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  作者: Yonohitomi
二章
129/166

20.鬼の修行(14)




 鬼の屋敷の一角。闇に溶け込むように、耀は静かに歩いていた。


 すでにいくつかの部屋を巡ったが、まだ安心できる状況ではない。


 屋敷全体に漂う気の流れは、依然として重苦しいまま。


 朱炎の怒気が渦巻いていた地獄のような空間よりは呼吸しやすいが、それでも油断すれば、身体だけでなく心までもが崩れ落ちてしまいそうだった。


 はたして、皆はこの気の中で無事に精神を保ち続けることができるのだろうか――。


「耀様ーっ!」


 その呼び声だけで、耀はすべてを察した。


(やはりな……)


 無表情のまま声の方を振り返ると、若い鬼が駆け寄ってきた。走ってきた勢いのまま、一礼もそこそこに声を張る。


「耀様!」


「どうした」


「一人、様子のおかしい者がいます。すぐにご確認いただきたく――」


「案内しろ」


 短く命じて、耀は即座にその鬼の後を追った。


 案内されたのは屋敷の奥まった部屋だった。


 入口に立った瞬間、淀んだ空気が肌を撫でるのを感じる。


 部屋に足を踏み入れると、ぐったりと横たわる男鬼の姿が目に入った。その隣には、彼の体を支えるように女鬼が寄り添っており、こちらもまた顔色が悪い。


「耀様……この者が……」


 耀は膝をつき、男鬼の顔を覗き込んだ。目は開いているが、焦点が合っておらず、意識の底で何かに引き込まれていくような、危うさが滲んでいた。


「お前、私が見えるか?」


「……はい。ですが、気を……緩めれば……目の前が……真っ暗に……」


 言葉は途切れがちで、意識を繋ぎとめるのがやっとという様子だ。


(まずい……このままでは、悪鬼に堕ちる)


「気をしっかり持て。お前はまだ戻れる」


 そう言いながら、耀は掌に青い光を灯した。紅葉や蓮次にもかけた、護りの術である。


 花が咲くように光が広がり、男鬼の全身を包み込む。やがて男鬼は苦しげに呻いたのち、ゆっくりと肩を落とした。


 ほんのわずかではあるが、安堵の色がその顔に戻った。


 それを見ていた若い鬼たちが、我先にと耀のもとへ押し寄せてくる。


「耀様、俺にも……!」


「自分も少し気が乱れていて……!」


「私もです……どうか……!」


 耀は眉をひそめながらも、彼らを拒むことはできなかった。数人まとめて、術を施していく。


(……参ったな。これでは私が把握しきれない)


 護りの術は万能ではない。すべての術に意識を向け、維持し続けるには、耀自身の精神力と体力が削がれていく。


 だが、あとからあとから屋敷の鬼たちが現れ、術を求めてくる。それだけこの結界の中で過ごすことが、彼らにとっても過酷だということだろう。


 耀はやがて、後から来た者たちを円形に集め、術式を一つにまとめて広範囲に展開した。青い光が皆を包む。


 頭痛がわずかに生じ始めていた。

 耀は軽く息を吐いたあと、悪鬼に堕ちそうな男鬼の近くに戻り、膝をついた。


 そのとき――。


「耀!」


 紅葉の声がした。


 振り返ると、紅葉が駆け寄ってくる。皆と同じく耀の術によって守られている彼女。今のところ変調は見られない。


 だからこそ、この場には近づいてほしくないと、耀は思った。


「紅葉様。ここは気の流れが不安定です。どうか、部屋に」


「耀。夫に、会いに行きます。……結界を解かせて、皆を、楽にしたいのです。私が説得します」


 紅葉の瞳が、真っ直ぐに耀を射抜いた。


 耀はわずかに逡巡しながらも、静かに答える。


「……今の朱炎様に声をかけるのは、得策とは――」


 そしてまた、耀の言葉を遮る者。


「よーうー!」


 軽快な声と共に走り込んできたのは、蓮次だった。


 つい先ほどまで体調が心配されていたはずの彼が、まるで何事もなかったかのように跳ね回っている。


「……蓮次様?」


 耀が目を見張る間に、蓮次は次々と体調を崩している鬼たちの背中を「ぽんっ」と叩き始めた。


「なっ……!?」


 耀が焦る。自ら施した護りの術が、蓮次によって次々に解除されていく。


「蓮次様! 一体、何を」


 だが、変化はすぐに現れた。


 蓮次に背中を叩かれた鬼たちが、一様に顔を上げる。


「お……肩が、軽い……?」


「頭の痛みが……取れた?」


「あれ……なんか、楽になった……」


 その反応に、耀は固まる。耀の術を解除しただけでなく、蓮次は癒しの効果を与えていた。


(一体、どうなって……?)


 蓮次に触れられた者たちは次々と元気を取り戻し、もちろん耀の負担も大幅に軽減された。


 そこへ、烈炎がやってくる。


 耀は真剣な面持ちで烈炎を見上げた。


「烈炎。何をしている」


「かくれんぼに飽きたってよ。次は氷鬼だ。……ま、蓮次坊はよく分かってねぇからな。見つけた奴に片っ端から触れてって、楽しんでるだけさ」


「……はぁ」


 耀はため息混じりに目を細め、高速で思考を巡らせる。


(蓮次が楽しそうに元気に過ごしている。問題はない。だが……このような力、今まで使えなかったはずだ。修行……いや、遊びの中で開花したというのか? だとしても、無意識の行使だとすれば……)


 耀は立ち上がった。


(無意識で力を使うこと。それこそ最も危険だ。だからこそ、あのとき朱炎様は声を荒げたのだ)


「烈炎!」


「おぅ……なんだよ、そんな怖ぇ顔して」


「黙れ、馬鹿者。お前はもう少し頭を使え」


「またそれかよ。今度は何を怒ってんだ」


 言い合いをしている間に、蓮次が近くにいた男鬼へと歩み寄る。さきほどから悪鬼に堕ちかけている、あの男鬼のもとへ。


「蓮次様!」


 耀は素早く蓮次を止める。


(危なかった……)


「よう??」


 耀が蓮次に視線を合わせる。


「蓮次様、この者には触れてはなりません」


 蓮次は小首をかしげている。不満そうな顔をしているが、ここで触れさせるわけにはいかない。悪鬼になりそうな者の力など、蓮次にどんな影響を与えるか分からない。


 耀は蓮次を抱き上げ、烈炎へと預けた。


「烈炎。お前は屋敷の者たちと蓮次を見ていてくれ。紅葉様は朱炎様のもとへ向かわれたいとのことだ。私が付き添う。そして、蓮次様に無闇に力を使わせるな」


「そうか? せっかく楽しくやってたってのに」


「無意識で力を使うのは危険だ! だから、もう少し頭を使えと言っている!」


「お、おぅ……」


「任せたぞ」


「おう、任せとけ!」


「おう、まかせとけ!」


 烈炎の言葉をそのまま繰り返し、蓮次が耀に笑顔を向けていた。


 その無邪気な顔を見ながら、耀は別の種類の不安に眉をひそめたくなったが……。


 それでも今は、一刻も早く朱炎を迎えに行くしかない。


 耀は紅葉とともに、再びあの洞窟へと向かう。



 

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― 新着の感想 ―
結界の影響で悪鬼になりそうで、その鬼にも近づいたら伝染していくような感じでしょうか。 耀、優しいけどそんなに青い光使ったら倒れちゃいそう……そうか、生かされてもらおうとしてるのかな← 紅葉さん、夫の…
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