表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: Yonohitomi
二章
136/167

27.旅の準備(2)





 耀が部屋を出てから、朱炎はしばらく考え込んでいた。


 蝋燭の灯がわずかに揺れているのは、空気の流れがある証。気の流れを読むのは、朱炎にとって造作もないこと。


 目を閉じて集中すれば、自ら張った結界の一回り先まで気配を探れる。


 外に異常はなく、屋敷の中にも変わった気配は見当たらない。


 あるのは日常。


 朱炎はその“変わらなさ”の奥に、さらに意識を向けた。

 気を巡らせると、紅葉と蓮次の居室がすぐに浮かぶ。


 ふたつの小さな気配。ひとつは優しく、根を張るように安定した流れ。もうひとつは、輪郭の曖昧な子供の気。


 朱炎は小さくため息をついた。


 紅葉が蓮次に食を勧めているが、蓮次は首を振り、顔をそむける。

 蓮次の甘えが見て取れる。

 紅葉は粘り強くやり取りを繰り返していたが諦めて、最終的には水だけを与えて終わったようだ。


(いつまで食わずにいられるのか……)


 この世に生まれて以来、蓮次は何も食べず、水だけで生きている。

 今のところ問題はないと判断しているが、いずれ時が来れば、強制的に喰わせるしかないだろう。


(それよりも、体力か……)


 元気に走り回る、小さな体に満ちる気と熱量。それらを朱炎ははっきりと感じ取っていた。


「全く、弱いのか強いのか……」


 思わず漏れた独り言に、応じる者はいない。

 朱炎はわずかに肩を落とす。


(走るのが少し早くなったのは、烈炎のせいか)


 悪いことではない。身体を動かすのはむしろ歓迎すべきだ。


 だが――。


 品のない動物じみた動きに不安がよぎる。

 身体能力がずば抜けているわけでもない。勢いのまま壁にぶつかり、体の痛みに泣くこともある。


(馬鹿なのか……?)


 再びため息が漏れた。今度はわずかに苛立ちを含んでいた。

 

 蓮次は、朱炎にとって“次”となる者。


 一族の血と力を継ぐ者として、彼には早く修行に入らせたい。

 幼少のうちに、身体の芯から鍛え直さねばならない。


 母の温もりに包まれて、ぬるい水に浸かっているような生き方は、鬼とは言えないのだ。


 鬼ならば、そのぬるま湯は氷刃の水であるべきだ。


 強さを育てるには、ぬるま湯を自ら氷に変え、薄氷の上に軽やかに立てるくらいでなければならない。


 立ち姿にも、周囲を圧倒するだけの風格が必要となる。


 戦闘となれば、氷は鋭利な刃に変化させ、目当ての敵へ迷いなく突き立てねばならない。


 必要なのは、凍てつく軌跡を描きながら遠くまで飛ばせるほどの気迫と制御力。


 一瞬にしてそれらを振るい、使いこなせなければ、一族の誇りを継ぐ資格などない。


 考えれば考えるほど、胸の奥に焦燥が滲んでくる。


 苛立ちを振り払うように、朱炎は屋敷の外へと意識を向けた。


 ――あの術。


 結界を探る気配があった。慎重に、結界と屋敷の内部を読み取ろうとする動き。

 術式の隠蔽の巧妙さからして、素人ではなかった。


「……紅葉の血筋か……」


 紅葉の素性――かつて人界と関わっていた頃の縁を思い返す。

 彼女は術師の家系。

 いまさら彼女を取り返そうと言うのか。もしくは蓮次が狙いなのか。

 わからない。

 あるいは、別の勢力か。

 どちらにせよ、放置はできない。


 そう思案しながら、朱炎はもう一度、屋敷全体の気配を探った。


 ふと、二つの気配が静まり、室内がゆっくりと落ちつきを取り戻す。蓮次がようやく力を抜いたようだ。

 呼吸が深く、安定している。


 ――寝たか。


 思考の中で独りごちる。朱炎はゆるやかに目を細めた。


 鬼は、本来それほど眠らぬもの。

 命の危機や極端な疲労がなければ、眠らずとも生きられる。朱炎もその例に漏れない。


 だが――。


「……寝過ぎだ」


 自嘲にも似た響きで呟く。


 紅葉も蓮次も、寝入ってばかりだ。鬼の母子とは思えぬほどに。

 だが、それが今の彼らに必要な“余白”なのだと、朱炎には分かっていた。


 眠れるということは、無意識に安心している証。


 この屋敷での暮らしが、彼らにとって唯一の安らぎであることを、朱炎はよく理解していた。


 その上で引き裂くと決めたのだから、今だけは生ぬるい水も許そう――そう思った矢先だった。


 突如として、安穏にひびが入る。


 空気の揺れ。ごく微細な振動。


 目には見えぬが結界の外――南側の気の流れに“異質”が触れた。


 瞬間、朱炎の目が鋭く吊り上がる。


「来たか?」


 ――敵か。


 椅子から立ち上がるより早く、意識が外へ向かうのと同時に、朱炎は結界の南端に立っていた。


 そこに現れたのは――。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
自ら張った結界の一回り先まで気配を探れる→やっぱりあの時の烈炎×耀に気づいてたんだ\(//∇//)\ 蓮次くん水だけだったんだ。 ちょっと心配ですね。けど癒しというか力は持ってるし……。 烈炎のせ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ