18.鬼の修行(12)
名を呼んでも答えはなかった。
代わりに天井の岩肌が裂け、だらんと垂れた手と足が見えた。子どものような、小さな手足。
(一体……何が……)
すっと落下し、炎の中へと吸い込まれそうになる。
耀は一目で見抜いた。
「――鬼か!」
思考より先に、守りの術を放っていた。
蒼い光が花弁のように開き、幼い鬼の子を包む。
よく見れば、蓮次と変わらぬ背丈の鬼の子。緑色の髪に緑の瞳。それは鬼の中でも弱い者の色を宿しており、明らかに弱者。
蒼い光の中で震える鬼の子を見て、耀は悟った。
先ほど朱炎の力で地に引き摺り込まれた者の一人だ。知恵のある鬼たちはすぐに逃げたが、この子はきっと遅れたのだ。
「朱炎様、この子は鬼です。鬼を、殺してはなりません。お忘れですか」
耀が必死に問うも、怒りも迷いも見せない朱炎の背は動かなかった。
この場所には、地獄の炎が満ちている。
命を奪う炎。仮にこの炎が自然のものだったとしても、それが朱炎の意志によるものであれば、それは禁忌だ。
耀の呼吸が浅くなる。
「この子を殺せば、一族の強き者がまた呪詛に呑まれます」
あの時と同じ過ちを、繰り返してはならない。
耀は喉を鳴らし、言葉を継ぐ。
過去、朱炎が鬼を大量に殺しすぎた結果、朱炎の父も兄も、一族の力ある者から次々に命を落としていった。
耀がまだ若く、一族に連れられて来たばかりの頃の話だ。
何もできず、影で見届けた――あの背中。もう二度と見たくはない。
「もし今、烈炎を失うような事になれば、もしくは、烈炎でなく蓮次様の身に何かあってからでは遅く――」
「なぁ、朱炎! なんだ、狂っちまったか?」
耀の言葉を遮って、ここにいるはずの無い者の声。
熱風を裂いて現れた赤い存在に、耀が驚いて振り返る。
烈炎だ。耀の額に冷汗が伝う。
「烈炎! 皆の鍛錬はどうした!」
「順番に中に放り込んだぜ!」
「ふざけるな、任せたと言っただろう!」
烈炎は剣を肩へ担ぎ、朱炎と耀を見比べた。
「やっぱ朱炎一族の鬼だ。弱かねぇってよ。……それより、なんだ? その子が死ねば俺が呪いで灰になる? 冗談じゃねぇ。俺が死ぬ時はな、朱炎! お前と正面から殴り合って負けた時だ!」
烈炎は足裏で岩を砕き、朱炎へと飛びかかって行く。
耀は飛び退き、緑の鬼の子を抱えた。
朱炎と烈炎の姿は吹き上がった炎に遮られ、赤い閃光がいくつも走った。
烈炎が攻撃を繰り出し、朱炎はそれを軽々と跳ね返している。
噴き上がる火柱の隙間から烈炎の巨体が紙屑のように吹き飛ぶのが見えた。
(おそらく朱炎様は本気ではない。対する烈炎も、朱炎様を殺す気はないだろう。きっと戦って気を晴らせ、といったところか。それよりも……)
この子を守られなければならない。腕の中の幼い鬼を見下ろす。小さな身体が微かに震えている。
(この場に留めておくには危険だ)
耀は静かに術を編み、地上へと繋がる“気の道”を探る。転移は難しいが、せめて安全圏まで浮上させられないだろうか……そう考えた。
鬼の子が耀の腕を離れて浮き上がる。
しかし、それを邪魔するかのように炎の渦が集まり、まとわり付いた。
(くっ……どうする……!)
その時だ。
微かに鼓膜を揺らす音――
「……っだ……れか……気づい、て……っ、れ……んじ……消え……っ、だ……れか……!」
耀が振り返ると、そこには――。




