37.旅の準備(12)
森の奥へと、耀は進む。
背後には遅れがちな二人の足音が続いている。
(本来なら、もう到着してもいいはずだが……)
耀は背後を振り返った。紅土は枝を踏み外してよろめき、火土丸も汗を浮かべながら必死に後を追いかけている。
二人の歩みが遅いのは仕方ない。鬼の身体能力は高いが、疲労が溜まると思うように動かなくなる。
ましてや二人はまだまだ幼い。
耀は二人を待ちながら、どう進むべきか思案する。
視線を目的地の方角、山奥へと向けた。
(……この目は、今、朱炎様の目になっている。)
左耳に埋め込まれた“朱炎の針”が、微かに熱を帯びている。
その熱が意識の底に広がるたび、自分が映す景色が朱炎へ届いているのだと理解させられる。
(この目に映るものは、朱炎様にとって必要な情報でなければならない……)
朱炎に伝えなければならない情報は二つ。
ひとつは、目的地までの最短距離と所要時間。
もうひとつは、目的地までの道のり。映像として風景を映し、道順を示さなければならない。
そのためにどの道を選ぶべきか。
最短だが異形が巣食う危険な道か。あるいは、遠回りだが景観が良く、癒やしの旅に適した道か。
耀は火土丸と紅土を見た。
そして、結論を出す。
(異形の森を抜ける道は、あの子達には厳しいだろう。なら、今は最短を捨てる。景観の良い道を。異常時の経路は、帰りに一人で測ればいい)
決断を下し、耀は柔らかな木漏れ日が差す小道へと進んだ。
「……こっちだ」
声をかけると、火土丸が元気よく「おう!」と応じ、紅土は息を切らしながら「……はぁ、やっと……」と呟いた。
***
その頃、屋敷の一室。
蓮次は座り込み、背を向けたまま動かない。
「蓮次……?」
背後から紅葉が声をかける。
しかし、少年はわずかに首を振り返るだけで、また背を向けてしまう。その背中が小さく縮こまるのを見て、紅葉の胸に不安が広がった。
日が傾き、稽古の刻限が来ても庭に姿を見せない蓮次。
しびれを切らした烈炎が、足音も荒く部屋へ入ってきた。
「おい、何してやがる。出てこい」
そう言って蓮次をひょいと脇に抱える。少年の手足は、魂の抜け殻のようにだらりと垂れ下がった。
「おいおい……こりゃ参ったな。」
烈炎が呆れたように笑う。紅葉は、蓮次を心配し、烈炎と共に廊下に出た。
その時。
――廊下の空気が一変した。
視線の先、朱炎が姿を現した。烈炎の表情が一瞬で引き締まる。
「虫でも見せておけ」
低く命じる声。烈炎は「あいよ」と短く答えた。
朱炎は紅葉に向き直る。その瞳は真剣で、一片の揺らぎもない。
「話がある。旅の件だ」
「……はい」
紅葉もまた、真剣な面持ちで応じた。
張り詰めた空気を突くように、烈炎が朱炎に問いかける。
「ちと、結界の外でも連れてっていいか?」
「任せる」
一言。それで全てが許可された。
「よし、行くぜ! 蓮次!」
烈炎は笑顔で声をかけた。しかし、腕の中の少年は相変わらず反応を示さなかった。
***
森の小径。
「耀ぅ……疲れた……もう歩けない……」
紅土がへたり込んで動かなくなる。
「……あと少しだ」
最初は駄々をこねる声に無言を貫いていた耀だったが、予定よりあまりに遅れるため、声をかけた。
紅土の腕を、そっと掴んで引き上げる。
「……仕方ない」
耀はため息を吐きつつ、動かない紅土を抱え上げた。
「火土丸。お前は平気か?」
「へーき!」
火土丸はまだまだ元気で、跳ねるように隣を歩いた。
耀は少し速度を上げて、再び進んだ。
しばらくして。
抱えられた紅土がにやにやと耀を見上げた。
「ねぇねぇ、耀ってさ……朱炎様のこと、好き?」
(…………)
耀の顔は微動だにしなかったが、瞬きの回数がわずかに増える。
「ふふ……ねぇ、何してたの? 朱炎様と……?」
揶揄する声。耀は抱えたまま紅土を見下ろした。作りものの、冷たい笑顔で。
「少し、黙ろうか?」
紅土の背筋に冷たいものが走る。にやけていた顔がすっと消えた。
やがて、森を抜ける風が一層涼やかになる。
(……もうすぐだ)
この森を抜けた先に“あの地”がある。
あの地――かつて、鬼と人とが共に生きた場所。
耀にとっては故郷であり、後に朱炎と紅葉が向かう旅の目的地でもある。
過去と現在が交わり、これからの未来へと続く、鬼への祈りが息づく村。




