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  作者: Yonohitomi
二章
147/167

38.共生の地と耀の過去(1)



 小径を抜けると、木立の影がふっと途切れて視界がひらけた。

 そこにひっそりと佇む古びた屋敷。耀にとっては、見覚えのある建物。


(……懐かしい)


 耀の祖父と人間の貴族が協力して建てた隠れ処だ。

 長い時を経てなお、その骨格は優美と威厳を保っている。


 耀は幼いころ祖父に連れられて何度か遊びに来たことがある。貴族は別荘として使い、鬼は遊戯の場として使った。

 鬼と人とが交わる稀有な建物であった。


 だが今はもう、人気の気配もなく、空気が澱んでいる。柱の木肌は痩せ、庭の苔はしっとりと湿りきり、生命の巡りが停滞している。


 耀は柱に手を当てた。

 木肌は冷たく、力を失ったように乾いていた。


(……気の流れが途絶えている。)


 掌に感じる虚ろさに、胸が少し痛んだ。


 耀は目を閉じて、意識を掌に集中させる。水の気を送るために。


「うわぁ……広ぇ!」


「すごい……! ここに住んでいいの?」と、背後から、駆け込んでくる二人。

 火土丸が弾む声をあげて屋敷に飛び込む。紅土も続いた。


 次の瞬間、耀ははっとした。

 掌に感じる。

 木の幹が――かすかに脈打つ感覚。


(……?)


 気づけば、屋敷全体が息を吹き返すように、じんわりと力を帯び始めていた。

 紅土と火土丸。二人の土の気を感じて、木々がそれを吸い上げたかのように。


(……まさか)


 水が木を育てる。木は土から養分を得る。三つの気が交わり、枯れかけた屋敷に再び息が通り始める。


(朱炎様……あなたは、ここまで読んでいたのか?)


 朱炎の指示――火土丸と紅土を同行させたのには理由があった。その意味の一端に気づく耀。なぜか耳が熱を帯び、昂る気持ちを抑えられない。


「朱炎さま……」と小さく口にして、気を鎮めた。





「耀! ここ、いいな! 涼しい!」


 耳に飛び込んでくる火土丸の無邪気な声。

 火土丸が床にごろんと寝転ぶと、紅土も隣に転がった。


「……ここなら涼しい……もう動きたくない……」


 耀はわずかに口元を緩めた。その後、二人に告げる。


「少し休んだら……掃除を頼む。ここは朱炎様と紅葉様の旅の宿となる。綺麗に整えておかねばならない」


 二人は顔を見合わせて「えーっ」と声をあげたが、結局逆らわずに頷いた。


 耀は続ける。


「私は次の場所へ行く。……すぐに戻る。この場所から離れぬように。いいな?」


 火土丸が元気よく手を振る。


「わかった! 耀、はやく戻れよ!」


 紅土はあくびをしながら小さく「……気をつけて」と呟いた。


 耀は静かに頷いて、屋敷を後にした。再び山の奥へと歩み出す。






***





 一方その頃。


 烈炎は、蓮次を脇に抱えたまま、結界の外へと足を進めていた。


「おい蓮次。目ぇ開けとけ。自然ってやつを見せてやる」


 少年はぐったりと腕の中に収まり、目が虚であった。

 烈炎は呆れてため息をつく。


(……ったく、どうすんだよ、こいつ)


 朱炎に「虫でも見せておけ」と命じられたとき、烈炎は思わず心の中で舌打ちしていた。


(……雑すぎんだろ。全くよ……)


 仕方なく、苛立ちながらも探してみる。


(お?)


 ふと、ちょうどいい光景を見つけた。

 一匹の虫が、別の虫に食いつかれている。もがいて、羽音を立てている。


 烈炎は蓮次を降ろし、指で示した。


「見ろ。食うか食われるかだ」


 蓮次の瞳が、その場面をぼんやりと映す。

 羽が食い破られ、命が吸われていく。


 その時。

 森の影から小鳥が舞い降り、喰われかけていた虫をひと呑みにした。


「……っ」


 蓮次の肩がわずかに震えた。

 烈炎はその反応を見逃さなかった。


「そうだ。弱けりゃ食われる。それだけだ」


 小鳥が狙うもう一匹の残りの虫。烈炎はそれを掴み上げ、鳥が嘴を伸ばす前に放り投げて逃がした。鳥は烈炎の手が伸びた時点で飛び去っていた。


「けどな――強けりゃ、助けることだってできる」


 蓮次の瞳が大きく見開かれた。

 その中に、わずかな光が宿るのを烈炎は確かに見た。

 少年の黙り込んで考えている姿は、変化を物語っているようだった。


 烈炎は蓮次の頭に手を置き、目を真っ直ぐに見て言い聞かせる。


「いいか、よく聞け。弱い奴から死ぬ」


 蓮次が目を逸らした。


「生きてる奴らは全部死ぬ」


 蓮次が耳を塞ごうとしたのを、烈炎は止める。


「けど――鬼は強ぇんだ。鬼ってのは、そう簡単に死なねぇよ。特に、朱炎一族の鬼はな」


 一瞬の間を置いて、はっとした蓮次が烈炎を見上げた。


「……じゃあ、それって」


「おう、なんだ?」


「火土丸と……紅土も……死んでない……?」


 烈炎は一瞬黙り、口の端を吊り上げた。


「さぁな」


 得意げな笑みを蓮次に見せる。

 すると蓮次は小さく頷き、再び森の奥を見つめた。 その横顔は、先ほどよりもはるかに生気を帯びている。


「へぇ……いい顔になったじゃねぇか」


(なぁ、朱炎! 俺様に感謝しろよな!)


 虫だけでここまで教えられる自分は凄いと自画自賛する烈炎は、その後も蓮次を連れて歩き回った。

 蓮次はもう、自分の足で大地を踏み締める事ができている。


「よし、もっと奥まで行くか!」


「うん!」


 木々のざわめき、川の音、夕陽に照らされた緑。この美しい景色の中には、残酷な弱肉強食が潜んでいる。

 捕食と逃走――。


 命が交錯する場面に何度も遭遇したが、蓮次はもう目を逸らさなかった。


 やがて陽は落ちて森に影が満ちる。


「そろそろ戻るぞ。真っ暗になる前にな」


 蓮次を抱えて屋敷へと急ぐ烈炎。途中、蜘蛛の巣に捕らわれた蝶を見かけた。


 蜘蛛が糸を絡め、蝶は必死に羽を震わせている。


 烈炎は舌打ちをした。

 その光景に朱炎と耀の姿が重なったからだ。


 狡猾な蜘蛛に絡め取られ逃れられぬ蝶。


「……勝手にやってろ、クソが」


 烈炎のぼやきに、蓮次が小首を傾げる。


「……なに? 何かあるの?」


 烈炎はすぐに蓮次の頭を軽く抑え、


「お前は見なくていい」と、足早にこの場を去った。


 蜘蛛と蝶は、夜の森に呑まれるのだろう。





***




 その頃、耀は寄り道をしていた。

 辿り着いたのは、己の過去に繋がる地。


 この場所で生まれ、幼少期を過ごした。だがここにはもう何も残っていない。


 全て燃やされた。


 焦げ跡すら風雨に削られ、ただ荒れた大地が広がるばかり。


 耀は目を伏せる。


(……ここで死んだも同然。そして私は、生まれ変わった……はず)


 無意識に左耳へと手が伸びた。つい、“朱炎の針”に触れてしまう。


(朱炎様……)


 だが――立ち止まってはいられない。胸に去来するものを振り払うように息を吐き、耀は顔を上げた。




 本来の目的地――洞窟を抜けた先の隣村。


 かつて、この辺りを震撼させた強い女鬼がいた。その鬼がまだどこかに居るのならば――見つけなければならない。


 人と鬼の、未来のために。



 

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― 新着の感想 ―
土と水なんですね、おお…… 耳に熱ぅー\(//∇//)\ はいここで「朱炎さま……」の平仮名「さま」いただきましたっ\(//∇//)\ あのお顔ですね(ニヤ あ、今度は烈炎!……と、蓮次くん。 虫で…
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