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  作者: Yonohitomi
二章
115/167

6.鬼の子 蓮次(5)



 静けさが支配する昼下がり。

 屋敷を襲撃する厄介者の気配は遠ざかり、廊下に影を落とすのは風と障子の揺らぎのみとなった。

 朱炎はひとり、自室にて考えを巡らせている。


 耀の傷が癒えた理由。おそらく蓮次の力に違いない。もはや偶然とは呼べぬ域にある。


 朝方、耀がぽつりと口にした。


「目を開けた時、蓮次が胸の上に乗っていた」と。


 蓮次自身に自覚はなさそうだった。だが、あの力――呪詛を浄め、肉を癒したあの力は、間違いなく彼のものだろう。


 あの子は、望んで耀の元に行ったのか。


 紅葉に聞けば、朝方、急に蓮次の姿が消えたという。もし、意図せずとも瞬間移動の力が発動したのだとすれば、それは無自覚の覚醒。

 未熟さも危うさも隣り合わせにある。


 また、昨夜の蓮次は耀のことを酷く心配し、寝つきが悪かったとも聞いた。居ても立っても居られない気持ちが力を誘発したと、考えるべきだろう。


 ──「蓮は、泥の中からでも花を咲かせます」──


 紅葉の言葉が、ふと脳裏を過ぎる。


 泥は呪詛、花は癒し──そう解釈するのは、親としての願望か、それとも予兆を見てしまったのか。


 眼を細めた朱炎は、障子越しに差し込む光を見つめ、立ち上がった。


 襖を開け、廊下へと出る。陽光が揺れる縁側を歩き、遠くの山影を見やる。


 蓮次の未来を思えば、喉奥が重くなる。

 この静けさの下、何が迫っているのかと。


 風の運びでわずかに竹の葉を鳴らす音が耳に入る。


 ふと我に帰った。


 思えば、蓮次ばかりに気を取られている。

 蓮次を狙った“者”そのものについては、まだ十分に目を向けていなかった。


 思考の乱れに、思わず眉間に皺を刻む。


 即座に耀を部屋へ呼んだ。


 応じた耀は、変わらぬ静かな面持ちで膝を折り、深く頭を下げた。


「改めて……申し訳ありません。警戒が甘うございました」


「問う。何故開封した?」


 短く鋭い問い。

 冷たい刃のような声音が、部屋の空気を一瞬で引き締めた。


 耀は目を伏せたまま答える。


「持参した者の気配が、鬼とも人とも判じ難く……ですが、このような術を使うのは人間だろうと。ならば自らが確かめねばと、開封に至りました」


「その瞬間、呪詛を浴びたか」


「はい。意識を保てたのはわずかで……それから先は、あの有り様にて」


 朱炎は黙って耀を見下ろした。

 思考の裏で何かが形を取り始めていた。



 ──人間。

 それが敵ならば、話はややこしくなる。


「お前がやり取りしている人間の中に、心当たりはあるか?」


 耀は、朱炎一族の中でも特異な立場にある。

 朱炎は耀に人間との取引の全ての交渉を任せている。その者たちの中に、裏切り者が混じっている可能性を考えた。


「……おそらくは、別の者でしょう」


 耀は即答した。


「私が教えているのは、五行の気を読む術。木・火・土・金・水の循環を通じ、命と癒しの理を知るためのもの。攻める術は一切、教えておりません」


 朱炎の目がわずかに緩んだ。


 耀は続ける。


「祖父の代から縁を結んできた者たちです。善悪の揺らぎはあれど、我らを裏切るような者たちではないと信じております」


 朱炎はうなずいた。

 疑いを挟むつもりはない。むしろ、耀の言葉が心の中にある別の思考と重なった。


 己自身。

 かつて朱炎が行ったこと。


 父を失い、一族の当主となって間もない頃、多くの人間を攫い、食糧とした。


 幾人もの命を奪い、血の海にまみれたあの日々だ。


 一族の者に食わすため──と言えば聞こえは良いが、怒りに任せて城を落とし、目の前の人間を片端から殺した。

 力を見せつける事を良しとした。


 人間の誰が恨まずにいられよう。


 極悪非道の鬼、朱炎──その名は山中に響き渡り、夜話となり、民を怯えさせた。

 

 あの所業が、忘れ去られているわけがない。




 過去を見る朱炎の眼は、遠くを見つめた。

 しかし、珍しく焦点が合わない主の隙を、耀が見逃すことはない。


「朱炎様、何か気になることでも……?」


「いや……いい、下がれ」


「……承知しました」


 耀の眼に不安の色が浮かぶ。それを捉えた朱炎は、やはりよく見ている男だと感心した。


「さて、どうしたものか……」


 家族を思えば隙が生まれる。


 ──紅葉。


 そう、人間との関わりと言えばもう一つ心当たりがあるのだ。


 紅葉の血筋が脳裏に浮かぶ。

 

 元は鬼退治の道具として生け贄となった人間の女。

 彼女には、妖や鬼を狩るための術を代々受け継ぐ者たちの血が流れていた。


 父は術師であり、陰陽に通じる者。

 鬼の力を見抜き、封じ、滅することを生業とする男。


 あの父ならば、術をもって、遠くからでも紅葉の身に起こることを読み取れたに違いない。


 ならば、蓮次の誕生もまた、予見されていた可能性は高く、彼らが動く理由も整う。


 蓮次は、紅葉の子であり、自らの子。


 術師の血もまた受け継いでいる。その血を狩らんとする者たちが現れたとして、何の不思議もない。




 朱炎は、静かに目を閉じる。


 だが、もう人を殺めることはできない。それが紅葉の血縁であれば、なおさら。


 紅葉の願い。


 ──「人を殺すのを、やめてほしい」──


 殺すなと、穏やかに暮らせと、彼女の言葉は血の誓いよりも重く朱炎の中に根を張っている。


 だから敵の名が明らかになっても今はまだ動けない。

 だが、動かぬとは言っていない。

 そしてまだ、彼らが敵であると証拠が掴めた訳でもない。




 再び、縁側へと足を運んだ。

 遠くの山の稜線を見つめながら、朱炎はひとつ息を吐く。


 蓮次が狙われるのならば、守る術を教える。

 誰にも頼らず、自らの力で戦えるように。


 その目に宿るものは、決意ではなく、“覚悟”だった。


 教えよう、戦い方を。

 血の守り方を。


 人の心と、鬼の力の、どちらにも潰されぬ術を。


 それが、己にできる、唯一の償い。


 一族を、母を守れる“鬼”となれ。




 


 

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― 新着の感想 ―
朱炎、序盤に溢れる父親感。 父親でいることは悪くないのに一族にとっては隙になってしまう。規律の厳しさ、鬼として生き残ることは大変ですね。 耀に事情聴取しながら思いを馳せる朱炎。 あらゆる可能性を考え…
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