25.檻の中の拒絶
ぼんやりと意識が戻り、蓮次は重い瞼をゆっくりと開けた。見慣れない天井を眺めながら、ただ息をすることだけで精一杯だった。
冷たく硬い床の感触が全身に染み込み、頭の奥に鈍い痛みが広がっている。
ここは朱炎の屋敷の地下。
鎖で繋がれ、無力なまま横たわっている自分の姿を再確認する。
押し寄せる絶望と恐怖に、心が引き裂かれるようだった。
自分がこの場から逃れることは到底叶わず、まるで檻の中に閉じ込められた獣のよう。
周りには朱炎の手下たち。
冷たい視線と無言の圧力が蓮次の心に深い不安を残した。
彼らの視線を受けるたびに、自分が人間ではなくなっていくという不安が増す。
身体の自由が奪われていく感覚に耐えられなくなる。
何かが崩れ落ちていく感覚。
それが蓮次の心をさらに締め付けた。
体の震えが止まらない。
その様子を見た耀はゆっくりと彼に近づき、落ち着いた声で話しかける。
「蓮次様、恐れる必要はありません」
その言葉は優しく、どこか諭すような響きがあった。だが、恐怖に囚われた蓮次には届いていない。
もはや言葉の意味すらも理解することができない。
ただ耀が自分を「蓮次様」と敬称で呼ぶことに、一瞬だけ違和感を覚えた。
この鬼は乱雑に接してこない。しかし、その小さな違和感もすぐに押し流されてしまう。蓮次は怯えた瞳で周囲を見回した。
すると、もう一人の手下、烈炎が気楽そうに笑いながら言葉を漏らした。
「選ばれし者ってのは、こうも大変なもんかねぇ。こんなに怯えちゃって、気の毒に見えちまうよ」
烈炎の軽い口調と、冗談めかしたような表情が蓮次の恐怖をさらにかき立てる。
耀は烈炎を一瞥し、蓮次に向き直る。
「蓮次様、恐れに囚われるのではなく、力を受け入れてください。今のままでは、ますますお苦しみになるだけです」
蓮次は耳を塞ぎたくなった。
これ以上何も聞きたくない。
恐怖に押し潰されるような感覚に、全てが消えることを願う。
しかしそこに、再び朱炎が現れる。
その威圧感に反応するように、周囲にいた鬼たちも姿勢を正した。
耀は蓮次のすぐ横でゆっくりと膝を折った。その隣には烈炎も構え、蓮次の腕を支える体勢を整えた。
「さあ、蓮次様、お体を少し起こしますよ」
耀の静かな声が、蓮次の耳に柔らかく響いた。
恐怖に駆られた身体が小さく震え、額には冷たい汗が滲む。
烈炎が軽く笑みを浮かべながら、蓮次の反応を見ていた。
「ああ、選ばれし者ってのは、こうして苦しむ運命なのかねぇ…」
蓮次は耳を塞ぎたくなったが、二人に押さえられた腕は動かせない。ただ心の中で叫びを上げるだけだった。
やがて、朱炎がゆっくりと蓮次の胸に手を近づける。
暗い空気の中に赤辛い光が生まれ、じわじわと鬼の力が蓮次に向かって注がれ始めた。
「ぐっ……うああああっ!」
鋭く刺さるような力が、蓮次の体を突き破り、内側から肉を引き裂くかのような激しい痛みが襲う。
身体中を絶え間なく痺れさせながら必死に抗うも、烈炎と耀の手はその両腕を逃がさず、冷静に彼を押さえつけ続けた。
嫌だ…俺は…鬼なんかになりたくない…!
声が枯れるほど叫んでも、朱炎は冷淡な表情を崩さず、なおも力を送り続けた。
やがて蓮次の意識は限界に達し、再び気を失った。
朱炎は呆れたようにため息をつくと、無言で地下牢を出ていった。
蓮次は激しい痛みの果てに気を失っている。
耀は彼の体調を見定めるため慎重に目を細めた。
呼吸は乱れ、微かに体が痙攣している。
そして、気になったのは左の首元――小さな乾きの兆しだった。
肌がひび割れを起こしている。
「このままでは、危険だ…」
耀は蓮次の首筋にそっと手を置き、ゆっくりと治癒の力を送り込んだ。
乾きの傷が塞がるように。
傷は少しずつ滑らかに戻っていく。
蓮次の体が治癒の温もりを吸収する。
体の震えもわずかに和らいだ。
耀は最後に蓮次の顔をひと目確認し、見張り役を烈炎に任せてその場を離れた。
朱炎の元へ向かう。
朱炎の部屋に入ると耀は一礼し、蓮次の首元の乾きについて報告を始めた。
彼の言葉が終わる頃、朱炎は少し思案するような表情で低く唸る。
「力を拒絶するせいだ……」
朱炎は蓮次の体に限界が迫っていることを把握していたが、今のままではいけないと考えていた。
あの子は鬼として生きるべきだと考える。
力は注ぎ続ければいい。
いずれ蓮次の体が完全に鬼に馴染む日が来るはず。
耐えられなければ、破綻する。
しかし、朱炎はやはり蓮次を鬼として目覚めさせたい。諦める気はなかった。
「…あの者が自ら拒む限り、鬼の力は安定しない。
今のままでは、ただの異形だ。だが、まだ試す価値はある」
朱炎の声には微かな苛立ちと興味が交錯していた。
蓮次の体に限界があることは理解しているが、その限界を超えさせることで、新たな力を引き出す道を模索しているかのようだった。
鬼としての野心と蓮次への興味が、朱炎を突き動かしている。




