第三十四話 自死
嵌められた
俺は理解した
「やっぱり財布泥棒はこいつだったんだ!!」
「違う!!俺はお前に命令されていたんだ!!何の理由があって、、」
言い逃れしようとした。話せば、きっとみんな、誰が悪いか分かってくれる。
だからやめろ。そんな責めるような目で俺を見るな!
「俺は悪くないんだ!!これは誤解だ!!」
「やった奴って..。大体みんな、そう言い訳するよね..」
その時だった。
白木の取り巻きの一人が、皮肉めいた声でそう言った。
「違う!くそ、みんな信じないならもう全部言ってやるよ..。
俺は■■(チンピラ)君に白木の財布をとるように命じられた。
俺は断ったよ。でも、■■は、財布をとんなければ通学路に待ち構えて、
白木を襲うって言ったんだ!!俺は白木を守るために!!」
「は?どうして剣は白木を守ろうとするの?
別に二人は付き合っているわけじゃないでしょ?」
「そうだよ!付き合ってないけどさ..。じゃあ、お前は
クラスメイトが暴力に巻き込まれそうになっても、無視すんのかよ?」
「無視はしない。”普通”は先生に報告するわ。
だって、財布をとれ。とんなければそいつを襲うって、交換条件としては破綻している
じゃない?」
考えてみれば確かにそうだ。先生に報告すればそれで終わりだった。
あいつが白木を襲うかもしれないから、通学路にいて見守ってやるか、
例の不良軍団を呼んで注意させてもらった方が手っ取り早かった。
でも、俺はチンピラに言われたあの瞬間、とにかく頭が真っ白になってしまっていた。
自分一人の力で何とかするしかなかったからだ。だって俺は一人だったから。
しかし、そんな言い訳など通用するはずもなかった。
その日から、俺はクラスの財布泥棒というレッテルが貼られた。
先生の耳にもすぐにそれが伝わった。それから、親の家に連絡がいった。
そこから先の事はよく覚えていない。ただ、チンピラは俺を利用して、
クラスの悪者を捕まえた英雄になりたかったのだという事しか分からなかった。
反省文を渡されたが、書くことなんて何もない。
『ごめんなさい』と濡れ衣を容認し、謝罪するなんて俺のプライドが許さない。
かといって、弁解を証明するほどの頭が俺にはない。
机の上の座学なんて、世渡りには全く役に立たないのだと悟った。
一日たった。学校に行きたくなくなった。でも、何とか家を出た。
家を出ると、今まではいつも、白木が家の外に待ってくれていたのに、
もう、そこには誰もいない。
ー俺は一人だった。
この社会で、一人でいるのは罪なのだと知った。
社会の語源は『人と人』である。つまり一人の俺は、社会の外側にいるという事だ。
だから財布を盗む前に、白木との縁を切ってしまった時点で、俺は罪人だった。
思い返せば、一人になった時点で、俺は詰んでいたのだ。
教室の外まで来た。クラスは昨日の話題で持ちきりだった。うるさい話し声が、
ここにまで届いて来た。
「なぁ。昨日の財布泥棒って、剣の奴、マジで命令されてやったんじゃないのか??」
「は?当たり前だろ?■■にあいつがいじめを受けてたなんてみんな知ってんじゃん。
でも、あいつらに逆らって、剣を擁護でもしてみろ。そうすりゃ、俺たちが
次のターゲットだ..。剣には、悪いけど....」
一人
一人
一人
そうだ。おかしいと思ってた..。あんな不良少年の発言を間に受けるほど、
こいつらもバカじゃない。でも、バカじゃない分、こいつらは狡猾だった。
こいつらは世渡りの術を知っている。触らぬ神に祟りなしという言葉の意味
をよく知っている。こいつらは、自分の身を犠牲にしてまで俺を擁護するか、
自己保身の道かを天秤にかけ、後者を選んだのだ。
そう分かった瞬間に、俺は一人を呪った。
『触らぬ神』は、俺だったのだ。でも、
こいつらは、みんな俺のせいじゃないと分かっている。だったら、
みんなからいじめられる事はなんじゃないか..。だって、俺は悪く、、
『ない』とは言えなかった。
そして、俺はいじめられた。
自分の使っていた鉛筆、ノート、教科書がなくなった。体操着も取られた。
給食の時間中、俺にだけ配膳が回されないなんてザラにあった。
みんな、俺をいじめたくていじめているわけではない。
ただ、いじめないと、自分が次の不良のターゲットにされるのが怖かったんだ。
「剣。ちゃんと白木に謝んなよ!」
ある日、白木の取り巻きの一人に言われた。
そして、この時から、俺は妙な感覚に捉われるようになった。
自分が自分でなくなるみたいな感覚だ。
目も見える。音も聞こえる。ただ、夢の中にいるみたいな感覚が時たま襲う。
こうなると、俺はもう、さっき自分が何をしていたのか、良く思い出せなくなる。
「謝んなよ!」と言われ、俺が何をしでかしたのかは覚えてないが、
その日を境に、俺に対するいじめは更に過激になった。
♢
俺は学校に行かなくなった。というより行けなくなった。
朝目が覚めて、体を起こすと、急激な頭痛が走り、歩くどころではなくなった。
生活習慣は徐々に乱れ、昼夜は逆転した。
そして心配した親が、俺を病院に連れていくと、
『起立性調節障害』という診断が下った。
原因は過度なストレスだった。それと同時に、俺は『離人症』という精神症も
併発している事が判明した。
医者から、「安静にするのが良い」と言われた。
中二の冬
俺は学校に行かなくなった。
新学期、中三の春は、俺には来ない。
代わりにやって来たのは、普遍的な日常と、部屋の外から見える
桜の木が、ようやく開花した事ぐらいだった。
ヌルい風で、何もやる気が起きない。家の中では、主にパソコンゲーム
をして過ごしている。二年の二学期の期末テストが終わって以来、
俺は鉛筆を握っていない。山積みになった教科書傍用問題集は、箱ティッシュと
マウスパットの下敷きになっている。
もう、ゲーム以外に何もやる気が起きなかった。
ある日の事だった。
「白木さん..。県立から..、私立の●●高校に進路変更するそうよ..。
あとこれ..。今日の授業プリント..」
夕飯時、母が俺にこんな事を言ってきた。
不登校になっても、俺を責めなかった母が突然言い出したから驚いた。
白木..。名前を聞くのも久しぶりだった。
俺は、白木の親の前で、財布の事に関して謝罪したきり、
彼女とは顔も合わせたくなくなっていた。それは白木も同じだった。
それでも、未だに白木の親と俺の親の間では、ある程度の交流があるらしい。
というのも、白木の親は敬虔なクリスチャンらしく、俺のしでかした事を
特に咎める事はなかったからだ。何か思い詰めているのならと、白木の両親が
牧師を務める教会に誘われたが、結局一度も行っていない。
行くつもりもなかった。もう、どうでもよかった。
でも、白木が進路変更した事には驚いた。
あいつは中一の時から、ずっと県内トップの県立の進学校志望だったのに、
県内二番手の私立高校に、この時期になって変える理由が分からなかった。
母は話を付け加えた。
曰く、白木の今の志望校である私立●●高校は、入試はペーパーテストの
一発勝負のみで、内申点も必要がないから、俺のような不登校児でも点数さえ
良ければ受け入れてくれるというのだ。そこを受けてみないかと言われた。
母の意図が分かった。
確かに、今のままモラトリアムを続けたとしても、
その延長線上には子供部屋おじさんに
なる未来しか待っていない。人生でやり直しはいつでも効くというが、
大人になってくるとそれはどうしても難しくなってくるというのも事実だ。
だから、俺に新たな進路を提示したのだろう。
ただ、俺は高校に行くつもりはなかったし、もう何もやる気が起きない。
今更頑張ったところでと考えながらも、家にこれ以上負担をかけるのも
どうかと思ったから、仕方なく勉強を始める事にした。
母が意味ありげに、白木さんにも伝えておくからと言ってはいたが、
俺にはあいつと同じ高校に進学するなんてどうでも良い話だった。
あいつとまた、高校でやり直せるかもしれないなんて思ってはいない。
確かに俺を虐めた不良軍団や、周りに流されるだけの凡夫は消えるだろうが、
それでも、俺は白木とまた仲良くなる自信なんてなかった。
静かな部屋の中で、俺は一人で勉強を続けた。
とにかく必死だった。学校の進度は鈍いから、効率が悪いと
バカにしていたものの、学校は生活習慣のペースメーカーとして
作用していた事を身を持って実感した。
俺はまず、昼夜逆転生活を直すとこから始め、飯も孤食ではなく、
家族と摂るようになった。精神にゆとりを持たせ、簡単な英単語を
暗記しつつ、筋トレに励み健康な肉体を作っていった。
夏が終わり、秋が来る。秋が終わり、冬が来る。
受験直前は志望校の過去問をひたすら解いた。合格点は超えているし、
平常心でいけば余裕で受かる。先日届いた受験票を大切に保管し、
俺は試験前日も、すんなりと眠ることが出来た。
そして、試験当日の朝が来た。
その日は雪が降っていて、窓を開けると一面が銀世界だった。
公共交通機関が麻痺したのもあり、試験は開始時間がずれたが、
余裕を持たせて着席し、あたりを見回した。
もう俺以外にも数人が着席している。しかしその中に白木はいなかった。
もしかして、雪で立ち往生しているのではと不安になった。でも、
もう20分もしたら、白木は同じ会場に入ってきた。あいつが入る時、
一瞬目が合った気がしたが、会話はなかった。
「試験開始!」
試験官の声と共に、俺は問題冊子を開いた。
簡単な計算の小問がいくつかと、三平方の性質を使った図形問題の
証明で、最後の整数問題だけはあまり自信がないけど、他は合格点を
超えた自信があった。英語も、国語も、
国語で形式にない古文を織り交ぜた問題が出た時は焦ったけど、
源氏物語がモチーフになっていて、以前白木が貸してくれた
『あさきゆめみし』という漫画の予備知識のおかげで、
何とか対応することが出来た。
これは受かる。と思った。
でも、合格発表の前に、俺は自殺した。
理由は二つあった。
一つ目は、家に帰って自己採点をした時に、想像よりも点数が
下振れ、例年の合格者最低点を下回っていた事。
俺は絶望した。あんなに自信があったのに特に国語なんか、
出来ないと思っていた古文問題はそれなりだったが、いつも
安定して取れる現文の点がガクッと落ち込んだ。
そしてもう一つは、
試験が終わってすぐだった。
俺はまだ、自己採点をやる前だったから、受かる自信があった。
想定よりも出来た手応えのあった事に高揚した。
俺は白木と、久しぶりに話したくなった。
俺は少しずつ、彼女のいる席へ近づいた。
あの時はごめんーと、そう一言言えば済む..。
「白木さ..」
「イヴ!!」
「あ!高原くん!試験どうだった?」
高原というその男は、白木と仲が良さげだった。
「あ..えっと....」
気まずい沈黙が流れた。ただ、白木は俺の顔を見て、確かにそう言った。
「誰?」と、そう一言。
「あ....」
取りつくしまもなかった。
もう、何も言い返せない間に、白木は遠くへ行ってしまった。
俺は泣きながら家に帰った。
ずっと泣き続けながら、自己採点をした。
結果は最悪だった。高校ももう、きっと受からない..。
俺は人生に絶望した。
何故絶望したのかなんて、少し考えれば分かる。
俺は白木がずっと好きで、白木と同じ高校に行くためだけに勉強を続けた。
高校に上がれば、きっとまた仲直り出来ると思っていた。
でも、白木はもう俺の事なんて眼中にない。
そして、彼女と同じ土俵に上がる資格さえ、残されていない。
だってあいつは絶対に受かるからーー
こんな単純な話なのに、俺はそれを認めたくなかった。
白木の事が好きだと、認めたくはなかった。
俺は自死の理由を、俺をいじめた人間のせいにした。
これが、渡良瀬剣という人間の人生だ。
愚かで、滑稽で、笑えてくる。
でも、
不思議な事に、この愚かな男の人生は、いつも俺の頭の中に、
鮮明に焼きついている。




