50.新しい家族(4)
空気が澄み、静けさに包まれた森の奥。烈炎と蓮次が向かい合う。
「さあ、来い」
烈炎が組んでいた腕を大きく広げた。対して、蓮次は獣のように四肢を沈める。そして、一瞬にして飛びかかる。
「やぁーっ!!」
勢いはあるが遅すぎた。
烈炎は向かってくる小さな体を、ひょいと片手で軽くいなした。
蓮次の体は宙を舞う。
「うわっ……!」
どすんと鈍い音が響いた。だが、地に背を打ちつける寸前、蓮次は回転して衝撃を逃していた。
烈炎の口元がわずかに緩む。
(ほう、受け身を覚えやがったか?)
「今のは悪くねぇな」
「うん!」
息を整え、蓮次はまた飛びかかる。
烈炎は鼻を鳴らし、軽く腕を動かして再び蓮次を宙に放った。
しかし、今度の蓮次は違っていた。空中で姿勢を整え、すっと軽やかに着地した。
「へへ」と、得意げに立ち上がる。
もう、飛ばされることにも慣れてきた。地面に落ちる前に身を翻せば、強い衝撃を受けなくて済む。これなら、我が身だけなら守れそうだと、目をきらりと光らせた。
「よし、だいじょうぶ……」
その時。
ふと視線が横に逸れ、あるものを見つけた。
木陰の向こうに、小さな青が揺れている。
蜘蛛の巣に絡め取られた、青い蝶。
左右には二匹の蜘蛛が張り付き、睨み合うように、あるいは協力し合うかのように蝶を狙っていた。
蓮次は思わず足を進める。
「たすけ……たほうがいい、かな」
「おい、どうした」
烈炎が眉をひそめて近付いてきた。
蓮次は振り返る。
「これ……たすけたほうがいいよね?」
蓮次の指さす方を見た烈炎。
「…………」
目に入った光景に怪訝な顔を示していた。
これは舌打ちをせずに居られない。
「そりゃあもう、手遅れだ」
そう言うなり、烈炎は蓮次を抱え上げた。
「よし、帰るぞ。そいつらはほっとけ」
「え? いやだ! まだかえりたくない!」
蓮次がばたばたと手足を動かして抗うが、烈炎が構うことはない。
それよりも烈炎の意識は別の方へと向いていた。
考えれば苛立ちが募る。その原因はいつだってあの青い蝶だ。
蝶はいつも蜘蛛の巣に囚われている。これが許せないのは何故なのか――と。知りたくもない感情に静かに蹴りを入れている。
烈炎の目はどこか遠くを見ていた。
***
火土丸と紅土が、土に潜ろうと身構えた時――。
ピシリと空気が裂ける。結界がほどけ、轟音と共に爆風が吹き荒れた。
熱を帯びた砂塵が舞い上がり、二人の体は飛ばされる。
地面に転がり落ちる二人。
火土丸と紅土は咄嗟に互いの無事を確認すると、改めて前を見た。
二人は目の前の状況に息を呑んだ。
視線の先には、地に倒れている耀。そして、その傍らに立つのは、橙の艶やかな着物をまとった女。
耀は咄嗟に起き上がり、はだけた着物を正そうと慌ただしく背を向けた。
その様子を艶めいた笑みで見つめながら「うふふ」と上機嫌に笑う女鬼。
彼女は「さあ……」と言って、火土丸と紅土に向き直った。
「おいで、子どもたち……」
不思議なほどに優しく穏やかな声音。
火土丸と紅土は戸惑いながら互いを見やる。どう動くべきかと。
しかし、怪しさよりも、不思議な安堵が胸に広がりつつあった。
柔らかな空気を纏い、朗らかさに満ちている、この場を支配する女性とは――
「我が名は紅葉。ここで、新しい家族となろう」
二人は、その言葉に惹かれてしまう。
母――。
火土丸と紅土が薄らと望んでいた存在だ。だが、すぐに動く事はできない。期待と不安が入り混じり、二人はその場で固まっていた。
紅葉が目を細める。
「お前達、名は?」
「……火土丸」
「……紅土」
「火土丸、紅土……良い名だ。さぁ……」
優しく呼ぶ声。抗い切れず、導かれる。二人はおずおずと歩み寄った。
紅葉は膝を折って二人に視線を合わせた。そして、改めて両腕を広げる。
「おいで」
「……紅葉、様」
「紅葉様」
まだ母と呼ぶには時間が必要のようだった。しかし、火土丸は頬を緩め、紅土も微笑んで紅葉に抱きつく。
新しい家族が誕生した。
一方、背後の耀は――。




