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  作者: Yonohitomi
一章
33/177

40.影の中の名残

「朱炎!いるんだろう!すこしは手をかしてくれよ!」


 蓮次の叫びが夜の静寂を切り裂いた。掌には血が滲み、足元には多くの異形の屍が散らばっている。

 素手で裂いた肉の感触が鈍く残り、肩が震えた。

 荒い息をつきながら、蓮次は辺りを見回す。


 だが、いつも通り――朱炎の姿はない。


 夜になると朱炎は忽然と姿を消し、蓮次は一人で異形と戦う羽目になる。

 まるで修行のようだった。


(何をしてるんだ、俺は……)


 胸の内で皮肉めいた言葉を噛み締める。

 ぼろぼろの体に鞭を打ち、戦い続ける夜々。逃げる暇も、休む暇もない。


 初めは怖かった。全身を恐怖が支配し、手も足も震えていた。だが、戦いを重ねるほどに慣れ、痛みも麻痺していく。

 恐怖の感覚は薄れ、日常となった。


 戦う理由は異形に食われないためだが、今はもうひとつ、別の理由が心に引っかかっている。


 ――戦えば、朱炎がこちらを見てくれる。

 あの冷たい目に、自分が映る。


 別の誰かじゃなく、自分が――。


 蓮次は血まみれの手を握りしめた。

「強くなる」なんて言葉は、自分には似合わない。鬼になるつもりはない。それなのに、戦うことばかり考えている。


 だから、何をしているんだ?と、我に返るのに、次の瞬間にはまた戦う。


 ――朱炎の目に、どうしても自分を刻みつけたい。


 異形の数は多すぎた。

 一匹、また一匹と湧いてくるそれらに、体力は容赦なく削られる。

 息が上がり、視界が揺れる。


 蓮次は歯を食いしばり、血にまみれた爪を振りかざして夜の闇へと身を投げた。


 異形と戦って、勝つことが出来ている。大きな怪我はなく、朝を迎えられるようになってきた。


 そしてこの日も、勝てると思って戦っていた。

 だが、風が変わった。


「……何だ……?」


 森の中の空気がひやりと冷え、周囲の闇がじわじわと濃くなっていく。

 背後で枯葉を踏むような音がした。反射的に振り返る。だが、そこには誰もいない。

 見えない何かが自分を狙っている。


 蓮次の心拍が跳ねた。


 薄闇の向こうで蠢く影。いつもの異形ではない。もっと恐ろしい。空気そのものが鋭利になり、皮膚を裂くような感覚に襲われる。


(こんな気配……今までなかった)


 身体中の毛が逆立つ感覚。

 手が震え、喉の奥で息が詰まった。


 今までとは異なる、もっと深く、もっと冷たい――圧倒的な存在感。 

 足が動かない。

 全身が硬直する。


 ――これは、異形じゃない。


 背後で闇が蠢いた。

 姿を現さないまま、三つの影が蓮次を取り囲む。


 全身が強張り、逃げようとしても足が地に縫い付けられたように動かない。恐怖の感覚が骨にまで染み渡り、膝が崩れた。


 ――駄目だ、こんなの、無理だ……!


 空気を裂いて迫りくるそれは。

 圧倒的な鬼の気配。


 影の一つが動いた。

 飛びかかるように蓮次へ襲いかかろうとした――そのとき


「……!」


 鬼の動きが止まる。

 蓮次の姿を見たその鬼は、まるで見覚えのあるものを見たかのように、驚愕の表情を浮かべた。


「お前……」


 人間のような顔を持つその鬼は、異形のような醜悪さとは違っていた。

 艶やかな着物を身にまとい、洗練された姿だった。瞳には朱色の輝きが宿っていた。

 蓮次を捉えて離さない鬼の目。

 その目には困惑と、懐かしむような色が混ざっていた。


 鬼の視線がひしひしと重圧となり、蓮次は肩をすくめる。

 ほかのニつの影も茂みから姿を現し、蓮次を見るや否や動きを止めた。


「なんか……お前……」


「……どこかで……?」


 頭に浮かぶ何かを掴もうとするかのように、三人の鬼たちは一様に沈黙する。


「いや、まさかな……」


「……だよな」


 鬼達の視線に貫かれ、蓮次の恐怖は頂点に達していた。


 逃げなければ……。


 力の入らない足腰を無理矢理に立たせる。立ち上がっても震えで足を進められない。

 しかし、このあと蓮次は、ただ呆然と立ち尽くすしかなくなる。


 鬼たちは瞬時に別の方向に跪き、頭を垂れていたのだ。


「……?」


 蓮次は訳も分からず、目を丸くした。


(何が……起きて……?)


 影の中から、ゆっくりと現れる一つの姿。

 朱炎だ。 

 冷たい月光を背に、圧倒的な威圧感をまとった朱炎の姿が、蓮次の瞳に映り込む。

 まるで、闇の王が降り立ったかのよう。


「朱炎様、変わらぬご壮健を――」


「御恩、忘れてはおりません」


 言葉を紡ぐその声に、恭順と畏敬が滲んでいる。

 朱炎は慈しむような眼差しを鬼たちに向けている。


(……?)

 

 蓮次の視界の隅で、鬼たちが報告を始めた。

 まるで主君に対する家臣のように三人の鬼は次々と口を開き、それぞれの一族がどれほど繁栄しているかなど、朱炎への感謝を語っていた。


 蓮次はただ見つめる。

 朱炎って、なに??


 強大さ、冷徹さ、すべてを超越したような朱炎の姿が、蓮次の胸に深く刻み込まれる。


 とんでもない鬼と旅をしている??

 

 そんな思いが心の底から湧き上がった。


 忽然と鬼たちの話が途切れる。何かを終えた合図のように沈黙が訪れた。


 三人の鬼たちは一斉に振り返り、蓮次を見た。


「ってことは!」

「やっぱり……!」

「お前、蓮次だったのか!」


 しなやかな体躯を持つ朱色の鬼が蓮次を勢いよく抱き上げる。その動きは速すぎて、風すら切らなかった。


「う、わっ!」


 突然のことに驚く蓮次。逃げようと身体を捩るもがっしりとした腕に捕まれ、逆らえなかった。


「間違いない、蓮次だ! お前、蓮次じゃないか!」


 鬼の顔は笑いに満ちていた。蓮次の頭を乱暴にくしゃくしゃと撫で回す。

 蓮次はあまりの勢いに圧倒され、されるがままだった。


(なに……なにが……!?)


 何も分からないという蓮次を余所に、他の鬼たちも愉快そうに笑い始めた。


「そりゃあな。妙にうまそうな匂いがしてた。何か変だと思ったんだ」


「もし朱炎様が出てこなかったら、お前……今ごろ腹の中だったぞ」


「それにしても、小せぇなぁ!蓮次!」


 楽しげに口々に話をする三人を、蓮次はじっと見つめた。


 心の奥底で何かがざわつす――遠い過去の記憶を思い出すような感覚だ。


(知っているのか……?)


 記憶の輪郭がぼやけるが、何もつかめないまま霧の中に沈む。


 自分に語りかけてくる声の響き。

 なぜだろう、どこかで聞いたことがあるような……


 小さな違和感が、やがてじわりと痛みに変わる。


 蓮次は自分のことを抱き抱えている朱色の鬼を見つめた。

返すように朱色の瞳は蓮次を見つめ、ふっと口元を緩めた。


「蓮次、良かったな……朱炎様と二人きりで長旅なんて……」


 蓮次の頭を軽く撫でるような仕草は、力任せに頭を撫で回したさっきとは違い、驚くほど丁寧で優しいものになった。


(あの鬼と二人きりが?……良かった……?)


 蓮次は朱炎を見ると、朱炎は背を向け、歩き出す。


「……!」


 蓮次の心がざわめく。


 追わなきゃ。置いて行かれる。


 蓮次は慌てて「おろしてくれ」と頼んだ。朱色の鬼は蓮次を地面に降ろし、軽く肩を叩いて言う。


「……行けよ。朱炎様が待ってる」


 言葉を背中に受けながら、蓮次は朱炎を追いかけた。

 振り返ると、鬼たちが遠くで手を振っている。

 それを見て、言葉にできない感情が広がるのを感じた。



***



 蓮次は先ほどの出来事を思い返していた。

あの鬼たちが、自分のことを知っていたのはどういうことなのか。


……鬼の世界で……生きていた??


 そんなはずがない、と心のどこかで否定しようとした。

 しかし、彼らの視線の中に宿っていた懐かしさ。

 否定できない何かが胸を締めつけた。

 分からない。考えれば考えるほど霧の中に迷い込むように、答えは遠のいていく。


 蓮次は顔を上げた。

 得体の知れない力がまとわりついている。


『蓮次、良かったな……朱炎様と二人きりで長旅なんて……』


 あの鬼の言葉を思い出す。


(朱炎って……何なんだ?)


 彼の存在に引っ張られ、絡め取られるように過ごしている。 


 逃げられるなら逃げるつもりだったのに。なぜかあの背を追わずにはいられない。


『父上……』


 突然、朱炎が足を止め、振り返った。蓮次の心臓が一瞬で跳ね上がる。


「っ――」

 反射的に肩をすくめ、身を縮める。


 朱炎の瞳が、蓮次の姿を見つめていた。

 深く暗いその瞳は、まるで蓮次の心の奥底まで見透かそうとするかのようだった。


 蓮次は息を止めて、動けなくなっている。


 朱炎はしばらく蓮次の様子をじっと見つめていたが、何も言わずにまた背を向け、前へ歩き出した。


 蓮次はようやく息を吐き出す。


(何なんだよ……あいつ……)


 蓮次は朱炎について行く。

 恐怖と安心の相反する感覚に囚われながら。

 

 

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