49.新しい家族(3)
結界の張り詰めた空気の中。
「紅葉様! な、何をっ!」
耀は必死に体を捩った。だが逃れられない。橙色の魂の鎖がまるで熱を帯びた杭のように四肢を地へ縫いつけているからだ。
意識の奥で、自分が囚われの獲物に成り果てていることを悟ってしまう。
「……っ!」
「ふふ、暴れるでない」
紅葉はにんまりと笑みを浮かべた。裸身で耀に覆いかぶさりながら、わざとらしく言葉を続ける。
「何をとな? 子供らに見せられる光景ではあるまい。そうは思わんか?」
妖艶な声音に耀の頬は熱を帯びた。視界にはなまめかしい白い肌が広がっている。
「な、なぜこのような……! 紅葉様!」
「妾はまだ未完成なのだよ」
紅葉の指が耀の顎をくすぐるように撫でた。艶やかな黒髪もするりと垂れる。
「鬼となるには、朱炎の血が要る。それは……お前の中に流れておろう?」
面白そうに口角を吊り上げる紅葉。
覗き見た過去にて朱炎が彼に血を与えていたのを知っている。その血の力は耀の体の奥底に宿っており、我が身を完成させるために必要なのだと直感で理解していた。
「なあ? 耀よ」
「それはっ、そうですがっ、このようなこと……せずともっ……血は差し上げます、ですから!」
耀が上ずった声で反論するも、紅葉は軽く笑い飛ばす。耳を貸す気配も見せず、耀の袂に指をかけた。
そのとき――
耀の左目に、影が映り込む。
「…………」
「……おお、朱炎、見ておったのか」
紅葉は目を細めた。まるでこうなる事を予想していたかのように。
そして耀を押さえ込んだまま、艶めかしく告げる。
「これより妾は鬼として完成しよう。この子を――喰わせてもらうぞ?」
わざと挑発するような口ぶりで煽った。
しかし朱炎の表情は変わらない。
「構わん。ただし、まず着ろ」
「ふふ、あいにく妾は持ち合わせておらんのだが」
紅葉は首を傾け、楽しげに応じた。対して朱炎はふっと鼻で嗤う。
「文を読めと言ったはずだが?」
「だが、この子が嫌がっておるのだ」
そう言い返し、紅葉は耀の髪を撫でる。その手をゆっくりと文――耳飾りに近づけ、「ほれ、可哀想に、今にも泣きそうだ」と付け足した。
耀が首を横に振る。羞恥と混乱を振り払うためと言うよりも、尊厳を保つためかもしれない。しかし、「構わん」と揺るぎなく放たれた返答に、保たれていた表情は崩れてしまった。
「おお、可哀想に……」
紅葉が耀を慰めるように撫でる。だがこの時、紅葉の脳内には朱炎の意図が流れ込んでいた。それは、耀には別で褒美を用意してあるという話だ。
「そうか……では」
耀の耳に光る朱炎の針。紅葉はそれを引き抜く。
「なるほどな……」
取り上げた耳飾りをじっと見つめ、笑みを深めた。
両手で折る。ぱきりと鋭い音が響き、三つに砕けた。
一片はきらめきながら織物に変わり、紅葉の体を覆う雅な着物へと姿を変えた。
もう一片は黒髪に刺さり、流麗なかんざしへ。
最後の一片は新しい耳飾りとなった。それは紅葉の耳元を華やかに彩る。
耀は呆然とその光景を見つめていた。
朱炎から授かったと思っていた耳飾り――実は紅葉のために用意されたものと理解させられる。胸の痛みに僅かに眉根を寄せた。
左目に映っていた朱炎の影も消え、主との繋がりは完全に断たれてしまった。
耀は寂しさを隠すように顔を背ける。
紅葉は、その一瞬の揺らぎを見逃さない。
「そう落ち込むでない」
新たに纏った衣を滑らせながら、耀の胸元へと手を伸ばす。
それはなめらかに、するりと着物と肌の間に入り込んだ。
耀の着物がはだけていく。
「あの、っ……紅葉様……っ!」
焦りと羞恥に思わず身を捩る耀。だが鎖で囚われた体は逃げ場もなく、動けば動くほど締め上げられる。
「……っ!」
「ふふ。何をそんなに焦っておる。喰われることは分かっていたであろう?」
指は鎖骨をなぞり、胸へと移動した。
びくりと耀の体が跳ねた。
「ふっ……よく躾けられておるな」
紅葉の目が妖しく光る。
「朱炎よ、見るか?」
問いかけと同時に紅葉の左目が煌めいた。
映し出された姿に、耀の胸がどくんと高鳴る。
「朱炎様!」
「おやおや……良い顔をしおって」
色めき立つ状況に嗤わずにはいられない。紅葉はまるで耀の心臓を狙うかのように胸に指を滑らせていた。
そして、軽く爪を立てながら「この辺り……」と。
「――っ!」
整った爪が白い肌をうっすらと割いた。
小さな傷から流れる赤は、ねっとりと舐め上げられる。
その度に小さな吐息が漏れていた。
土で作られた肉体に、鬼の血が流れ込んでいく。
鬼女紅葉は完全なる鬼として、この日、華麗に復活した。
一方、結界の外では火土丸と紅土が互いに顔を見合わせていた。
頷く二人。
今まさに土に潜り、結界の中に侵入しようと――。




