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  作者: Yonohitomi
一章
31/167

34.記憶の傷が疼いた


蓮次は心を落ち着かせようと荒い息を整えながら、周りを見回した。


冷たい空気が肌にじわりとまとわりつく。どうやらここは洞窟の中のようだ。湿り気のある岩壁が暗闇に溶け、ぽたぽたと滴る水音が遠くで響いていた。




体を丸めたまま、ふと小さくなった自分の腕に目を落とす。あの時――鬼に変えられる前の姿と、それほど変わらない、か。


思い返せば、鬼にされた瞬間、体が異常な速度で成長した。まるで別人のように。長くなった髪が肩を覆い、力の宿る腕には見知らぬ重さがあった。それが今、元に戻っただけ――いや、それ以上に縮んでしまったのだが…。



「……それでも、これは……」



小さな声が震えた。


腕も脚も細く、まるで木の枝のようだ。


大きすぎる着物。布の海の中で縮こまる自分を意識すると、ため息が出る。



「……三つか、四つ……」



三歳児か四歳児ほどの体で、どうしろと?

低く呟き、蓮次はゆっくりと顔を上げた。




朱炎――あの鬼の姿はどこにもない。


ふと、怒りが胸を焼いた。すべての始まりはあいつだった。自分の人生を奪い、苦しみを与え続け、今もなお影のように付き纏う存在。


蓮次は拳を握り、額に押しつけた。その拳さえも、



(もう……ぜんぶ……あいつのせいだ…!!)



苛立ちと絶望が混ざり合う心の中で、思考の渦は次第に濁っていく。ずっとこのまま生きていくのか? この小さな体で?



両手で頭を抱える。心が潰れそうだった。


やがて、静寂の中で小さな腹からグウ〜と音が鳴る。



空腹――これまで忘れていた感覚。飢えが内臓を絞り上げ、体の震えを引き起こした。



そう言えば、鬼の体にされてからというもの、何も口にしていない。かと言って、人間を食いたいとも思わないが。


何か、食べられるものはあるだろうか…。



洞窟の外を見つめた。


(…なにか、たべるもの……)



ふらつく足で立ち上がり、進む。しかし、重い布が足元に絡まり、歩こうとするたびによろめく。ついには足がもつれて倒れてしまった。



「……っ……!」



手をついて這いながら進もうとする。洞窟の外には風の気配、木々のざわめき――その先には、食べ物があるはずだ。



出口が目の前に近づく。指先を伸ばした瞬間、空気が歪んだ。



――ギンッ。



何かが弾けたような感触。



振り返って中へ戻ろうとしたが、見えない透明の壁が立ちはだかり、洞窟の闇が自分を拒むように閉ざされていた。



冷たい汗が背筋を伝う。



「……え?……もどれない?…」



嫌な予感が胸を締めつけた。

その予感はすぐに現実となる。



空気の流れが変わった。ぬめりとした感覚――背後から重い音と共に、異形の影が現れる。



蓮次は振り向くこともできなかった。



次の瞬間、鋭い爪が彼の体を掴み上げ、宙へ放り投げる。



目の前に迫る異形の顔――ねじ曲がった顎、ぎざぎざの牙、血の匂いが鼻を突いた。



心臓が跳ね上がり、頭が真っ白になる。



「――うぁあああっ!」



喰われる――!?



空気がねじれるように唸りを上げた。


刹那、蓮次の小さな体が洞窟の中へと吹き飛ばされた。岩に叩きつけられ、鈍い痛みが背中から広がる。息が詰まり、肺が焦げるように苦しい。



次に目に映ったのは、血の雨だった。



洞窟の入口を赤く染めながら、異形の残骸がばらばらと地面に降り注ぐ。その間を堂々と進む黒い影――朱炎だ。



朱炎は無言で立っていた。



蓮次は痛みに震える体をゆっくりと起こし、乱れた息のまま朱炎を睨みつけた。その視線に気づいた朱炎。彼が腕を軽く振ると、白い布の束が蓮次の顔に向かって飛んできた。



「……っ!」



布は蓮次の肩に落ちた。手で掴み取ると、それは子供用の小さな着物だった。



「着替えろ」



静かな声が洞窟の中に響いた。



蓮次は着物を睨んだまま動かない。怒りが胸の奥から込み上げ、血が沸騰するようだった。



「お前のせいだ……!」



抑えきれない言葉が飛び出した。



「お前のせいで、こんな――!」



声が途切れる。喉が詰まり、続く言葉が出てこなかった。

気づけば涙が溢れていた。



小さな体は感情に逆らえず、悲しみも怒りも限界を超えると、まるで堰を切ったように溢れ出す。それが悔しくて、拳をきつく握りしめた。



朱炎は何も言わない。静かに、じっと蓮次を見つめていた。


その視線が痛いほど胸に突き刺さる。


やがて朱炎は背を向けた。



「早く着ろ」



低い声と共に洞窟の出口へ向かう。その背中は広く、重々しく、何かを背負っているようだった。


その姿に蓮次はぞっとする。


遠い記憶の傷がうずき、心の奥で忘れていた痛みが暴れ出す。



――待って。



記憶の影が、心に呪いのようにささやいた。



――置いていかないでくれ。見捨てないでくれ。



「待って――待って!」



自分の叫びが耳に届いた瞬間、それは自分の声ではないような感覚に襲われた。


蓮次は胸に手を当てた。心臓が壊れそうなほどに脈打ち、涙が止まらない。



(何だ……これは……俺が……?)



朱炎は振り返った。その目は鋭く、けれども何かを見極めるように蓮次を見つめていた。



蓮次は震える指で着物を掴み、慌てて羽織る。袖を通す手がぎこちなく、指先は冷たかった。体の震えが収まらないまま、ふらつきながら朱炎のもとへ駆け寄る。


気づけばその足元にしがみついていた。

自分の体が勝手に動いた。



「……っ……」



涙が溢れ、言葉にならない。体が小さく縮こまり、震え続ける。



朱炎は無言のまま蓮次を抱き上げた。



冷たい腕に包まれる感触――なのに、どこか不思議な安堵が胸の奥に広がる。



朱炎の歩みは森の奥へと続く。夜の闇に沈む木々の間を進む足音だけが響く中、蓮次は静かに目を閉じた。




 


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