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  作者: Yonohitomi
二章
144/166

35.旅の準備(10)



 朱炎の右手が、耀の耳朶に触れた。


 思考する間も無く、柔らかな耳垂にちくりと小さな痛みが走った。それが合図であったかのように、左目の奥から脳天へ突き抜ける衝撃。


「……っ!!」


 思わず声を漏らしそうになり、耀は奥歯を噛み締めた。

 痛みこそ無かったが強い衝撃によろめいてしまう。


 心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。

 揺らぐ視界を押さえるように、そっと左目に手を添えた。


 朱炎は真っ直ぐに耀を見つめている。耳朶へ添えた手を離そうとはしない。耀にはその行為に奇妙な温度を感じ取ってしまう。


「あの……っ」


 思い出したように、耳元にくすぐったさを感じる。


「……朱炎……さま……?」


 戸惑いを隠しきれずに、問うてしまった。

 朱炎の手が、耀の耳から離れる。


「お前の目を借りる」


 その一言に、視界の一部が朱炎に繋がれたのを、耀は理解した。己の目が、自分だけのものではなくなったのだ。


 朱炎は続ける。


「お前なら、すぐに慣れるだろう」


 揺るがぬ支配に侵される悦び。期待を背負わされ、生唾を飲み込む。


 次の瞬間、朱炎がわずかに顔を寄せた。耳元に唇が近づく。ぞわりと背筋を駆け上がる感覚に、耀は再び息を止める。


「急ぎ戻れ……戻り次第、報いをくれてやる」


 囁きは熱を帯びて残響となった。耳の奥に残るその声は、命令か、それとも褒美の予告か。どちらにしても、耀には抗う余地がなかった。


 朱炎の姿は空気に溶け込むように消えた。残されたのは、熱を帯びた耳と、体中に走る余韻だけ。


 取り残された耀は、ふと我に返る。


 耳に残る感覚を振り払うことに集中する。荒ぶる心臓を落ち着かせ、呼吸を整えた。左目の奥は妙に発熱しているが、ただの熱だと言い聞かせる。






 岩肌の下――土に完全に溶け込んでいた二つの影が騒いでいた。


「ね! ね! 見た? ねぇっ!」


 紅土の弾んだ声。興奮を抑えきれない様子だ。

 隣の火土丸は両手で顔を覆っている。


「う、うるせぇ……黙ってろ……!」


 土中で騒ぐ二人。

 耀の耳には擦れ合う土の音にしか聞こえない。

 耀はすでに冷静さを取り戻し、涼しげな表情で振り返っていた。


「……火土丸、紅土。すぐに出発する。今から出られるか?」


 いつもの耀だった。動揺の痕跡は消え、冷徹な任務の声に戻っている。


「はぁい」


「……おう」


 じゃりっと音を立てて、二人が土の中から姿を現した。


「あ、ちょ、ちょっと待って! 準備するね!」


 紅土がばたばたと駆け出し、屋敷の方へ消えていく。

 耀は火土丸に集合場所を教え、紅土と揃って待つように伝えた。


 そして、三人は裏庭の先の森の入口からこっそりと出発した。

 朝の冷ややかな空気の中を、軽やかに進んでいく。


 


 

***





 その頃、蓮次はまだ動けずにいた。


 暴走することはなかった。だが、まるで燃え尽きたように沈んでいた。泣くことも、怒ることもできない。


 日が高くなる前に屋内へと戻された。


 傷ついた手指に布が巻かれる。

 この日も、蓮次の傷はすぐには癒えなかった。


 蓮次は理解していた。母があえて癒さぬのは、自分に自らの力で癒す術を覚えさせるためだと。


 察したのだ。もう甘えていてはならないと。


 休めと言われたが布団に横たわることはあっても、眠りはしない。母にも背を向けたまま。


 紅葉はその背を見守りながら、寂しさと不安を覚えた。

 自立しようとしているならば、受け止めねばならない。烈炎が蓮次を見守ったように、自分もまた、近すぎず遠すぎぬ距離で見届けるしかない。そう、言い聞かせて。





***





 日差しが強くなる頃。

 耀たちは暗く涼しい森を足早に進んでいた。


「しっかりついて来い」


 背を向けたまま、耀が短く言い放つ。


「任せろ!」

「待ってー!」


 火土丸と紅土が順に答えていた。


 その声を背中で受け止めながら、耀はふと、先ほどの出来事を思い出す。


 耳に残る微かな熱。左目の奥にまだ脈打つ違和感。


 ――お前の目を借りる。


 それは朱炎に「繋がれた」ということ。

 己の目に映るものは全て朱炎に届くのだろう。


(恐ろしいな……)


 心の奥で、冷たい波が広がる。だが同時に、微かな熱に疼いてしまう。耀は悟られぬよう、その熱を心の奥へ押し込み、表情を固くした。


 また後ろで声がする。


「待ってー! 耀ぅ! 待ってってばー!!」



 


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― 新着の感想 ―
ちょっと耳タッチだけでそこまで衝撃走るんですかwwww めちゃくちゃ感じててもう\(//∇//)\ よろめくってもう\(//∇//)\ 視界……ん? 世界が表情変えてるレベル? しかもガン見されて手…
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