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  作者: Yonohitomi
二章
135/166

26.旅の準備(1)




 朱炎の部屋。


 灯された燭台の揺らぎが、朱炎の横顔を怪しく照らし出している。いつも通り、空気は張り詰めている。


 耀は主の前に正座し、言葉を待った。


 程なくして、座椅子に深く腰掛けた朱炎が話し始める。


「紅葉との旅について、少し考えていることがある」


 耀のまぶたが微かに動いた。先ほどの一件で緊張していたが、今後の計画についての話らしい。


「屋敷にはすでに結界を張っている。鬼や異形は寄りつけまい。よって紅葉との旅も可能になる」


「ええ、それは大変良い事と思います」


「ただ……術式を飛ばし、こちらの結界を探ろうとする者、先ほどの術師だ。あれには警戒が必要だ。気配の繊細さ、動きの巧妙さからして、只者ではない」


「……はい」


「旅の直前までは、私が探る。問題があれば旅は取りやめる」


「承知しました」


「それで、旅先についてだが……選定をお前に任せる」


「はっ」


「何かあればすぐに戻れる距離が良い。紅葉との対話の場としてはそれで十分だ」


 耀は静かに頷き応じたが、朱炎の声の奥に何かあると察した。

 つまり、朱炎の語る“旅”には、休息以上の意味があるということ。

 だが、それを探ろうとすることは許されない。


 耀は朱炎の真意が話されるかどうか、神妙な面持ちで待った。


 朱炎はその様子に気付いたようで、慎重に話を続ける。


「……この旅には、紅葉との対話が主な目的だが、もう一つ……目的がある。旅先では、紅葉がその地の者と会い、直接交流を持つ機会を設けたい。癒しの旅であると同時に、これは彼女に“地に足をつけさせる”ための旅でもある」


「……と、言いますと?」


「紅葉の活動拠点を見出す旅だ」


「……それは、つまり……」


「紅葉には、蓮次と離れて暮らしてもらう」


 その言葉に、耀の呼吸が微かに乱れた。すぐに取り繕うように姿勢を正すが、その一瞬の動揺は、朱炎の目を逃れなかった。


「紅葉は母である以前に、鬼だ。育児のみに身を投じるのではなく、彼女自身の生き方を築いてほしい。気の強さ、精神力については申し分無い。ならば、彼女が鬼として、その力を活かせる場所を作ってやるのがよいと考えている」


 耀は頷く。しかし、心の奥には微かな疑問があった。


(蓮次様はまだ小さい。母の支えを必要とする年齢だ。それでも引き離すというのか……?)


 朱炎は続けた。 


「蓮次には厳しく修行を積ませる必要がある。今のままでは、母に依存し、鍛錬を怠りがちになる。私はそれを良しとしない。紅葉にも蓮次にも、今はあえて“距離”が必要だ」


 それは、耀の胸に少し痛みをもたらした。


 主の考えの深さに、改めて畏怖を覚えると同時に、耀の中には揺れるものがある。


 だが、それを口にすることは出来ない。朱炎の前で、自分の感情をさらけ出すことは、許されていない。


「そこでだ、耀。お前には、紅葉が蓮次と離れて暮らすに足る場所を探してもらう。条件は三つだ」


 朱炎が淡々と告げる。


「一つ。紅葉が安心して暮らせる場所だ。いざというときに守れる環境があり、何かあればすぐに駆けつけられる距離であること。日帰りでの行き来が可能であれば理想だ」


 耀はひとつめの条件を聞きながら、脳内で候補地を探す。


「二つ。鬼である紅葉が自らの意思で関われる場だ。ただ育児に籠もる母ではなく、鬼の力をもって関われる活動の拠点。隠れ家ではなく、彼女が“鬼”として動ける場所であることだ」


「……はい」


「三つ。紅葉がその場所の者たちと交流できること。孤立しては意味がない。受け入れられ、必要とされることが重要だ」


「……はい」


「活動は、癒しでも、術でもよい。紅葉は慈しみの心が強い。交流の中で自らを活かす道を探すだろう。だがその中に、強者との繋がりも必要だ。いざというとき、彼女を守れる者とも繋げておきたい。紅葉を孤立させるつもりはない」


 その言葉に、耀は胸をなでおろす。朱炎はただ切り捨てるだけではない。そこには必ず、先の先を読む思慮がある。だが、それでも――。


「紅葉が活動し、暮らせる地。そこに、彼女を守れる環境があり、必要とされる場がある。日帰りもできる距離であること。なにか、良い場所はあるか」


 耀は即答できなかった。だが、ふと心に浮かぶ景色があった。


 山深く、霧に包まれた場所。己の一族が、かつて暮らしていた地。人里にも近く、一部の貴族との繋がりもあった。


 しかし、まだ確信には至らない。詳細な調査が必要だ。


「……すぐには、申し上げられません。ですが、一つ、思い当たる地はございます」


 耀は言葉を選びながら答えた。

 朱炎は深く頷く。


「あとで構わん。後日、まとめて報告しろ」


「承知しました」


 耀は深く頭を下げた。だが、すぐには動けなかった。

 胸の内で、複雑な思いが渦を巻いている。

 

 蓮次と紅葉――母子を分かつという主の決断。

 従うことは当然だ。だが、心がざわめいてしまう。


 その沈黙を朱炎が切り裂いた。


「……何かあるのか?」


 声に、耀は反射的に背筋を伸ばし、顔を上げかけてすぐに伏せた。


「いえ、何も……」


 朱炎の目が耀を見ていた。だが、彼はそれ以上何も言わない。


 耀は一礼し、静かにこの場を立ち去る。




 朱炎の部屋を出て静かな廊下へと歩き出すも、会話を思い出すと、歩みが止まる。


 冷たい夜気が頬を撫でた。

 ひとつ深く息を吐き、前を見る。


(……蓮次様、紅葉様)


 ――蓮次様は、母の手から離れて強く生きられるのだろうか。紅葉様は、蓮次様と離れる事に耐えられるだろうか。


 だが、主には確固たる考えがある。

 その冷静な判断力と先見の明。

 それらを知っているからこそ、耀は自分の気持ちを口に出せなかった。


 朱炎に従う事が己の務めであり、その信頼に応えることが役目。


 揺れる胸の内を押し殺しながら、耀は静かに歩き出した。


 

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― 新着の感想 ―
やっと朱炎さまぁっ♡のお部屋に到着! ほほう、得体の知れない術師がいるのですね。そのために結界をはってたのか。 一族を守ろうとしていたのですね朱炎様。 と思ったら旅先を決める……? これは耀、どん…
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