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  作者: Yonohitomi
二章
123/167

14.鬼の修行(8)





 屋根を突き破る轟音が、屋敷全体を揺らした。

 敵が侵入したと思われる。


 乱雑な足取りに、理性の感じられぬ突進。屋敷の外に蠢いている異形のうちの一体が見張りの隙を突き、偶然にも屋内への侵入を果たしたと分かる。


 朱炎は眉一つ動かさず、ゆるやかに立ち上がり、向かう。その足取りは落ち着いている。


 壁を崩し、唸りながら進む一体の異形。黒い肉塊が蠢き、目も鼻もなく、口だけを大きく開けて牙を剥いている。


 近くには、地面に伏したまま動けない男鬼がひとり。先ほどまで見張りに付いていた者だが怪我のため撤退し、屋内にて休んでいたところだった。

 肩口から流れ続ける血は、疲労のあまり再生が追いついていないことを物語っている。


 この鬼のほか、恐怖で動けなくなった鬼たちの姿もある。

 腕を庇い合い、身を寄せて震える女鬼たち。まだ幼く血に慣れていない少年の鬼。動きの鈍い老婆鬼たち。皆、異形を見上げ呆然と座り込んでいる。


 しかし、敵は彼らに目もくれず、ただゆっくり前進を続けていた。


 そこに、朱炎が姿を現した。


 一瞬で空気が張り詰める。


 朱炎が纏っているのは、静かな威厳ではなかった。

 研ぎ澄まされた狂気、氷刃のような殺気――容赦なき“鬼”の気配。


 表情は、無慈悲の極みだった。

 

「……何をしている。戦え」


 低く沈んだ声が空間を斬り裂く。


 地面に伏している鬼は震えるだけで動くことができない。周囲の鬼たちは思わず目を伏せる。


 誰もが、朱炎の“いつもとは違う気配”に気づいていた。


 その様子を、梁の陰から覗く気配があった。紅葉だ。

 腕の中には蓮次。紅葉は幼い体を覆うように抱きしめ、息を潜めている。

 逃げたいという本能と、夫が下す決断を見届けたいという心。

 相反する衝動が紅葉の中でせめぎ合っていた。


 異形は喉を鳴らし、這うようにして餌へとにじり寄る。足元には、まだ動けぬ鬼がいる。その者は唇を噛み、恐怖に凍りついたように目を見開いている。


 異形が跳ねた。


 「――がぁぁぁっ!!」


 肉が裂け、血が噴き出す。


 一瞬、誰もが目を背けた。だが、恐る恐る視線を戻す。

 目に入ってきたのは喰われる仲間ではなく、感情を一切浮かべぬまま、ただ惨劇を見つめ続ける長の姿だった。


 咀嚼音と絶叫が、凍りついた場に無遠慮に響き渡る。


 異形は狂喜に身を委ね、鬼の肉を噛み千切った。


 だが、次の瞬間――。


 喰われていた鬼の身体が、黒い煙に包まれた。


 脈動が走り、皮膚が引き裂ける。魂が砕ける音が、周囲の空気に軋むように響いた。


 鬼は、悪鬼へと堕ちた。


 喰われる側から、喰らう者へ。


 すぐに状況は反転した。無惨に姿を変えたその存在は、即座に目の前の異形を押し倒し、貪った。骨を砕き、内臓を啜る。

 異形の断末魔が響く。


 周囲の鬼たちは言葉を失い、ただ呆然と見つめていた。


 紅葉も、蓮次も――ただ震え、祈るように身を寄せ合っていた。


 ぽたりと蓮次の頬に雫が落ちる。

 不思議に思った蓮次が母を見上げた。

 母・紅葉が涙を流していた。蓮次は無言で母を見つめ続けた。

 

 怖い、恐ろしい。

 それよりも、悲しい。


 ――父の背中を見て、母が泣いている。


 泣かないで――そう言いたげに、小さな手が紅葉の頬に添えられる。


 その間にも悪鬼は異形を喰い散らかし、吠えていた。


 背後に朱炎が歩み寄る。

 彼の掌には紅蓮の焔。


 ためらいはなかった。


 一族の中から生まれた悪鬼。それが異形を喰い終えたところで、焔を見舞った。


 「――ッ!!」


 その場にいた者達は、皆、息を呑んだ。


 業火に包まれた悪鬼。

 燃え尽きて灰となった。


 朱炎がゆっくりと振り返る。


 その目は震える者たちを見据えて――


 「弱きは、悪だ」


 淡々と言い放った。


 紅葉の頬に、再び涙が伝う。蓮次を強く抱き寄せ、嗚咽を噛み殺す。


 灰となった悪鬼の残骸が、宙に舞い、静かに消えゆく。


 沈黙の中、遠巻きに見ていた鬼たちは、逃げ隠れるようにそれぞれの部屋や広間へと姿を消した。


 紅葉らはその場に残ったが、朱炎が紅葉と蓮次に声をかけることはなかった。


 朱炎はただ、立ち尽くしている。


 屋敷の空気全体が凍りついて固まっていた。鬼達の気配は不安定で、皆が震え上がっていると分かった。


 そう、あまりにも弱い。

 朱炎からしてみれば、この場に居るもの全てが弱すぎるのだ。


 さて、何を選ぶべきか。


 何を守るべきか――。


 そして、自分はこれまで、一体何を守ってきたのか。


 その問いの果てに、朱炎は思考の奥底であるひとつの“答え”に手を伸ばす。


 屋敷の外の有象無象とそれらと戦う力不足の一族の者達、逃げ隠れた臆病者に答えを出させる。


 朱炎はゆっくりと右手を掲げた。


 そして――。




 

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― 新着の感想 ―
前エピソードとはがらっと変わり(→自分が勝手に妄想してただけです)緊迫感のあるものでした。 一族の長としてチームワークよりもリーダーシップを優先した結果でしょうか。いや、ここまでくるとリーダーシップで…
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