23.結界の外 -耀と烈炎-
耀は、主の帰還を見届けた。
見つめる先には朱炎、紅葉、蓮次――ひとつの“家族”が確かにあった。
心の奥で何かが静かに波打つのを感じながら、耀はじっと立ち尽くしていた。
温かな光景。
だが、胸の内は落ち着かない。朱炎の帰還に安堵しているはずなのに、どうしてだろうかと思う。
耀は目を伏せた。
そのとき――
「お前も少し休め、耀」
声に振り返り、耀は一瞬、戸惑った。近くにいた烈炎が言ったのだ。
烈炎はどこか腑に落ちないというような顔をしていた。だが、その理由を聞くのは野暮だろう。
「……そうだな」
どこか影を帯びた返事をして、耀は踵を返す。
屋敷の奥、自室へと足を向けた。
灯りのない部屋は、夜の深さに溶け込んでいた。
耀は、ふと胸に手を当てる。
この手で守るべきものは何か、心得ている。朱炎と、その隣にある“家族”。
けれど、心がふっと締め付けられたのだ。
自分は父と母を失った過去がある。目の前の家族に一瞬でも羨ましさを覚えたというのなら、なんと愚かな事だろうか。
何もかも失った自分を拾い上げたのは誰か。
朱炎様――と、心の中で主の名を呼ぶ。
耀は大きく息を吐いた。それでも胸の苦しさは変わらない。
自室に戻ってきたばかりだったが、篭っていられず庭へ出てしまう。
冷たい夜の空気が肌を刺した。
息苦しさは、結界のせいだろうか。
耀は結界の外へ出ることにした。
自分の思考を、どこか遠くへ流してしまいたい――そんな気分だった。
結界の外は、やはり軽かった。
朱炎が張った結界が緩められていたとしても、やはり息苦しさは残っていたのだ。
森を抜け、冷ややかな風に身を晒した。
月の光は澄んでいて、地面を白く照らしていた。
(少しは、気が晴れそうだ……)
そのときだった。
――何かいる。
反射的に背後を振り返る。空気が一瞬、引きつれる。
気配は、細く、鋭い。
場所は遠くも近くもない。
今ここにいるが、次の瞬間には消えそうに思える。そんな微弱な感覚。
耀はすぐに駆け出した。
気配が逃げる。
速い。あの気配は、異形ではない。放ってはおけない。
瞬間移動で追えば、見失う可能性がある。そう思えるほどの繊細さ。
だからこそ、全力で走った。
「そこか――!」
指から放たれた術は、まるで糸のように空を裂く。しかし、それは途中で止まった。
目の前に立ちはだかったのは――
烈炎の影。
「烈炎!?」
「くそっ! 消えやがった!」
烈炎が歯を噛み、憎々しげに吐き捨てる。
「……なぜお前がここに?」
耀が低く問うた。
「お前こそ、休んでたんじゃねぇのかよ」
烈炎の言葉に、耀はわずかに言葉を詰まらせた。
「少し……気分を変えたかっただけだ」
耀は視線を合わせられず、夜の地面を見つめる。
月明かりが、二人を包んでいる。
空気はひどく澄んでいて、風はなく、虫の音も運ばれてこない。静かだった。
「なあ、耀」
烈炎の低い声。
耀は応えない。ただ、身を引いた。
そこで、空気が変わる。
烈炎が一歩、耀へと近づいてくる。耀の身体がそれに反応して後ずさる。
何を考えているかは、耀はすぐに理解できた。だが、烈炎の手を払いのけることはなかった。
(どうすべきか……)
考えながら後ずさっていると、背後の木にぶつかる。
逃げようと思えば、逃げられる。
だが、この状況。誰かのやり方に似ている。
それは。
――朱炎様のやり方。
選択肢を奪い、逃げ場をなくしてから問う、あの冷酷な戦術。
その記憶に、唇の端が自然に持ち上がる。
顔を上げれば、烈炎の瞳が赤く煌めいていた。
朱炎と同じ赤の瞳。
耀は、その視線を静かに受け止めた。
……何が起きても、おかしくない。
「――敵を追わずに、何をしている」
低すぎる声が落ちてきた。
耀は瞬時に後方へ跳び、膝をついた。烈炎は頭を掻きながら、舌打ちを漏らす。
凄まじい圧に、耀は声を絞り出すしかなかった。
「申し訳ございません、朱炎様……」
今さら、主を前にして声が震えたのは、なぜだろうか。
月光の下、すべてが凍りついたように、静かな緊迫が広がった。




