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  作者: Yonohitomi
二章
155/167

46.共生の地と耀の過去(9)



 轟く爆音と火の粉が乱舞する中――。


「……私の元に来ないか」


 異様なほど静かに響いた。


 


 耀は答えられない。

 赤い光が乱反射し、泥に伏した身体を起こすことすらできず、ただ見上げるばかりだった。

 瞳は朱炎に縫いとめられ、思考は凍りつき、唇は固く閉ざされたまま。


 止まらぬ出血が体温を奪い、震えの理由が恐怖なのか寒さなのかも分からない。


 一歩。二歩。

 朱炎が近づく。


 耀は反射的に身を竦ませた。視線を逸らすことは出来ない。


「……耀」


 影が覆いかぶさり、次の瞬間、強靭な腕がその身体を支えた。


「……人間との関わり方を、教えてほしい」


 命令ではなかった。 

 これは、望みか?


 心の奥を揺さぶる言葉だった。

 自分は必要とされているのか。差し伸べられた手は救いなのか、それとも新たな鎖だろうか。


 答えの出ないまま、思考は混乱を深めていく。




 

❋❋❋





 朱炎は耀の蒼白な顔を見下ろし、震えの理由を一瞥で読み取った。


 ――血を流しすぎて冷えている。


 彼は耀を抱き寄せた。

 なんとも鬼とは言い難い。 

 髪についた煤を払い落とそうとして、ふと己の仕草に苦笑を漏らした。


(……厄介なものを拾おうとしているな)


 そう思いながら、朱炎は耀を抱き上げた。

 燃え落ちる屋敷を背に、悠然と去る。




 腕の中の拾い物――だが、生きている。

 荒い呼吸の隙間には小さな安堵が見え始めていた。


 やがて耀の意識が沈む。腕にずしりと重さが加わった気がした。

 これは預けられたのか、預かったのか。身か、命か。


 朱炎は妙な感覚を覚える。


(本当に、厄介なものを拾ったようだ……)


 


 その夜。

 朱炎は適当な廃屋を見つけて宿とする。

 瀕死の耀を横たえると、ここで自身の血を与えると決めた。


 ――血の儀式。


 朱炎の力を分け与えるということ。

 弱い鬼であれば、一瞬で悪鬼に堕ちる。


 だが――。


「……お前は悪鬼にはならないだろう」


 確信めいた呟きと共に一滴を垂らした。

 この一滴が世界を変える。傷は瞬時に癒え、失われた血肉が蘇る。


 耀は身体を弓なりに反らし、声にならぬ悲鳴と共に手を伸ばした。

 すぐに朱炎はその手を掴んだ。


「耐えろ」


 暴れる身体を強く抱きとめ、耳元で繰り返し囁いた。


 やがて、絶叫。

 どんな責め苦にも声を上げなかった耀が激しく呻き続ける。


 日が昇り、日が暮れる。


 朱炎は「耐えろ」と唱え続けた。


 


❋❋❋


 


 耀は悪鬼には堕ちなかった。

 数日の深い眠りののち、目を覚ました。身体は完全に回復していた。


 朱炎は確認するように耀の身体に触れ、その反応を観察した。

 びくりと身体を強張らせるのは恐れゆえか。心は固く閉じたまま。


 まだ過去を引きずっていることが分かる。

 身体は癒えても、癒えぬ傷が残っていると。


 ――ならば試そう。

 この者の過去の記憶が残る場所で、壊せるかを。


「……人間との関わり方を、教えてほしい」


 朱炎は耀の目をまっすぐに見つめ、改めて伝えた。


 見開かれた青藍の瞳。わずかに揺れたのを見逃さなかった。

 これらは全て計算通りだ。


 朱炎は父・閻王を超えるため、人間をも支配する力を望んでいた。

 そのために知を持つ鬼を手に入れ、血と共にその力を喰らおうとしている。

 そして、耀こそ、その器。




 長い沈黙ののち、耀はかすれた声を絞り出す。


「……私の故郷は、人と鬼が共に暮らした地。あの場所へ戻れば、人と交わる術が……まだ残っているかもしれません」


 朱炎の瞳が鋭く光った。

 予想通りの答えであった。


「では、その地へ向かう。案内してくれ」




❋❋❋




 二人は新たな旅路を定め、廃屋を出た。


 夜の森を進みながら、ときに清らかな滝に手を浸し、草木の囁きに心を委ねる。水の冷たさと森の静けさを味わう、趣のある旅となる。


 陽のないうちに多く進み、明るくなれば影に隠れた。

 影で確認すべきは耀の身体だった。

 身体と心が結びつかない現象に、羅刹の影響力を垣間見た。朱炎は耀の中から羅刹を完全に排除したい。

 やはり壊すしかないと確信し、また日が暮れると森を進んだ。


 曖昧な記憶を頼りに歩む耀。自然を読みながら進む姿からは、知性とどこか品のある気配を漂わせていた。

 その滲み出る佇まいは、朱炎の興味を大いに擽る。


 

 やがて辿り着いた耀の実家。

 酷く荒れ果てていた。時間が止まったかのように。

 喰羅族の襲撃を物語る爪痕が、無数に残ったままだった。


 焼け残った柱、崩れた壁、散乱する破片、風化した血痕。

 すべてが惨劇の残響だ。


 胸を締めつける痛みに耀は立ち尽くす。

 朱炎は耀に構うことなく屋敷を見渡し、迷わず中へと踏み込んだ。


 耀も静かに後を追う。

 



❋❋❋




 屋根のない部屋に差しかかった。

 耀は足を止めてしまう。


 ――ここに隠れていた。


 記憶が蘇り、急に吐き気に襲われた。

 目を閉じ、耳を塞ぎ、脳裏に浮かぶ過去の記憶から逃げ回る。

 柱や壁にぶつかりながら、倒れるまいと必死に耐えた。


 そこへ朱炎が戻ってくる。

 無言で耀を見据えていた。


(やはり、厳しいか……)


 朱炎は自らの右手を見つめ、ひとつの決断を下す。

 耀の肩を掴み、強引に振り向かせた。


「ここは、お前を喰らうに相応しい場所だな」


「…………そんな」


 青藍の瞳は激しく揺れた。

 朱炎はここでも愉悦を感じた。だが、表情は崩さない。


「どうした?」


「……ここで……私を……ですか?」


 耀は恐怖と諦念を滲ませたような声で朱炎に問うた。無言である。

 やがて耀は目を閉じて、その場にて膝を折った。


「……どうぞ、朱炎……様……」


 朱炎が一歩踏み込んだ。耀の身体を引き上げる。

 脱力し切った身体は、どうぞ好きに召し上がれと、抵抗の一つもない。

 しなやかに反る喉元は、まるで美しい供物のようだ。




❋❋❋




 ここで、終わるのか――。


 耀の胸が痛む。これまでの絶望の記憶を全て凌ぐほどに深く痛んだ。

 一瞬でも救われたと思ったのかもしれない。だからこそ、なぜと問いたくなった。


 この方の元なら生きられるかもしれない。そんなわずかな望みを抱いていたのではないかと、ここで気づく。


 だが、殺される――。

 家族が死んだこの場所で。


(……そうか、朱炎様は……)


 ここで死ねと、計らってくれたということだ。

 実にありがたい話だと、胸を痛めながら思い直す。

 言い聞かせるしかない、自らに。




 薄目を開け、朱炎を見た。


 鬼の本能を剥き出しにしたその姿。瞳は紅く発光し、口元に極太の牙を覗かせていた。

 

 耀は緊張のあまり息を呑む。

 皮膚を突き破られる瞬間を想像し、なぜかぞくりと粟立ってしまう。


(朱炎様……)


 牙が、首筋に触れ――


 身体が硬直する。


「……っ……」


 鋭い痛みが走った。

 しかし、想像していたような行為と異なる。


 流れ出す血を舐め上げられ、舌が這う感覚に身体が震えた。


 力が抜けて崩れる身体。

 それはしっかりと支えられる。その腕に温もりがあり、手つきに優しさがあった。


 殺されるのではないと分かった。

 恐怖と苦悶は反転し、捧げることが快楽へと変わっていく。


 甘美な感覚に体を囚われ、耀は抗う力を完全に失った。




❋❋❋


 


 朱炎の牙が滑らかな肌を何度も貫く。

 その度に耀は鼻にかかるような吐息を漏らしていた。


「…………しゅ……え……さま……」


 やがてぐったりとした耀が声を絞り出した。

 朱炎は耀の頬に手を添える。


「どうした、限界か?」


 そう言い終えると、右手を上げた。

 屋敷に火が放たれる。


 乾いた木材が轟々と燃え、炎は瞬く間に広がった。


 動けずにいた耀だったが、この展開には驚きを隠せない。人との関わりを探すために来たのではなかったのかと、声にできない代わりに朱炎の着物を掴んでいた。


 朱炎は耀を抱きしめ、低く答える。


「構わぬ。気が変わった」


 ――なぜ?


 耀は眉根を寄せて朱炎を見上げる。

 朱炎はさらに言葉を重ねた。


「過去にこだわる必要はない。私が見ているのは、もっと先だ」


 そう言って耀を抱えて外へと連れ出す。


 少し離れた茂みのあたりで腰を下ろし――


「よく見ておけ」


 耀の顎を掴み、燃え盛る屋敷を正面から見せつけた。


 それは、過去を焼き尽くす炎だった。

 耀が目を逸らすことは許されない。


「お前の過去は、ここで終わる」


「…………」







 言葉を失ったまま、炎を見つめ続ける耀。

 耳元に囁かれた言葉は残酷でありながら、不思議な温もりを帯びていた。


 だからこそ本当に、ここで終わったのだと理解した。

 耀は朱炎の腕の中で、かすかに頷く。



 ――この方に、恩を返さねばならない。いつかこの地に戻らなければ。


 

 人と鬼の共生の地。




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― 新着の感想 ―
影が覆い被さって腕で支えられる……もう抱かれてるのか\(//∇//)\ お姫様抱っこのあのイラストでしょうか。 血を与えられて悶えてる耀。 耐えろってあらあら\(//∇//)\ 回復したら触りまくる…
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