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  作者: Yonohitomi
一章
107/166

110.黒い雫


 暗黒に沈んだ空の下、重く淀んだ気配がこの地を覆っていた。


 ──ここに、俺は囚われ続けている。


 因縁の地、処刑台。


 蓮次は足を止め、静かに見上げた。


 朽ち果てた木柱。足元には、かつて“蓮次”を縛ったであろう縄や古びた錫杖が転がっている。人間たちの恐怖と憎悪。それが未だこの場に染み付き、消えることはない。


「……人間の方が、よほど鬼らしいじゃないか」


 淡々と口にしたが蓮次の周りの空気はぴりついた。


 再び歩み始める。足元の無数に散らばる錫杖を一瞥し、処刑台へ。 

 目の前にある木の板を一段、また一段と登った。


 そのとき、二つの気配が蓮次に近づく。

 じわりと足元から染み出すように、それは姿を現しはじめた。


 蓮次は振り返らず、「……いるのか?」と静かに問う。


 風がぴたりと止んだ。


 音もなく影のように滲み出た男は紅蓮の眼を宿す、鬼の頂に立つ存在、朱炎。

 その隣には影のように立つ黒訝。

 二人は処刑台の上に立つ蓮次を見上げた。


 蓮次はゆるやかに振り返り、見下ろす。

 その眼差しは朱炎ただ一人を捉えていた。


 黒訝は蓮次の視線に自分が含まれていないことを悟る。蓮次の関心は朱炎のみに注がれていた。


 朱炎は慎重に蓮次の様子をうかがっていた。下手に言葉を交わせば、互いに牙をむくかもしれないと理解しているからだ。


 だが、蓮次の瞳には余裕すら漂っている。まるで「さっさと話せ」とでも言いたげに。

 

 黒訝は交互に二人を見る。

 父と、兄。

 どちらも凄まじい圧を放っている。故に、自分に出来ることは何もないと分かる。ただ見守る。


 遠くでは雷が鳴る。黒雲の中に小さな稲妻が何度も走っていた。


 長い沈黙となった。


 これを最初に破ったのは朱炎だった。


「……来ると思っていた」


「…………」


「お前は、ここに戻ると」


 蓮次は何も答えない。ただ朱炎を見つめるのみで変化はない。

 だが朱炎は見抜いていた。蓮次の瞳が以前とは違うことを。

 そこにはかつての虚無ではなく、確かな“意志”が灯っていた。


「蓮次。……お前は、何を見てきた」


「…………」


「……お前を苦しめるつもりはない」


 朱炎は一瞬の変化を見逃さなかった。蓮次の瞳がわずかに揺れたのだ。


「だが──」


「…………」


「返してもらう。お前にその力は扱えない」


 蓮次は沈黙を貫いた。

 しかしこの時、蓮次の心の奥底では鈍い音が響いていた。


 ──まただ。


 また「できない」と、拒絶されたのだ。


 ──なぜ、こうも否定されるのか。


 蓮次の胸の奥に黒い渦が巻き上がる。

 空に垂れ込めていた黒雲はさらに濃く広がっていった。


 蓮次はひとつため息をつくと、朱炎から視線を外す。


 ──今さら力を返して何になる?


 森を抜け、町をさまよい、この場所へ至るまで確信したことがある。


 それは──

 自分はこの世の「負」だということ。


 悪とされ、災いとされる存在だろう。

 もう遅いと分かる。


 蓮次はそっと木柱に触れた。今にも崩れそうな柱だ。崩れそうなのは、柱だけだろうか。


 ──ただ、認められたかっただけなのに。


 ふと、胸の内で感情が転がった。途端に滑稽に思えたのだ。

 表情には明らかな変化が現れる。


「……強くなりたかったんだ」


 朱炎は黙してその言葉を受け止めていた。

 だがその反応は裏目に出る。蓮次の心を軋ませるだけだった。


 何も感じないはずだった心が乱される。その勢いで言葉を続けた。


「だから、鬼になると決めた。それなのに、このザマだ。皆、壊れていった……」


 枯れ果てた森。腐敗した湖。灰となった町。そして、目の前で崩れたあの少女。

 どれも鮮やかに頭に焼きついて離れない光景。


 溢れ出るのは言葉だけではなさそうだ。


 蓮次は引き攣るような笑みを浮かべたまま、目を伏せた。

 足元に転がる錫杖を踏みつけ──。


 呟くように告げる。


「……殺せ」


 黒雲はさらに重くのしかかり、夜を染めた。


 朱炎の瞳がわずかに細まる。


 空からは、ぽつりと冷たい雫が落ちた。

 黒雲の裂け目から落ちるその一滴は、雨と呼ぶには重すぎる黒い雫。


 蓮次はゆっくりと空を仰ぎ見た。




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― 新着の感想 ―
前回や前々回から蓮次は完全に闇の鬼となり、自らの意志でここまで来たと思っていましたが見つめるのはやはり父親である朱炎。 その朱炎からもまだ認められないと分かった時に、蓮次が思い出す数々の崩壊する景色。…
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