19.鬼の修行(13)
「紅葉様!」
耀が叫ぶ。そこにいたのは、やはり紅葉だった。掠れた声で、何かを必死に伝えている。
「耀! れん……じが……!」
奥では烈炎が朱炎に突撃していた。
その反動で瓦礫が熱風に煽られて紅葉へと向かう。
「紅葉様!!」
耀は咄嗟に瞬間移動を試み、同時に紅葉を守るために全力で結界を張った。
ぶわりと、耀の背後で風が逆巻く。
空気が裂けて、軽いものが宙を舞った。
耀が思い出したように振り返る。紅葉に気を取られて咄嗟に移動した代償として、鬼の子が炎の渦に巻かれ、宙に吹き飛ばされてしまった。
(私とした事が!)
慌てて術を飛ばすも、なぜか跳ね返される。
(なぜ!?)
突然、白い光の中から、幼い声が滑り込んできた。
「だいじょうぶ?」
蓮次だった。
誰も気づかぬうちに、そこにいた。
彼は鬼の子に小さな手を差し伸べようとしている。
世界が静止した。
次の瞬間、すべてが動き出す。
「「「蓮次!!」」」
複数の声が交差する。
朱炎が、瞬間にして蓮次のもとへ。
烈炎が、躊躇なく鬼の子へ。
耀は駆け出しそうな紅葉を必死に止める。
だが、間に合わなかった。
緑の鬼の子は、白い光の粒となって消えてしまう。
それを目にした朱炎の顔。
驚愕とも、怒りともつかぬ表情だった。
蓮次を抱えたかのように見えた朱炎だったが、実際には彼を炎のない場所へ突き飛ばしていた。
圧が、一気に膨れ上がる。
空気が裂け、周囲の炎が咆哮のように轟き、身を焦がすように燃え上がる。
「……なぜ、ここにいる」
これは父の声か、鬼の声か。
底なしの闇の底から響く怒りの声だった。
あまりにも重い。
「えっ……あ……」
「何をした。答えろ」
「え……ぁ……えっと……」
蓮次が震えだした。
紅葉も身動きできず、耀の腕にしがみついている。
そこら中の炎がさらに渦を巻いて燃え盛った。
「何をした!! 蓮次!!」
朱炎が初めて、怒声を上げた。
岩壁に反響し、洞窟全体が軋むように震える。
耀も烈炎もその気配に圧され、一歩も動くことが出来なかった。
蓮次はひたすらに謝罪を繰り返している。
「ごめ……なさい……ごめ……さい……」
その小さな言葉の連なりに、紅葉が泣き出してしまった。
耀が紅葉を支え直す。その間も、蓮次の謝罪の声は止まなかった。
「ごめんなさ……ごめ……けほっ……けほっ……っ……」
蓮次の口元から血が吐き出された。
それを見た紅葉が我慢ならず、「蓮次!」と叫んだ!
耀が慌てて振り返ったときには、もう彼女はそこにいなかった。
「紅葉様! どこに……」
耀も思わず叫び、紅葉を探す。
気づけば、紅葉は蓮次の元へ移動していた。涙を流しながら、必死に彼の小さな背を撫でている。
動くしかない。耀は咄嗟に気を集中させ、朱炎と紅葉の間に割って入った。
烈炎も同じく、朱炎の前に立ちはだかる。
「おい、朱炎! 頭を冷やせ!」
「朱炎様。烈炎の言うとおりです。ここは一度、冷静にな――」
だが、言葉を終えるより早く、視界が崩れた。
全身にかかる重圧に押し潰されるかと思った次の瞬間には――
地上だった。
屋敷の庭に、全員が投げ出されていた。
朱炎の拒絶、だろうか。彼自身が意図的にここへ返したのかは分からないが、耀はそのように感じていた。
目の前には、倒れている紅葉と蓮次。
二人を起こし、怪我がないかを急いで確かめる。
すぐ隣で、烈炎が胡座をかき、空を見上げて呆れたようにため息をついていた。
地の底よりは遥かに呼吸しやすいこの庭も、未だ重い結界が張られたまま。
「あの……耀様……」
屋敷から庭の様子を見る鬼たちの顔色は悪く、まだ慣れないのだろうと分かる。
烈炎はさっさと立ち上がると、見かけた鬼たちを招集し、適当な鍛錬を始めた。
「……さすがだな」
耀は烈炎の頑丈さに感心したのち、紅葉と蓮次に向き直る。二人を部屋に戻すために声をかけようとした。
しかし、蓮次の様子がおかしい。
ずっと咳をしている。
蓮次を抱きしめている紅葉の手元を見ると、血で染まっていた。
蓮次が血を吐き続けている。
「耀、蓮次が……蓮次が……」
「紅葉様、落ち着いてください、大丈夫です。まずは部屋に……」
耀も心の中では蓮次の様子に焦ったが、ここで取り乱しては紅葉に悪影響だと判断する。
まずは部屋に戻し、この圧から隔離する。それしかない。
部屋に二人を入れたあと、耀は再び青い光で二人を包んだ。
(これで、いいのだろうか……)
耀の顔が曇る。
今すぐ朱炎を迎えに行き、結界を解くように助言すべきではないだろうか。けれど、それではまた元通り。きりが無い。
耀は静かに腰を下ろした。
その後、しばらく蓮次の様子も見ていたが咳が止まる気配がない。紅葉も耀も途方に暮れた。
そこに。
「何やってんだ。寝てばかりで強くなれねぇだろ、ほら起きろよ」
烈炎だった。
「待て、烈炎。蓮次様は今」
「ほら、修行だ、修行」
「話を聞け!」
耀の腕を振り払い、烈炎が蓮次を抱えてしまった。
しかし、紅葉は心配そうに見守っているだけで大きく抵抗しなかった。
烈炎は強引な男だが、朱炎とは違い、無理矢理感はない。
耀も仕方なく見守ることにした。
烈炎が顔色の悪い蓮次の頬を指でとんとんと叩く。
「いいか、蓮次。お前は鬼だ」
「烈炎。蓮次様に一体何をさせるつもりだ」
「だから、修行だっつってんだろ」
そう言いながら烈炎がにやりと笑う。声は陽気の塊だった。
蓮次を降ろすと、目線を合わせて蓮次にこれから始まる“修行”の内容を説明する。
「いいか、蓮次! こいつらが隠れる」
蓮次が首を傾げているのを構わず、烈炎は目の前に立たせた五人の手下を指差した。
この鬼たちが隠れ、蓮次が鬼となる。烈炎はどうやら「かくれんぼ」をするらしい。
「鬼のお前は、俺と一緒にこいつらを捕まえる。いいな?」
「……わかった」
「よし、十まで数えろ! 俺も手伝ってやる」
「じゅう?」
耀も、紅葉も、ほっと息をついた。
なぜか蓮次の咳が止まっていたのだ。
(蓮次様の体調が、治った……のか……?)
烈炎と一緒に数字を数える蓮次。
慌てて逃げ隠れる鬼たち。
表情が緩んでどこかにこやかな紅葉。
まだ結界は張られたままだが、皆が少しずつ慣れ始めていた。
耀はそれぞれを確認し、ここは問題ないと判断すると紅葉に声をかける。
「紅葉様、私は大広間にいる者たちを見てきます」
「ありがとう、耀」
紅葉はにこやかに返事をした。
相変わらず空気は重い。
大広間では体調の悪そうな者は居たが、悪鬼に堕ちそうな者は見られなかった。
慣れ始めている者も増えており、声を掛け合ったりしていた。
(……問題はなさそうか)
次に、各部屋を見回る。
(それにしても……)
廊下を進みながら、耀は心の中で呟いていた。
(気になることが、ふたつ……)
ひとつは、緑の鬼の子が消えたこと。しかし、死んだようには思えなかった。
鬼の子に掛けていた術の感覚を通して、移動したような手応えを感じていたからだ。
そしてもうひとつは、蓮次の咳が急に止まったこと。
烈炎が術を掛けたとは思えなかった。本能のままに動く豪快な男だ。細やかな気遣いは出来ないはず。
分かる事と言えば、彼はただ陽気だ。
(どちらも不安材料ではあるが、結果としては悪くない、か。あとは――)
この屋敷に、朱炎が戻りさえすれば――。




