8.鬼の修行(2)
この日の空も炎のように赤く染まり、容赦がない。
蓮次の修行は続いていた。
炎がゆらめくたび、蓮次は息を呑み、体を縮こませるようになってしまった。朱炎の掌に灯された火の気配に、反射的に一歩下がる。
その姿は、痛々しいほどに火を怖がっている。
朱炎は静かに見つめていた。
蓮次はまだ幼い。しかし、それは言い訳にはならない。
鬼の子として生まれた以上、恐怖を抱えたままでは、この過酷な世を生き残ることはできないからだ。
朱炎一族の元に生まれた以上、火を自在に操れることは絶対だった。
(どうすべきか……)
朱炎は己がこれまで考えたこともない問いに直面している。
どうすれば肌を焼かずに火を扱えるのか?
一族の中で、自身が放つ火の術で火傷を負う者など、誰一人として見たことがない。
火は自身の一部であり、焼かれることなどあり得ないのだ。
だが──蓮次は違う。
火に触れるたび、その白い肌は焦げてしまう。
そして、すぐに蓮次は泣き叫び、恐怖して逃げようとする。
もはや修行どころではない。
火が近づくだけで怯えるようになった息子を前に、朱炎はただただ模索した。
肌を焼かぬために必要なのは、手元への集中。
意識を一点に絞り、火の圧から肌を護る。
集中力──。
それが蓮次に必要なものだと朱炎は考えた。
──火が使えぬならば、水を使おう。
苦肉の策として、水を用いた修行を始めた。
「手元に意識を集中し、水に触れても濡れぬように」
火であれば焼けるが、水であれば濡れるだけで済む。意識の向け方を学ばせるには最適だと、朱炎は考えた。
しかし、子とは不思議なもので思い通りに動かない。
蓮次は鳥を見かければ笑顔になり、蝶の羽音に目を輝かせた。修行などそっちのけで無邪気に追いかけ始める。
あまりにも集中力が続かない。
朱炎は頭を抱えた。
これでは、駄目だ。
負担をかけぬようにと火を封じ、水を使って学ばせるのは、逆効果かもしれない。
そう、鬼は痛みと苦しみを超えて強くなる。我ながら甘い修行であったと。
朱炎は考えを改め、再び火を用いることにした。
案の定、蓮次は火に触れて火傷を負う。
「いたい、やだ!」
小さな手を押さえ、泣き出す蓮次。
ここまでは想定内だった。
怪我を負うなら、即座に治癒できる力を養えばいい。
傷を癒すにも集中力が必要だ。その事を蓮次に伝えようと、朱炎は蓮次に目線を合わせ、声を掛けようとする。
だが、ここでも邪魔が入る。蓮次の鳴き声が聞こえるや否や、紅葉が飛んできてしまうのだ。
学びの場は乱される。
紅葉が蓮次のもとに駆け寄り、抱きしめ、責めるような瞳で朱炎を見上げる。
朱炎はそんな紅葉を構うことはなく、冷徹な目で蓮次を見据えた。
──このままでは修行にならない。
朱炎は苛立ちを覚える。
焦りで声を荒げることは決してないが、胸の内では焦燥がじわじわと燃え上がっていた。
鬼の世に生きる者は、戦えぬなら喰われるのだ。
朱炎は修行の合間は耀を使い、紅葉が駆けつけぬよう茶の相手をさせた。
耀はこちらの意図を汲み取り動くだろう。
他の配下は訓練に付き合わせた。
蓮次の目に、“火は恐れず扱えるものだ”という認識を植え付けるために、皆が火を使える事を見せた。
だが、蓮次の表情は曇るばかりだった。
蓮次が何も習得できぬまま育っていく。術の一つも使えぬまま。
そして、ある日。
蓮次の方が限界を迎えた。
突然、朱炎の前から姿を消した。以前のように。
朱炎の顔が一瞬で強張る。
(──またか)
初めて火に触れた時のように、恐怖の極限に達した蓮次は無意識に瞬間移動を発動させた。
朱炎はすぐに気配を探った。
だが、屋敷の中に蓮次の気配はない。
「蓮次……」
呟いた声に、焦燥が滲む。
廊下を、庭を、寝所を配下の者に探させる。
しかし、気配が全く消えているため、これもまた徒労に終わるだろう。
次に朱炎は意識を屋敷の外へと向けた。
蓮次は森に迷い込んだかもしれない。
朱炎は、風を裂いて駆けた。気配を探りながら。
もうすぐ日が沈む。空は闇に染まり始めている。
木々の影が伸びる中、蓮次は岩の上に蹲っていた。
手指には焦げ跡があり、赤が滲んでいる。痛みはあったが、それどころではない。
「……どこ……?」
見知らぬ景色に囲まれている。
鼻をすすり、唇を噛み、目に涙を浮かべた。
「母上……?父上……?」
呼んでも返事はない。
遠くで木の葉が揺れる音が、やけに大きく耳に響いた。
「母……?」
足元の土が冷たい。風がまた吹き、木々の間を音が走る。
「母上……父上!」
泣きそうな声が叫びに変わる。叫んでも叫んでも、返事はなかった。
喉の奥がひりついて、涙がまたこみ上げる。
「父上ぇ!!」
泣きながら立ち上がり、改めて周囲を見渡した。
そのときだった。
──ザリ。
後方から、何かの足音がした。
蓮次は、ぴくりと肩を震わせ、そっと後ろを振り向いた。
そこには──。




