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  作者: Yonohitomi
二章
113/167

4.鬼の子、蓮次(3)

 


 耀は烈炎の腕に支えられながら、ふらつく足取りで屋敷へと戻ってきた。意識の糸を手繰るようにして、倒れるまいと必死に踏みとどまっている。

 皮膚には冷たい汗がじっとりと滲み、体の芯は氷のように冷えきっていた。


 門を越えた瞬間、異変を察した配下の鬼たちが数名、無言のまま駆け出していく。癒し手を呼びに行ったのだろう。

 烈炎は言葉少なに耀を部屋まで運び、そっと布団に横たえた。


「……すまない、手間を……かけさせて……」


 耀のかすれた声に、烈炎は短く目を伏せた。


「とにかく、休め」


 そう言うと烈炎はすぐに踵を返し、再び夜の混乱へと身を投じていった。屋敷の外では、まだ喧騒が渦を巻いている。


 ほどなくして、癒し手の鬼が数名、部屋に現れた。いずれも薬草や呪符を携えている。彼らは言葉少なに耀の容態を見極めながら、すぐさま手当てに取りかかった。


「血は止まっています。毒の兆候は……ありません。だが、これは……」


 癒し手のひとりが声を潜める。


「……呪詛の気配がある」


 その言葉に空気が張り詰める。術を重ねようとした癒し手たちの手が微かに止まった。通常の癒しの術では届かないと判断し、すぐに一人が立ち上がり、紅葉を呼びに走った。


 しばらくして、紅葉が蓮次を伴って現れる。


 襖が開くと紅葉の視線が耀の様子を捉え、小さく息を呑んだ。

 蓮次は母の後ろにちょこんと立ち、じっと耀を見つめていた。幼子の瞳は、まだ言葉を持たないながらも、張り詰めた空気を敏感に感じ取っていた。


「耀……」


 紅葉が静かに名を呼び、膝をついて傷を確かめた。槍による刺し傷は深かったが、出血はすでに止まっている。鬼の身体であれば、時間が経てば傷は回復するだろう。


 だが、紅葉が眉根を寄せる。


「これは……」


 鳩尾から胸骨にかけて、不自然な黒い変色が広がっていた。表皮は硬化し、深部には異様な膨らみ。膿でも毒でも瘴気でもない、禍々しい“何か”がその奥に潜んでいる気配がある。


「……呪詛」


 紅葉はすぐに両手を翳し、癒しと浄化の術を同時に紡ぐ。指先から緋の光が流れ出し、耀の胸元にやわらかく降り注いだ。


 だが――術は届かない。


 耀の身体は呪詛を弾くどころか、受け入れている。緋の光が吸い込まれていくのに、効果は一切生じない。


 耀のまぶたが微かに震える。意識はある。だが呼吸は浅く、全身がかすかに痙攣していた。


 蓮次が耀の隣に膝を揃えて座り、紅葉を見上げた。次いで耀へと向き直り、小さな声を漏らす。


「……耀、へいき……?」


 そのひとことに、耀の唇がわずかに反応する。


「……蓮次様は……」


 かすれた声で言葉を紡ぐ。


「……近づかないで……ください……」


 蓮次は小さく頷いた。紅葉もまた、その想いを汲み取る。

 蓮次に後ろへ下がるよう促し再び術へ集中するが、状況は変わらない。


 それどころか、耀の表情はますます苦しげに歪んでいく。 


 彼は自分の身に何が起きているか、痛感していた。

 胸の奥から何かが軋むように鳴り、内側から喰われていく感覚に襲われる。


「紅葉様……」


 耀が絞り出すように訴える。


「もう……充分です。それよりも……蓮次様を、別の部屋へ……」


「耀……」


「……お願いします」


 その目には、はっきりとした意志が宿っていた。


 紅葉は一瞬、沈黙し――そして、頷く。


「……わかりました」


 紅葉は蓮次をそっと抱き上げる。

 蓮次は耀を一度だけ振り返り、静かに紅葉の肩に顔をうずめた。


 襖が閉まる。


 耀は、ようやく一人になった。


 苦しむ姿を見せまいとしていた分、堰を切ったように表情が歪み、深く喘ぐ。痛みを堪えていた全身が悲鳴を上げ始めていた。


 視界は滲み、手足は凍えるように冷たい。胸には重く鉛のような塊が沈み込み、正体の知れぬ異物感が全身に染み渡っていく。


 やがて――耀は、静かに、深く、眠りの底へと沈んでいった。








 ――夢の中。


 全てが、黒い。


 光も、色も、音もない。ただ、濁った闇だけがこの空間を支配していた。


「…………」


 声を出そうとするが何も出ない。口が動いても、空気が震えない。


 呼吸ができない。重すぎる。


 そして――現れた。


 どこからともなく無数の手が。

 ぬめりを帯びた冷たい手が、耀の手足に絡みつく。


 それは腕を這い、喉を掴み、胸を押し潰すように締めつけた。


(やめろ……ッ)


 声にならない。叫ぶことはできない。


 巨岩の下敷きになったような圧迫感。地の底へ引きずられそうな感覚。

 視界の端には何かが見える。


 人か、獣か、それとも――


 正体のわからない「何か」が、ただ、耀をじっと見つめていた。


 喉が焼けるように痛み、意識が引き裂かれる寸前。


(……誰……だ……)


 ――その瞬間。


 心臓が大きく跳ねた。


 苦痛の極みと共に、意識が現実へと一気に引き戻される。


 耀は、息を呑むように目を見開いた。


 視界が白く染まり、世界に光が戻ってくる。

 全身に再び、重力と熱を感じた。


(……なんだ……?)


 目を覚ました耀の目の前には――




 

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― 新着の感想 ―
烈炎は耀を生かせてくれないのですね← そうか、癒し手さんがいらっしゃるのか。 紅葉さんのそばにちょこんの蓮次くんが可愛い。 精神的にくる呪いはきついですね。 身体の痛み以上だと聞いたこともあります。…
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