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  作者: Yonohitomi
二章
125/167

16.鬼の修行(10)




 屋敷の奥、薄暗い廊下を耀が駆けていく。


 空気は重く、まるで水の中を進んでいるようだった。肩にのしかかる圧は、まさに朱炎の力そのもの。


 結界の中に足を踏み入れてからというもの、肺に僅かにしか空気を吸い込めないような、息苦しさが続いている。


 廊下を進む。


 そこかしこで倒れている者の姿が目に入った。寝ているのではない。重圧のせいで立つことも、座っていることもままならない。


 生気のない顔。冷や汗。苦悶の吐息。

 多くの者が横たわり、ぐったりとしていた。


 耀は足を止めた。


(このままでは……)


 弱き者は命の危機。簡単に死ねるなら良いが、苦しみ通して悪鬼に堕ちる事も考えられる。


(どちらにしても、良いことではない)


 まだ気を保てる者を見つけては、耀は淡々と指示を出した。


「お前はまだ歩けるだろう。大広間に行け!」


「はい!」


「余裕のある者は、倒れている者たちを運んでくれ!」


 いつもより強く声を張った。大きな声を出せば肺が圧迫されて苦しさが増した。

 それでも自分自身にも気合を入れるために、必要なこと。

 

「ここは、任せられるか……」


 各自が動き始めたのを確認し、ぼそりと呟いた。

 ふぅと小さく息を吐く。


「さて……」


 次に向かうのは、奥の部屋。

 そこだけは決して崩れてほしくない場所。

 朱炎の最も大切な者達がいる――紅葉と、蓮次の部屋。


 襖を開けて目に入ったのは、紅葉が蓮次を抱きしめる姿。

 床に座り込み、蓮次の体を小さく覆うようにして抱きしめている。


 蓮次は泣いていなかった。

 ただ、体全体が小刻みに震えていた。

 恐怖が身体の奥から突き上げてきているのだろうと分かる。

 これは理屈ではない。圧が魂に触れている。


「お父様の力を感じているのね、怖くないわよ、大丈夫よ……」


 紅葉は優しく声をかけていたが、額には玉のような汗が浮かび、顔色も蒼白だった。

 その細い指が蓮次の背を撫でるたびに、必死に保とうとしているのが伝わってきた。


 耀は静かに近づき、紅葉の隣に膝をついた。


「紅葉様、大丈夫ですか」


 耀の問いかけに、紅葉はわずかに顔を向けてうなずいた。けれど、その瞳は何かを訴えるように揺れていた。


 紅葉が静かに語り出す。


 一人の鬼が見殺しにされたこと。悪鬼へ堕ちるまで朱炎は動かず、最後は炎で焼き尽くしたこと。


 言葉の途中で、紅葉の瞳に涙が滲んだ。


「紅葉様……」


 耀は、紅葉の背にそっと手を置いた。

 呼吸を整えさせる。


「……少しでも、楽に」


 そう言って耀は手を差し伸べ、紅葉と蓮次を青い光で包んだ。

 結界の圧をわずかでも和らげる簡易の護りだ。効くかどうかは定かではない。それでも、何もしないよりは良いと考えた。

 このまま放ってはおけなかった。


「朱炎様には、きっとお考えがあるはずです」


 耀がそう言うと、紅葉は涙を拭い、頷いた。


「……はい。そう……思います」


 それは“信じている”というより、“そうであってほしい”という願いに聞こえた。

 耀もまた、強くうなずき返す。

 続けて蓮次にも声をかけた。


「大丈夫です、蓮次様。あなたは強い。母を守れる、強い子だ」


 言葉に念を込め、蓮次の頭に手を置きながら伝えた。

 蓮次の目は真っ直ぐに耀を見ていた。耀の言葉を聞いてからは、その目に鋭さが加わったように見えた。


 僅かな変化。

 瞳の奥に揺れる恐怖。そのすき間から覗くように、小さな決意の光が見えたのだ。


(きっと、この子は強い……本当に……)


 朱炎の強さとは別の何かを感じた。

 なぜか元気付けられたような気分にもなり、息がしやすくなる。

 まるで、励まされたのは自分だろうかと問いたくなるほど。


 耀はふっと口元を緩めると、素早く立ち上がり、この部屋を後にした。


 次は、大広間へ向かう。


 そこにはすでに何人もの“弱き者たち”が集められていた。時折うめき声をあげる者や、壁にもたれ、虚ろな目をしている者など。

 多くが朱炎の圧に蝕まれていた。


 耀は声を張る。


「気を強く持て」


 一人ひとりに目を配りながら、結界に慣れるよう何度も呼びかけた。

 その者たちのかすかな反応を見て、さらに指示を飛ばす。


「まだ耐えられる者は、部屋の四隅に移動しろ。気を繋いで、術を張れ! 互いに支え合い、圧を凌げ! 気を保てば耐えられる」


 疲弊しきった鬼たちであったが、耀の言葉に応じて動き始めた。何人かがすぐに立ち上がり、四隅に散る。


「慣れろ。それしかない」


 短くそう言い残し、耀は再び走り出す。


 次に向かうのは、朱炎の居場所。

 彼の真意を確かめるため。

 

 だが、部屋に朱炎の姿はなかった。


 部屋を出ると、廊下の先では天井から月明かりが差し込んでいた。

 破壊の痕跡。ここで何かがあったのは明白だ。


 耀は迷いなく駆け寄り、その穴から飛び出すようにして屋根へと登った。

 ここは全体を俯瞰して見れる場所。

 屋根越しに視線を走らせた。


 夜の静けさの中に広がる屋敷。その広い庭の向こうを見る。

 光が届かぬ闇の奥。木々の切れ間から岩山のような影が浮かんでいる。


「そうか……あの場所……」


 思い当たる場所は他にない。

 岩山のふところに、ぽっかり開いた洞穴。

 それはよく知っている場所だった。


 かつて、朱炎が多くの鬼を拷問していた場所。


(今も、そこで、何かが起きている……)


 洞穴の奥には、地下へと続く抜け道がある。

 耀は洞穴へ向かって走り出した。


 心の中にはひとつの問い。


 ――朱炎様は、何をしているのか。


 耀の足音が、岩の大地に吸い込まれていった。








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― 新着の感想 ―
圧力というのは本当に「ブメラン」、失礼しました。「金縛り」のようにきついです。 え、そうか悪鬼になってしまったらもっと大変です。またあの惨事が。 青い光って素敵。 紅葉さんと蓮次くんに耀がいてくれて…
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