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  作者: Yonohitomi
二章
131/166

22.鬼の修行(16)




 耀は一人、屋敷へと戻ってきた。


 朱炎を引き戻すのは、きっと紅葉しかできない。

 それよりも、自分にはやるべき事がある。


 ――悪鬼に堕ちかけていた鬼の監視だ。


 術で抑えはしたが、それが永続する保障はない。万が一の事態が起これば、蓮次に影響が及ぶかもしれない。それは絶対に避けねばならなかった。


 屋敷に入ると、問題の鬼は床に横たわっていた。意識はあるようだった。顔色は悪く、体から力が抜けているように見えたが、暴れる様子はない。


 耀は静かに鬼へと近づき、手をかざして術の効力を確かめた。術は安定している。内側からの抵抗も今のところは感じられない。


「……問題ない」


 小さく呟いてから、床に座した。


 いざという時の決意はすでにある。もしこの鬼が完全に悪鬼に堕ちたなら、迷わず命を断つつもりだ。


(命を奪うことにためらいはない。覚悟も今さら必要ない)


 “鬼”の在り方とはそういうもので、耀は自らの役割を心得ている。


 守るべきは、朱炎であり、朱炎一族であり、その未来。


 ――蓮次に害が及ばぬように。


 屋敷内には蓮次の笑い声が響いていた。相変わらず走り回り、部屋という区切りも無視して縦横無尽に飛び跳ねている。


 耀がちらりと目をやると、蓮次のすぐそばには烈炎の姿があった。


 蓮次はまるで猿のように彼の肩に飛び乗ったり、背を滑り降りたりと、烈炎の巨体をよじ登って遊んでいる。

 烈炎は蓮次をたびたび捕まえては頭をわしゃわしゃと撫で、豪快に笑っている。


 耀は眉間を軽く揉んだ。


(……まぁ、無事ならいいが)


 蓮次の身体能力は、明らかに鬼のものだ。それは時折、動きの端々に現れる。壁を蹴って跳ねる勢いも、重力を無視したような跳躍も。


 それは成長の兆しであり、素晴らしい事だ。

 しかし、気にかかるのは烈炎による修行。


(あれでは……暴れん坊に育ちかねない……)


 確かに鍛錬にはなっている。

 だが、烈炎の“修行”と称する方法では、蓮次が品のない馬鹿になるのではないかという懸念が拭えなかった。


(朱炎様が頭を抱えるのも無理はない……)


 少しは知恵を使う訓練を取り入れてほしい、と願わずにはいられない。


「はあ……」


 自然と額を押さえ、ため息が漏れる。


 その時だった。


「耀様……少し、息が苦しくて……」


 屋敷の隅から、先ほど蓮次に触れられたことで癒された者たちが数人、体調不良を訴えにやってきた。


 肩を押さえる者、胸元をさすりながら顔をしかめる者。

 耀はすぐに状況を察した。


(……やはり、蓮次様の力は一時的なものだったか)


 耀の術を解いて鬼たちを癒した蓮次の力は、もう効果が切れているらしい。


 耀は手を構え、改めて術を紡いだ。まとめて施術するように素早く処理する。

 術が完了したあと、鬼たちは幾分か安堵したような表情で頭を下げて去っていった。


 とはいえ、油断はできない。耀の施す術も万能ではないのだから。


 耀はうなだれるように視線を落とした。


(朱炎様……紅葉様……早く……)


 洞窟での出来事が脳裏に浮かぶ。紅葉の呼びかけが、朱炎に届いていると信じたい。

 今、あの二人はどうしているのか。


 その時、また数人の鬼が現れた。


「耀様、私たちにも……お願いできますか」


「……分かった。並べ」


 淡々と応じる耀。

 気配を探る力の大半は、術を施した鬼たちへと向けられている。術を通して鬼たちの体調を確認していた。そのため、耀自身の体力もじわじわと削がれていた。


 それゆえに、気づけなかった。

 蓮次が勢いよく駆けていく姿を視界の隅に捉えたとき、その先に“何”があるのかを。


 そこに居たのは、朱炎と紅葉だった。


 蓮次は弾かれたように紅葉へと飛びつき、彼女はそれをしっかりと受け止めて抱き上げた。


 母と息子が見せる満面の笑み。子は母の腕の中で静かに目を閉じた。


(戻られたか……)


 耀は目を細め、隣に立つ朱炎の表情を確認した。

 それは、鬼の王ではなく、父の顔だった。


 朱炎は無言で佇んでいる。背筋(せすじ)はまだ硬く、表情に迷いもある。けれどその眼差しは、子を見守る親の目だ。


(良かった……)


 紅葉が朱炎に話しかけている。

 そして、朱炎がそれに応じるように軽く頷いた。


 次の瞬間、空気が穏やかに変わった。


 それは目に見えぬが体で感じ取れる。


 ――圧が、緩んだ。


 屋敷全体を覆っていた重圧が、殺意のないものに変わった。

 結界は解除されていない。だが、あの過剰な排除の圧は消えている。


 選別の境界線は、護りの結界へ――。




 耀は、術を施した鬼たちに異常が無いか確認し、様子を見ながら術を解いた。


 また、かつて悪鬼に堕ちかけた者にも同様の対応を取る。目を閉じて、鼓動を確かめる。


 悪鬼に堕ちることは無かった。


 顔色もすぐに戻り、通りがかった他の鬼たちも安堵の表情だった。

 皆はそれぞれの部屋へと戻っていった。



 

 耀は立ち上がらず、その場に座した状態で、奥にいる三人を見つめ続けていた。


 視線の先には――家族。


 朱炎と紅葉と、蓮次。


 朱炎は紅葉の隣に立ち、蓮次の寝顔を見つめている。

 紅葉は強く、美しく、あたたかい光を放っている。

 その腕に抱かれて眠る蓮次は、天衣無縫の無垢そのものだ。




 耀は思わず胸の奥に手を当てた。


 目が離せなかった。


(どうか……)


 言葉にはならなかった。


(この家族が……壊れぬように)



 


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― 新着の感想 ―
サウダージ感を残しながら屋敷に戻って来たのですね。 烈炎の修行で「品のない馬鹿」……笑 ちょっと……笑 烈炎に対してこう思う耀も面白いです。 朱炎様や耀は品がありますものね……(うっとり) (朱炎様…
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