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  作者: Yonohitomi
二章
138/166

29.旅の準備(4)





 朱炎の切り捨てるような返答に、煌苑はすぐに返さなかった。


 それよりも燈火の頭をガシガシと撫で、「おい、もう一周してこい」と促す。


 朱炎はこの様子を見て察した。煌苑がわざと子を遠ざけようとしている。


 言われた燈火は素直に頷くと、また元気よく森の中を駆けていった。


 煌苑はその背をしばらく目で追い、肩を揺らしながら小さく笑っていた。


 朱炎は黙って待っていた。煌苑の本題は、ここからだと分かっていたからだ。


 煌苑が振り返る。


「……実は、話があってな」


 ようやく口を開いた。さきほどの豪快な笑いが跡形もなく消えて、真剣な色を帯びている。


「……人間に、負けた」


 夜風が静かに二人の前を通り過ぎる。


 朱炎は微動だにしない。


 何も言わずに次の言葉を待つ朱炎に、煌苑は続ける。


「……奴ら、一斉に来やがった。惨敗だったよ」


 朱炎の目が細められる。


「お前ほどの者が……なぜだ」


 その声には驚きよりも、冷静に状況を読み解こうとする探るような思考が滲んでいた。


 煌苑は静かに息を吐き、呻くように言葉を紡ぐ。


「“力”があればどうにでもなると思ってた。それが仇になった。人間は狡猾だ。嘘と罠の使い方を知ってる。……俺たちがそれにまんまと嵌まった」


 朱炎は黙って耳を傾けている。煌苑の語る言葉に、過去の記憶をひとつふたつと重ねていく。


 煌苑の一族が祖父の代から人間と争っていた事は知っていた。それを鎮めたのが煌苑だというのも聞いている。


「向こうから頭を下げてきたんだ。共存のために手を結びたいって……。ああ、信じたさ……でも全部、罠だった」


「…………」


「今の術師どもは鬼退治の腕を上げてやがる。術も、罠も。こっちが気づいた時にはもう……遅かった」


「…………」


「女、子供も殺された。……生き残ったのは、俺と燈火、それに若い男が数人だけだ」


 煌苑は背を向けた。


 肩越しに、消え入りそうな声で言葉を吐く。


「……守れなかった。あいつのことも。燈火は、もう……会えない」


 あいつ――おそらく、燈火の母の事だろう。煌苑が最も愛した者。


 朱炎はしばし黙し、そしてゆっくりと低く口を開いた。


「……男ばかりか?」


「ああ、残ったのはな……」


「では、うちの女を数名譲ろう」


 その申し出に、煌苑は目を見開いたが、すぐにかすれた笑みを漏らす。


「ははっ……いや、そういう話じゃねぇって」


「子を成さねば、お前の一族は絶える」


「お前なぁ……」


「…………」


「俺たちは自由だ。残った若い連中も、好きな相手を選んで子を作る。それでいい」


「それでは力が分散する。強者同士を組ませ、より強い血を残す。それが、一族を守る術だ」


 煌苑は喉の奥で短く笑い、朱炎の横顔を見やる。


「人間と子を作ったお前が、それを言うか?」


 一瞬、朱炎の眉間に僅かな揺らぎが生まれる。だがすぐに言い返した。


「人間ではない。鬼に変えた」


 その口調に迷いはなかった。

 煌苑は追及をやめ、代わりに静かな声音で言った。


「……会わせてやってくれねぇか。燈火に」


 朱炎の目が鋭く細められる。


「何のつもりだ」


「燈火と同じ年頃の子だろ? ……あいつ、明るく振る舞ってはいるが、本当は寂しがってる。まだ一人もいねぇんだ、友達が……」


「今は体調が悪い。無理だ」


 朱炎は間を置いてから、低く静かに告げた。


 煌苑は、朱炎の横顔を探るように見つめ、何かを察したように片眉を上げた。


「……あんまり無茶させんなよ?」


 朱炎はそれに答えない。ただじっと煌苑を見返した。


 二人の間に、再び夜風が強く吹き抜ける。


「とーちゃーん!」


 唐突に、燈火の元気な声が森の奥から響いてきた。


 草を踏み分けて、赤い髪をなびかせた少年が溌剌と飛び込んでくる。


 煌苑は勢いのいい火の玉のような我が子を、片手で受け止め、抱き上げた。


 朱炎は仲のいい父子を見届けると、ゆっくりと背を向け、我が家へと歩き出す。


 その背に、煌苑が声をかける。


「……お前、また厄介事抱えてんだろ。背中になんか乗っかってるぜ」


 朱炎は立ち止まり、短く沈黙する。否定はしなかった。後ろを振り返らずに告げる。


「……この辺りに、厄介な術師が彷徨いている。お前も、警戒しておけ」


 声音には、忠告というよりも指示に近い響きがあった。


 朱炎はこの時、煌苑が近くに移ってきたことを利用できると考えていた。

 この男は、今なお強い。助けになる、と。


 ――我ながら、薄情なものだな。


 一拍あった。


 煌苑の目が月明かりの下できらりと光る。


「つまり……俺がこの地に来たのは……偶然じゃねぇってことだな」


 朱炎は振り返ると、わずかに唇の端を上げる。


「お前の要望を聞く気はないが……私はお前を利用する。それでも構わないなら、また来るがいい」


 その言葉に煌苑は、楽しげに肩をすくめて笑った。


「変わってねぇな……安心したぜ」


 燈火を肩に乗せた煌苑は、もう一度大きな笑い声をあげて、森の中へと去っていった。


 朱炎は、遠ざかる背中を無言で見送った。


 むず痒い懐かしさと僅かな胸の痛みを、同時にもたらした夜だった。



 


 

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― 新着の感想 ―
煌苑様一族、大変でしたね。 と思ったら、 「では、うちの女を数名譲ろう」 朱炎様wwww いや、わかるんです……一族絶えたらいけないのわかるんですけどwwww いきなりすぎて笑ってしまいました。 …
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