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  作者: Yonohitomi
二章
154/167

45.共生の地と耀の過去(8)






「ならば、私が出向いてやろう」


「…………」


 青髪の鬼が顔を上げた。

 その瞳には驚愕と畏怖、抑えきれぬ動揺が渦巻いていた。


 朱炎の口端が愉悦に歪む。


 ――そうだ。その顔だ。魂を揺さぶられたかのような、その表情が見たかった。


「立て」


 空気を引き締めるように強く放たれた短い命令。周りの鬼達は、何かを悟ったかのようにそそくさと気配を消した。


 残された青髪の鬼は、命令に従おうと膝を立てるがうまく力が入らない。

 体力的な問題か、それとも何か、恐れているのか。

 

 視線も泳いでいる。術が解かれた今、自身の意思で主の元に戻るには不安が大きいのかもしれない。


 朱炎はしばらく待っていた。


 やがて青髪の鬼が自身の足で立ち上がると、朱炎は「案内しろ」と命じた。

 返事は無く、反応も悪い。歩き出すまでにも時を要したが、朱炎がそれを責めることは無かった。


 青髪の鬼に前を歩かせ、朱炎は背後から静かに歩を合わせる。

 夜の森を静かに進んだ。

 ざわめく葉の音も今夜は小さい。


 その静けさを破ったのは朱炎だ。


「なぜ……お前のような者が喰羅にいる」


 突然の問いに戸惑う青髪。朱炎はその艶のない青髪を見て目を細める。


「その髪、その眼。お前は喰羅の血ではあるまい」


 朱炎が追及するも、返るのは沈黙だけ。


「言えぬか……」


「…………」


 また二人はしばらく歩いた。しかし、川に近づき、さらさらと水の流れる音に乗せて、途切れ途切れの呟きが聞こえる。


「……殺……されて……残った、一人……自分が……」


 まるで自分の意思で口を動かしたのが久方ぶりというように、話しづらそうだ。


 朱炎はこれを機に、問う。


「どこの出身だ?」


 朱炎が最も尋ねたかった事である。

 青髪の鬼は足を止めた。遠くを見ている。

 朱炎も続いて足を止めた。

 やがて青髪の鬼が口を開く。


「……人と鬼…………人と鬼の……地で……」


 朱炎は続きの言葉を待っていたがそれ以上は話されなかった。


 だが、これで確信した。

 目の前の鬼は、朱炎が欲していた鬼である。 


 かつて耳にした、特異な鬼一族がいた事を。


 人間の貴族と交流し、勢力を広げた一族。

「鬼の貴族」と呼ばれ、少しばかり有名であった。


「知性」を培い、受け継ぐ青鬼一族。

 朱炎はかつてこの「知」の鬼を喰いたいと思っていた。

 しかしその一族はいつの間にか途絶えたと聞いた。


 だが、今、目の前にいる鬼は間違いなくその生き残りだ。


「名は、なんと言う」


 朱炎が、青藍の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「……耀……と……申し、ます……」








 薄暗い森の中。


 耀は羅刹の元に戻る道中、何度も後ろを振り返っていた。朱炎の存在を確認するために。


 その度に、ぎらりと光る赤い瞳。

 目が合えば、耀は唾を飲み込んでいた。


 やがて、木々の間から屋敷の影が現れる。喰羅族の屋敷だ。


「こちらです…………」


 しかし、耀が振り返り、声をかけた時――

 朱炎の姿はそこになかった。


 茫然と立ち尽くす耀。胸に、冷たい痛みが広がる。


(……やはり。そうか)


 怒りよりも深い悲しみに囚われた。

 耀は全てを諦めて、一歩、屋敷の庭へと足を踏み入れた。


 ――任務に失敗した。

 おそらく酷い折檻を受けるだろう。

 けれど、それももう、いつものことだ。




❋❋❋




 バサッ――


 耀の身体が、投げ飛ばされて庭に転がる。


 視界がじわりと赤に染まった。

 生暖かな血が頬を伝い、目に入り込んだ。拭う力もなく、耀はただ瞼を閉じた。


 羅刹からの体罰など、日常の一部に過ぎない。

 だがこの日の打擲は苛烈を極めていた。


 すぐ癒えるはずの小さな傷すら疼き続け、身体の自由が奪われていく。


 意識は遠のき、世界は揺らぐ。

 死ぬだろうか――ああ、死ねるかもしれない。そんな思いさえよぎる。


 途切れては繋がる曖昧な意識の中で、夢か現実か分からなくなっていった。




❋❋❋




 朱炎は森の茂みに身を隠していた。

 

 喰羅族、羅刹。醜悪だが強さはあると聞いていた。


 ――さて、どれほどの相手か。


 朱炎はそれを見極めるために、気配を消して観察していたのだ。


 そして見た。予想通りの展開であった。


 庭先で頭を下げ続ける耀に、羅刹が体罰を加えている。ただ適当に殴る蹴る。何やら武器で差しまくる。

 そのやり方は美しさの欠片もない。


 朱炎は羅刹の粗雑な責め方に、腹を立てた。あの素材であれば、もっと美しく痛めつける事ができるだろうにと。


 また、拘束も無いのにひたすらに体罰を受け入れる耀も煩わしく思う。大人しく平伏したまま、抵抗もせず、全てを諦めたような表情を見せている。


 これでは何一つ、面白くない。


 さらに、羅刹以外の鬼達までもが手を出す始末。

 このままでは耀が死ぬと分かる。


 ――死なせるものか。


 耀が意識を手放した頃、朱炎はその姿を現した。

 羅刹の動きが止まり、周りの鬼達が息を呑む。


 凄まじい圧を放つ、朱炎。


 羅刹は「ほう?」と興味を示した。


 朱炎が告げる。


「なぜ失敗と言える?」


 朱炎の声が、夜気を裂くように低く響く。


「私はこの通り、攫われてここに来ているが? この者の働きを褒めるべきではなかろうか?」


 羅刹はわずかに眉を動かしたが、すぐに口角を吊り上げる。


「……これはこれは朱炎殿、名の知れたお方と、こうして言葉を交わせるとは、羅刹一族の誉れよ」


 朱炎はゆるりと目を細めた。


「……羅刹よ。強き鬼の血を欲するのは鬼の性だ。私もお前を喰らうに値するかもしれぬと確かめに来てやった」


「……あ?」


 羅刹の牙が、がたりと動く。

 朱炎は軽く首を傾け、吐き捨てるように言葉を落とし続ける。


「力はあろう。だが、品がない。下卑た笑いに、粗雑な振る舞い。そのような者を喰らう気にはなれぬ」


「……なんだと」


 羅刹の顔がぴくりと引きつる。

 朱炎は淡々と続ける。


「阿呆を喰えば、己も阿呆になる。私は下劣なものを口にする趣味はないのでな」


「……ふん、減らず口を。朱炎よ、よく聞け! 我に呑まれるのはお前の方だ!」


 朱炎はわずかに口角を上げた。


「……良かろう、ならば――」


 その声音はあまりにも静かだった。


 刹那、朱炎の影が一閃した。

 朱炎は距離を詰め、羅刹の口腔へ拳を突き入れる。


「喰えばいい。お前が欲しているのは私の力であろう?」


「……なっ」


「ああ、存分に喰らえ」


 愉悦に濡れた声音とともに、朱炎は自らその拳を切り離した。

 羅刹は咄嗟に飲み込み、次の瞬間――


 絶叫した。


 膨れ上がる肉体。血管が裂け、皮膚が破れ、異形へと変貌していく。

 耐えきれぬ力に呑まれ、羅刹は瞬く間に悪鬼へ堕ちた。

 手下の鬼たちが次々と喰われる。

 悲鳴と怒号、肉の裂ける音が屋敷を満たした。


 朱炎はただ静かに愉悦の笑みを浮かべていた。

 切り離した手首は、もう完全に復活している。






 


 屋敷全体が、戦場のような騒然に包まれていた。

 気を失っている耀の耳に届く。


(……何が……起こって……)


 耀が重い瞼をこじ開ける。

 曖昧な意識の中、ぼんやりと視界に映るもの。


 そこに立っていたのは――


 あの朱炎。


 まさか本当にこの場に来たのかと疑う。

 確かに共にこの屋敷を目指したが、幻覚のようにも思えていた。


 伝説と恐怖の代名詞、朱炎。


 その実体が、目の前にある。

 紛れもなく本物。


 朱炎の視線の先では、羅刹が狂乱している。悪鬼に堕ちたその姿は、配下を喰らい、屋敷を破壊する獣そのものだった。


 そして、それを見つめる朱炎は――。


 静かに笑みを漏らしている。

 いや、愉しんでいる。


 地獄を見物するかのように。




 耀は震えた。痛みのせいではない。本能が、命の根源が震えてしまう。


(……この鬼は……何者だ……)


 強さだけではない。

 まるで運命そのものを手にしているかのような、絶対の存在。




 朱炎が片腕を掲げた。

 炎が爆ぜ、屋敷全体を呑み込む。


 炎光に照らされたその顔は――。

 まるで、神のようだ。

 破壊と支配を司る、恐るべき神の(すがた)


「よく見ておけ。お前の主の最期をな」


 遠くから響いた朱炎の声。

 耀は朱炎の視線の先を見る。


(……最期)


 豪炎に覆われた羅刹は断末魔を上げている。

 屋敷全体が炎に囚われ、逃げようとした者も炎が絡みつくようにして逃さなかった。






 やがて朱炎が耀に振り返る。

 炎の渦を背負い、悠然と立つ姿は揺るがない。


「…………」


 耀は声を失い、泥に伏す。


 朱炎は眼を細め、低く告げた。


「私の元に来ないか?」


 轟音と火の粉の中、その誘いはひどく静かに落とされた。

 耀はただ恐怖に凍りつき、答えることができなかった。


 

  

 

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― 新着の感想 ―
そうだ、その顔だっていうの好き\(//∇//)\ 案内するように言われてうまく立てない耀。ん? すでに生かされた?(違 耀は知性の鬼で朱炎様が求めていたのですね。耀が欲しい\(//∇//)\わぁー♪ …
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