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  作者: Yonohitomi
二章
120/166

11.鬼の修行(5)


 


 薄紅色の皿の中央に、小さな鬼の火が灯っている。壁には朱炎の影が映り、時折揺れた。

 研ぎ澄まされた思考の輪郭も、曖昧にさせるかのような不確かな光。


 彼は静かに座し、目を閉じ、数度深く息をついていた。思考はすでに無数の迷路の中だった。


 ──あれでは鍛錬にならぬ。


 蓮次の身体が、本能で“逃げ”を選んでしまう。恐怖に押され、術の形を成す前に力が暴発する。


 また唐突に山の中へ飛ばれては、命を守るどころか逆に危険を呼び込む。探すのも一苦労だ。


 結界を張るか? いや、それでは閉じ込めるだけ。逃げ道を塞いで強いるような方法では、力の源を歪めるだろう。


 そもそも、蓮次には強くなりたいという意志がない。あの子の目には、戦いへの執念も、力を欲する焦燥も見えない。恐怖するだけの弱き者。


 しかし、治癒力だけでも早急に鍛えなければ、後々の修行にも響くだろう。

 術は後回しにできても、肉体の基盤は幼い今しか育てられない。


「…………」


 だが、そのためには蓮次に“怪我をさせる”必要がある。裂傷、打撲、発熱を伴う負荷。治癒力を刺激するにはそれが最も効果的だ。

 そこでまた問題がある。紅葉がそれを許すはずがない。


 朱炎はひとつ、ため息をつく。

 その時。

 部屋の外には静かな気配。


「朱炎様」


 朱炎はようやく思考を切り上げ、「入れ」と命じた。


 ゆっくりと開かれた襖の向こう。

 耀が頭を垂れて現れる。

 彼の歩みは静かだった。


 朱炎の前に膝をつくと、蓮次の現状を簡潔に報告する。

 蓮次が自ら傷を癒す事は出来なかったが、集中力は上がっている、と。


「今は紅葉様が付いております。蓮次様は眠っておられます」


「……そうか」


 朱炎の返事は短く、目を伏せたまま微動だにしない。耀は、それが思考の渦中にいる証だとすぐに察した。


「……酒をお持ちしましょうか?」


「いや、いい」


 再び、沈黙が落ちる。

 だが耀は立ち上がらず、その場に残った。

 沈黙の奥にある言葉を聞こうと、そこに静かに座したまま、待っている。


 やがて、朱炎はひとつ息を吐き、耀の目を見た。


「……蓮次の傷の治りが、あまりにも遅い。今のままでは、今後の成長に耐えられん身体だ」


「治癒のための力が必要、ということでしょうか」


「ああ。だが、その力を育てるには“負荷”が要る。紅葉がそれを許すとは思えん」


 耀はわずかに目を伏せる。


「……朱炎様。もし、よろしければ烈炎に任せてみてはいかがでしょう」


 朱炎の眉がわずかに動いた。


「烈炎だと……?」


「はい。烈炎は体術に長けております。蓮次様には、まず体を動かすことに慣れさせ、小さな傷を通じて自然に治癒の力を引き出していただく。少々の傷であれば、紅葉様の反発も最小限に抑えられるかと」


 朱炎はしばし黙し、考え込んだ。


「……悪くない。だが、紅葉が納得するとは限らん」


 耀はそこで、もう一つ、言葉を足す。


「……朱炎様。今こそ、紅葉様と二人で向き合っていただく時ではないでしょうか」


 朱炎の瞳がわずかに揺れた。


「……何を」


「蓮次様をどう育てていくか、それはお二人の間で、決して避けてはならぬ問題。我々が蓮次様を見ている間、朱炎様は紅葉様と──外へ、短い旅でもよろしいのです。お二人だけの時間を持っていただくのはどうかと……」


「……旅、か」


 朱炎は低く呟いて、目を細めた。


「だが……毎夜のように異形がうろつく。昨夜も見張りが追い払ったが、もし強敵だった場合はどうだ……私の不在を狙う者もいるだろう」


「……承知しております。しかし、ずっと朱炎様が守りに徹していては、蓮次様も紅葉様も、背中を見失います」


 耀の言葉は芯が通っていた。

 朱炎は目を閉じ、思案する。


(確かに、避けている。紅葉との対話を)


「……だが……避けては通れぬ、か」


 漏れた言葉に耀は口を挟まなかった。言葉の続きを待っている。


「……烈炎に稽古を任せよう」


「では、そのように……」


 静かに頭を垂れる耀。朱炎は小さく頷くと、灯明皿(とうみょうざら)の火を見つめた。


「……紅葉との旅は……考えておく」



 


 



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― 新着の感想 ―
第一章で朱炎様は何を考えていたのだろうと思っていましたが、蓮次くんのことをかなり考えていたのですね。 まず母性、そして父性となるかと思いますが、蓮次くん本人が受け入れられない以上、そのあたりのバランス…
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