3.鬼の子、蓮次(2)
異様な静けさの中、配下の鬼たちが円を描くように立ち尽くしている。
その中心に、男が倒れていた。
――耀。
自らの右腕とする鬼が地に伏している。左胸を強く押さえ、衣は乱れ、時折小さく痙攣していた。
血の泡が唇から零れ、呼吸は浅く、言葉を発することすら叶わぬ様子だった。
傍らには、破られた小包と雅やかな装飾品が散乱している。白木の箱は真っ二つに裂け、その内側には黒い染みのような、何かが蠢いた痕跡がべたりと残されていた。
「……何があった」
低く、抑えた声が場をひりつかせる。怒号ではない。だが、その静寂の中に潜む圧倒的な威圧は、配下の鬼たちの背筋を凍らせた。
耀は答えられない。声を出そうとしても、喉が詰まり、苦悶に喘ぐだけだった。
朱炎の眉がわずかに動いた。苛立ち。それを露わにすることなく周囲に目を向ける。
「……持ち場に戻れ」
その一言だけで、鬼たちは一斉に姿を消した。誰ひとり逆らう者はいない。朱炎の言葉は絶対だ。
再び耀に目を落とす。
その身体に、異様な気配が渦巻いているのを朱炎は見逃さなかった。
体内――奥深くで、まるで生き物のように何かが蠢いていた。
朱炎は片手を上げる。
次の瞬間、手のひらに生まれる白光。闇を裂き、鋭く伸びた光の槍のように鋭い物に変化した。
朱炎はそれを躊躇なく耀の胸へと突き刺す。
「――ッ……!」
耀の体がびくりと跳ねた。静かな悲鳴のような息が漏れ、血が溢れ出す。
槍の穂先に何かが巻きついてくる。
黒く、粘つき、蛇のように蠢く異形――それが姿を現し始めた。
その時、空から雷のような怒声が轟く。
「何やってんだ、朱炎!」
烈炎だった。怒りを帯びた声が大気を割るように響いた。彼は空から駆け降り、耀の姿を見て息を呑む。
だが朱炎が烈炎を構うことはない。
眼前の異物に集中し、槍を引き絞るようにして、それを無理やり耀の体から引きずり出した。
ずるり、と。
黒蛇のごとき異形が、耀の体から這い出す。
耀の顔からは苦痛が消えない。だが、体から異物が離れたことでわずかに呼吸が戻っていた。
烈炎は異形に目を向け、すぐに状況を察する。
「……けどよ、もうちょいやり方ってもんが――」
「烈炎」
鋭く、静かな声が彼の言葉を断ち切った。
朱炎の鋭い眼光が、烈炎を射抜く。
「耀を屋敷へ」
その一言に烈炎は言葉を呑み込んだ。仕方なく耀の肩を支え、ふらつく身体を抱きとめる。
その合間にも、槍に絡め取られた異形は、最後のあがきのように暴れ回っていた。
逃げようとしている。
その様を朱炎は無表情のまま見つめていた。
次の瞬間、彼の手が握った槍から紅蓮の炎が立ち昇る。
逃がすものか。
異形は苦鳴をあげる間もなく、炎の中で音もなく灰となった。
だが、朱炎の眼差しは次へと向かう。
異形が逃げようとした“先”に、微かに残る気配。
遠く――見知らぬ者の邪悪な気配。朱炎の殺気を感じたのか、その者はすっと姿を消したようだった。
朱炎は確信する。追うまでもない。
小包を耀に渡したのは、あの者の仕業だ。
耀の様子、箱の残骸、蠢いた異形、行方をくらませた邪な気配。すべてを無言のまま繋ぎ合わせ、朱炎は状況を理解した。
おそらく、耀は蓮次の誕生祝いとして小包を受け取った。見知らぬ者からの贈り物など警戒しないはずがない。屋敷に戻る前に中身を確認し、何かあれば自分で処理するつもりだったのだろう。
耀は、鋭い勘と洞察力、冷静な判断力に秀でている。 常に周囲を読み、誰よりも警戒を怠らない。そして、戦闘能力も高い。
だが、それほどの耀でさえ一瞬の隙を突かれた。
この異形――蓮次を狙って送り込まれた呪物に違いない。
配下が侵され、我が子が狙われている。
――これは、明確な敵意だ。
朱炎の周囲に、熱が集まり始めていた。空気が焼け、ばちばちと乾いた音が空間に走る。
烈炎は耀を抱き支えたまま、その背中を見つめた。
「……ありゃ、相当お怒りだな」
息を呑むように呟いた。
風が吹き、焦げた匂いが漂う。まるで、地獄の入口がここに穿たれたかのようだ。
朱炎の怒りは、ゆっくりと地を這う溶岩のようにこの場を覆い始める。
一刻も早く、蓮次を鍛え上げなければならないという焦燥を胸に抱いて。




