0.鬼
「なぜ助けない! お前の子だろ!」
と叫ぶ声。
親は黙ったまま、動かない。
我が子を見殺しにする親は、この世に存在すると思うか?
もし存在するならば、それは「鬼」だ。
鬼は元々、人間だった。
生きることが辛く、絶望し、極限の苦しみの中で鬼となった。
沢山の人間たちが鬼になる。
力を持った鬼たちは人間を襲い、殺した。
鬼と人は争うようになった。
「全部お前たちが悪い」
鬼は人間を見つければ乱雑に殺した。
喰いもした。
人間の味を覚えた鬼は、好んで人間を喰うようになった。
「鬼を見つけたら殺せ」
人間は鬼を根絶やしにしなければならないと言った。
そして、鬼に勝つために知恵の限りを尽くした。
人間は正義で、鬼は悪。
これは人間が決めた事だ。
その線引きをしたのは、鬼にならずに済んだ人間たち。
誰かに愛され、守られ、恵まれた環境で生きてきた者たちだ。
彼らは言う。
「鬼は異常者。鬼は人間の欠陥だ。すべて殺せ」
異常者とは何か。
人間はこの世の「正常」で、鬼は人間の「異常」なのだ。
その境界線を引いたのは、常に「正常」と呼ばれる側だった。
人は鬼を殺すために、あらゆる手を使った。
騙し、罠に嵌めた。
本能のまま生きてきた鬼たちは、人の知に勝てない。
鬼は理解し、山奥へ逃げた。
隠れて暮らせばいいだろう?
人間と関わらなければいいだろう。
鬼達はひっそりと自然の中で暮らし始めた。
やがて、鬼の中に愛を育む者が出て、子を持った。
子は、生まれたときから鬼であった。
この世を恨んだことはない。
無垢に笑い、遊びに出かけた。
鬼の子供は人間を知らない。
ただ、目の前の生き物に近づいて、自身と同じ姿のそれに声をかけただけだった。
だが、殺された。
何もしていないのに。
人間に見つかり、殺された。
「なぜだ」
「どうして殺される」
鬼だからだ。
鬼の子も、鬼なのだ。
鬼として生まれた。だから、悪とされ、痛めつけられ殺される。
人々は弱い鬼の子を狙い始めた。
親の目の前で子を殺した。
子の目の前で親を殺した。
鬼とて、親も子も、大切な存在で、愛すべきものなのだ。
「許せるはずがないだろう?」
鬼たちの怒りは再発し、また人々を襲う。
人と鬼の争いは終わらない。
何度でも、繰り返される。
だが――その争いを終わらせたいと願った者がいた。
それは鬼の中の、異常者だ。
人と分かり合えると考えた、異常な鬼。
鬼でありながら、人を信じたいと願う異端。
馬鹿だ。
「ああ、私の息子だ」
鬼の親は呟いた。
大きな争いの中、一族を率いて逃げてきた。だが、その中で――息子だけが囚われている。
話せば分かり合えると言った馬鹿な息子。
人を信じた結果がこれだ。
「見捨てるのか」
「…………」
「助けてやらんのか」
「…………」
助けるべきだと思うか?
人間の裏切りを何度も見てきた。
ゆえに、最強の鬼に育てたのだ。
人に勝てるよう、人を支配できるように。
二度と踏みにじられぬようにと。
「あの子は強い。自ら逃げる事も、戦う事もできる」
「だから、助けない……と?」
「そうだ」
あれは最強の鬼なのだ。
つまり、あの子は自ら死を選んで囚われている。
「助けてくれるな……と、そういうことだ」
周りの鬼たちは言葉を失った。
赤髪の鬼は声を荒げた。助けに行けと、殴りかかるように。それを止める青髪の鬼は目に涙を溜めていた。本当は、誰よりも助けに行きたいはずだ。だが、それが出来ないのだと、赤髪の鬼を説得する。
騒がしさの中、鬼の親は遠くを見つめて動かない。
何も言わず、涙を流すこともない。
ただ、ずっと思案している。
そして、その夜、問いかけた。
――お前は親を許したのか、と。




