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  作者: Yonohitomi
二章
167/167

58.鬼の居ぬ間に(3)



 穏やかな朝。


 屋敷には夜の宴の余韻が色濃く残り、日々、上書きされていくようだった。朱炎が不在の間、鬼たちの飲み会は毎日のように繰り返されている。


 耀は、信じられないというようにため息を漏らした。夜通し酒を飲み、疲れ果てるまで騒ぐことの、いったい何が楽しいのだろうか。


 縁側に立ち、森の奥を見やる。


 敵の気配は消え、結界も無傷。だが胸の奥のざらつきだけは消えずに残る。

 耀は目を伏せた。


 ふと、中庭の方から声が響く。


「よーっし! 今度は本気でいくぞ、蓮次!」


 烈炎の豪快な声に続いて、蓮次の高い叫び声が返る。


「うわぁぁぁぁ!!」


 目を向けると、庭の中央に筋肉と子供。

 烈炎が蓮次を跳ね返し、地面に落とし転がしている。どうやら戦いの稽古らしい。


「おうおう、威勢はいいが動きがかてぇ! 腰をもっと低くしろ、こうだ!」


「うるさいなぁ! いまやろうとしたのに!」


 烈炎の拳が勢いよく突き出されると、蓮次の体がくるりと回って尻もちをつく。

 地面の砂が舞い上がった。


「ははっ、まだまだだなぁ!」


「わらうなぁ! つぎこそきめる!」


 蓮次は顔を真っ赤にしながら再び立ち上がり、勇敢に突っ込んでいく。

 蓮次の執念。小さな手が烈炎の脚にしがみついた。


「やった、つかまえた!」


「おっ、やるじゃねぇか。でも――甘ぇんだよ!」


「うぁぁぁ!!……ずるいっ!」


 飛ばされて転がる蓮次は受け身を取り、すぐに起き上がって悪態をついた。


「でかいだけのくせに!」


「何言ってやがる! これが戦いってもんだ! はっはっはっ!」


 烈炎が笑って蓮次の頭を軽く叩くと、ふてぶてしい顔がふにゃりとほころんだ。





(蓮次様は、成長している……)


 二人を見つめつづける耀。


 烈炎の蓮次への扱い方に厳しい目を向けつつも、その奥にはどこか安堵が滲んでいる。


 朱炎と蓮次では、こうはならないだろう。朱炎の前では、常に蓮次は怯えている。修行というより拷問と呼べるような試練の数々。そこに笑顔はない。


 朱炎の不在は、蓮次にとっては良かったのかもしれない――耀はそう思い、目尻を少し緩ませる。


 そして、稽古の後に何か口にできるようにと、台所のような場所――水庵へと向かった。


「すまないが、水と、蓮次様が食べられるものを用意してくれるか」


 水庵にいた女鬼に指示を出し、耀はすぐに引き返す。


「れつえん! こんどこそ、おれがかつ!」


 中庭からは、荒々しさを増した声がした。

 汗に濡れた額をぬぐいながら、拳を振るう蓮次。


「うぉりゃあーーーっ!!」


「ほう、やる気だな! だが、まだまだ俺には追いつけねぇぞ!」


「くそがっ! なめんなよ!! おれのほうがつぇーだろうがっ!」


 ぴくり、と。

 縁側に戻った耀の眉が動いた。


 これは流石に見過ごせない。なんという口の悪さだろう。


 耀の纏う気配がぴしりと鳴る。氷のように。

 鋭く、冷たく、気の流れが止まり、固まる。


「蓮次様」


 怒りの籠った低く、ゆっくりとした口調。

 蓮次がびくっとして振り返ると、耀が冷ややかな表情で立っていた。


「その言葉遣い……どこで覚えたのですか?」


「あっ、えっと……れつえんのまねをしてみたんだけど……だめかな? へへっ」


 笑って誤魔化そうとする蓮次を、耀はじっと見下ろしている。

 烈炎が腹を抱えて笑った。


「おいおい、蓮次が俺の真似するなんて、大物の証拠だな!」


 耀は烈炎に一瞥もくれず、冷ややかに言い放つ。


「いけません。蓮次様は朱炎様の御子であり、この屋敷を導くお方。言葉には品格が宿ります。皆がそれに従うのです」


「……う、うん」


「良いですか、蓮次様。烈炎のような頭の悪そうな汚い言葉を真似してはなりません。あれは猿です。そう、ただの猿」


「誰が猿だ!」


 耀の真剣な表情の後ろから、烈炎が野次を飛ばす。

 耀は振り返り、烈炎を睨んだ。


「烈炎。お前はもう少し――」


「へいへい、わかりましたよ」


 烈炎は耀の言葉を遮り、投げやりに返した。


「烈炎! 話を最後まで聞け!」


「うるせぇなぁ。朱炎がいなくて情緒不安定ってやつか? どうした、落ち着きねぇじゃねぇか」


「なんだと!?」


「耀、まって、まって。うん、わかった! これからきをつける! だいじょうぶ。れんじはいい子だから、だいじょうぶだよ」


 ――しかし、この日を境に、蓮次の一人称は「俺」となった。




 夕暮れ。

 稽古の終わりを告げる風が、ひゅーっと吹いた。


「……もうだめ、つかれた……」


 蓮次がその場にへたり込み、両手を広げて地面に転がる。

 耀は小さくため息をつき、歩み寄った。


「よく頑張りました。さあ、部屋へ戻りますよ」


「いやだ。もうすこしここにいる」


「ここでは体が冷えますから……」


 耀は腕を差し出し、蓮次を抱き上げようとした。だが蓮次は身体をねじって烈炎の方へ逃げてしまう。


 しゃがんだ烈炎が、慌てて蓮次を受け止めた。


「おいおい、どうした?」


 蓮次は烈炎の胸に顔を埋め、小さな声で訴える。


「耀、こわいから」


「なっ!?」


 耀が思わず声を漏らした。烈炎は吹き出し、蓮次を抱え上げながら立ち上がる。


「ほら、見ろ。あの耀様が泣きそうだぜ?」


「……勝手なことを言うな」


 耀は口を引き結び、腕を組む。

 しかし、蓮次は二人のやり取りに興味がないらしく、烈炎の腕の中でもぞもぞと動き、ぽつりと呟く。


「れつえん、あせくさい」


 烈炎が固まる。


「は? おまえ今なんつった?」


「だって、あついし……におうもん」


 烈炎は苦笑しながら蓮次の頭を軽く小突いた。


「こいつぁ手厳しいな。戦いの汗の匂いってやつだ、覚えとけ!」


「だめ。くさい」


 蓮次は「臭い臭い」と言いつつも、烈炎の胸に顔を埋めたまま、なぜかすりすりと頬を押し付けている。目を擦りながら。

 どうやら眠気と戦っている最中のようだ。


「耀だって……れつえんのこと……におい、くさい……おもってる……ね」


「あ、え? はぁ……」


 耀が答えあぐねていると、烈炎はその様子を見てにやりと笑う。


「へへ……こりゃ、敵わねぇな」


 烈炎が蓮次を部屋に連れ戻し、耀がそれに続く。




 今宵もまた、鬼の宴が始まるだろう。

 穏やかな日を過ごしたことで、耀も気が緩み始めていた。――羽目を外すことも、あるかもしれない。


 

 

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― 新着の感想 ―
みんなのびのびしてるねぇ 庭の中央に筋肉と子供(笑 筋肉の弾力で跳ね返されて気持ち良さそう♪ こういう生活がいいな(* ॑꒳ ॑*) けど品格は大事なんですね。朱炎様が染み付いた耀の品格\(//∇/…
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