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魄  作者: Yonohitomi
一章
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21.宿命の閾



「やっと……帰ってきた」

 屋敷へたどり着いた蓮次は、ようやく息をつく余裕を得た。

 足取りはおぼつかなかったが、それでも帰り着いた安心感が、身体の重さをほんの少し和らげてくれる。


 門番のひとりが蓮次の様子に気づき、驚いて駆け寄った。

「蓮次様、お怪我が……!」

 彼は蓮次の腕を支え、「すぐ手当てを」と慌てふためく。しかし、蓮次には傷よりも先に確かめたいことがあった。


「父上は? どこに?」

 すぐに報告したい。誉め言葉を、ただ一言でも受け取りたかった。

 その時、談笑する父と兄弟たちの姿が見えた。

 胸の奥で、小さな灯がぱっと灯る。


「父上!」

 蓮次は支えられた腕を振り払い、広間へ駆け出した。

「鬼を……二体、倒しました!」

 その声は屋敷中へ響き、その場にいた者の動きが止まる。

 空気が張り詰めた。


 家長は蓮次へ視線を向けたまま、しばし沈黙する。

 やがて落ち着いた顔つきで、実子たちに「部屋へ戻れ」と静かに言い含めた。

 そして、蓮次には淡々と告げる。

「蓮次、報告はあとで聞こう」

「……はい」

 

 期待していたような父の反応は無かった。 

 蓮次は一瞬息を呑む。

 父の冷静な態度に戸惑いを覚えた。


 報告を喜んでくれると思っていた。

 父の反応の無さに、心を締め付けられる思いだった。


「申し訳……ありません」

 小さな声で謝罪した。褒めて欲しかったという期待は虚しくも霧散していく。


 周囲にいた大人たちは、疲れきった蓮次の姿を痛ましく見つめた。


 近くにいた男は蓮次を支え、部屋まで連れて行く。

男は言葉にせずとも、蓮次の小さな背中に積もる孤独を感じ取っていた。



***



 手当てをされた蓮次は布団に身を沈め、思考する。

 なぜ父上は喜んでくれなかったのだろう?

 胸にこみ上げる切なさを、ただ飲み込むしかない。

 夜の闇が深まるほどに、家の中はひっそりと静まり返っていく。


 柱の隙間から漏れる灯りはいつの間にか消えていた。月明かりが薄い雲に遮られながら、微かに地を照らした。風が揺らす木々の音が耳に届き、遠くで虫の声が儚く響く。

 冷気が部屋の隙間から忍び込み、蓮次の体をそっと包んだ。


 蓮次は、胸の中で渦巻く悲しみを抱えたまま、目を閉じる。

 いつしか彼の呼吸は穏やかになり、疲れ切った小さな体は布団の中で眠りについた。


 しかし、その安らぎは束の間のこと。


 突然それは断ち切られた。 

 何か、鋭く襲い掛かってくるような圧迫感。

 殺気――それ以外の言葉が見つからない。

 蓮次は目を見開き、薄闇の中で身を起こした。


「…何だろう、これは…?」


 蓮次は声を震わせながら、部屋を見渡した。

 暗闇の中、微かに感じ取れる重苦しい気配。

 ふと、父の気配もその中に混ざっていることに気付いた。


(えっ……)


 蓮次は言い知れぬ恐怖に、胸を押し潰されそうになった。


「父上…?」


 かすれた声が、思わず唇を突いて漏れる。しかし、誰も答えはしない。

 父が、自分を囲むこの殺気の一端にいる。

 それを理解したとき、蓮次は心の底から悲しみを感じた。

 まさか、自分が疑われ、始末されるような存在になってしまったのか?

 目の奥がじんと熱くなり、胸の痛みがさらに深まった。


 昼間、何も考えず広間で報告したのがいけなかったのだろうか?

 考えても答えは出ない。聞きたいのに、父は刃を向けている。


 親密ではなかったかもしれない。けれど家族の温もりは感じていた。

 父は夜遅くまで稽古に付き合ってくれていた。

 兄弟とも良好な関係を気付いていたはずだ。


 なのに――


「どうして、どうしてなんだ!」


 蓮次は肩を抱くように膝を抱え、身を小さく縮めて震えた。

 父の期待に応えようと、ただ信じて生きてきた彼には、この状況は理解できない。


 誰も信じられない、誰も頼れない。

 そんな孤独が冷たい刃のように突き刺さる。


 しかし、突然、別の異様な気配が蓮次の感覚を刺激する。


「今度は、なに!?」


 その気配は、屋敷の者たちが放つ殺気とは異なり、冷酷で重々しい。

 確実に「人間ではない」ことが蓮次には分かった。


「これは……鬼だ!!」


 蓮次は驚愕と恐怖で息を飲んだ。

 その気配は、屋敷の殺気を吹き飛ばすような圧力で、こちらに一直線に迫ってくる。


 自分の身に何が起きているのか理解できないまま、部屋の中央で小さく身を屈め、不安に押し潰されそうになっていた。

 鬼の気配は容赦なく、そして確実に近づいてきている。


 やがて――

 静寂は怒号へと姿を変えた。


 外では怒号と悲鳴が響き渡り、刃が交わる音が鋭く空 気を裂いた。


 蓮次は唇を噛みしめたまま、部屋から動けずにいた。戸の向こうで、何が起きているのか。

 入り乱れる気配で想像がつく。

 けれど意味が分からない。


 屋敷の者に狙われたと思ったら、突然鬼がやってきて戦いを始めた、なんて。

 何のために、この屋敷で戦いが繰り広げれているのか。


 外の気配がさらに激しさを増し、鬼たちが次々と襲撃を始めている。

 蓮次の部屋を取り囲んでいた者たちが一人ずつ沈黙の中に消えていく。

 そして最後に、父の叫びが響いた。


「やはり……あの子は災いを呼ぶ子だったのだ!」


 胸の奥に鈍い痛みが走る。

 蓮次は戸をわずかに開き、外を見た。

 父が立ち尽くしている。

 その真正面には、黒髪の長い、威厳に満ちた鬼の姿。


「お前が拾ったのだろう?」

 低い声が夜を切り裂く。


 父は言葉を失い、後ずさる。鋭く光る真っ赤な鬼の目が父の動きを封じている。


 次の瞬間、鬼はためらうことなく父にとどめを刺した。

 短くも静かなー閃が走り、父は崩れ落ちる。

 肉塊が地面に転がる。


 父が――殺された。

「父上ぇぇええ!!」


 蓮次は一歩踏み出した。

 けれど次の一歩で足が止まる。


 先ほどの鬼の言葉が頭の中で反響する。


『お前が拾ったのだろう?』

 鬼の言葉が頭の中で反響する。


 その言葉に胸の奥が鈍く軋んだ。

 自分が「拾われた子」だという現実が、冷たく流れ込んでくる。


 すべてが崩れていく。蓮次の心は絶望に覆われた。

 目の前に横たわるのは、家長――父の姿。


「父上!!」

 蓮次は叫び、戸を押し開けて駆け出した。

 父だと思っていたその人に向かって叫び、両手を伸ばす。

 しかしその手が届く前に、思い出してしまう。


 父だと思っていたその人から「災いを呼ぶ子」と言われた事を。

 家長の時折見せる冷たい表情、あの違和感が、この時、ようやく理解できた。


 胸に突き刺さる痛みと、耐え難い孤独感に押し潰され、蓮次はその場で崩れ落ち、声を上げて泣き叫んだ。


 

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