなければならないギリギリまで追い込むやり方か。

そう、この男は、鬼だ。


これからまた、鬼の力を送り込んでくる。


蓮次は地獄の苦しみを思い出し、絶句する。

――地下牢で何度も味わった、あの地獄。



朱炎は微動だにせず膝を折り、鋭利な影のように無造作に手を伸ばしてきた。


冷たい手が蓮次の胸に触れた瞬間、凍てついた刃の感触が体中を貫く。


鬼の力――それが再び送り込まれる。



「やっぱり……いやだ……」



声にならない声。拒絶の言葉がこぼれてしまった。



しかし朱炎は容赦しない。

静かに、冷たく、力を注ぎ込む。



蓮次は覚悟を決めたつもりだった。

力を欲したはずだった。それなのに。



「ぐ、あああああああああああああっ!」



蓮次の全身が背を反らし、血を吐くような悲鳴が喉を裂いた。痛みは身体の奥深くから湧き上がる。


爪が土を掻きむしる。頭の中が焼き焦げるように熱くなり、意識が遠のきかけた。

鋭い爪で心臓を掴まれるような痛みだった。



――拒めば苦しくなる。


分かっていた。が、すんなりと受け入れられるほどの強さはなかった。


体を突き刺す痛みによって、蓮次の覚悟は簡単にすり潰されてしまった。



朱炎の手がふと離れた。

蓮次の荒い息遣いの中に、冷たい声が響く。



「力がほしいと言ったのはお前だ」



その一言が、凍てついた刃のように蓮次の胸に突き刺さった。

朱炎はわずかに目を細めただけで、それ以上何も言わなかった。

蓮次を横たわらせたまま、背を向けた。



目の前の視界が揺れる。気絶しそうになるが、蓮次は耐えた。折れそうな心を、必死にかき集めながら 。




数日後。

洞窟の奥。


蓮次は壁に寄りかかり、かすかな息を吐いていた。傷は塞がるが、体内には痛みが残っている。疲労は蓄積し、限界を超えていた。


蓮次は遠くを見つめながら、この数日間の自分を振り返る。




朱炎は相変わらず、夜になると姿を消した。

蓮次は毎夜異形たちに囲まれ、何度も傷つけられた。


痛みの中で、少しずつ気力を養った。与えられた力で傷を塞ぐことができた。空腹も感じにくく、恐怖を感じにくくなった。


戦う事が、できている。

喜んで良いこと、なのだろうか?


しかし、それは長くは持たなかった。 力が底を突くと傷が増え、再生できず、体力を削られる。


そこで、動けなくなる前に逃げることを優先し、なんとか朝を迎えていた。


そんな日が数日続いた。



そして、朝を迎える度。

朱炎がやってきて、鬼の力を流し込んでいく。


苦しみに喘ぐ蓮次の声を聞いても、朱炎は冷たく言い放つだけだった。


「拒むな」と。



あの鬼の思い通りになっているのでは?

朱炎にうまく乗せられて、嫌でも鬼に近づいている。

そして、ずっと苦しい。

苦しみから、逃れられない。



蓮次は洞窟の奥から入り口を見た。


朱炎の背中が、洞窟の外を静かに見つめている。無機質で、彫像のように揺るぎない。



「朱炎……!」


沈黙を破るように蓮次が怒りの声を張り上げた。



「お前の思い通りにはならない!」



朱炎は振り返り、冷たい視線を蓮次に向けた。わずかに揺らめくものがあった。

あの瞳には、また別の誰かが映っていた。

胸の中で何かがちぎれる音がした。


自分を見ていない。


蓮次はその理由を知る由もないが、あの目に自分が映っていない事を思うと、力への欲望が再び沸き起こってしまう。



「……もとに、戻してほしい……」


朱炎の瞳が微かに細まる。


「もう人間には戻れぬ」


「違う!」


蓮次は苦しげに言い返した。


「そうじゃない。小さくて……体力もすぐにつきる。こんなんじゃ、戦えないんだ……っ」



口からこぼれた言葉に、自分でも驚いた。

戦い続けるにはどうすべきか一一本当はそんなことを言いたいのではなかった。


でも、それが朱炎に通じた言葉だった。



「このままじゃ、だめなんだ……もっと……強く……」



蓮次の手は握りしめたまま震えていた。

その震えは、いつの間にか恐怖ではなく欲望によるものに。


彼の心は完全にすり替わっていた。

誰かに操られているのか。何かに引き摺られているのか。



 『俺はただ、あなたに認めてもらいたかった』



蓮次は胸に手を当てた。



(今、何か聞こえた……!)



驚きで朱炎から目を離したが、もう一度、ゆっくりと見上げ、朱炎を見た。


朱炎の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。

まるで、蓮次の変化に気づいているように。


しばしの静寂――その間、朱炎の瞳は何も映していないかのように冷たかった。



「戻すつもりはない」



返ってきた言葉は短い。全てを切り捨てるものだった。



朱炎は再び洞窟の外を見つめている。

 


あの鬼は、いつもこちらを見ていない。

何も変わっていない。

変わるためには、もっと――。


 


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