第十九話 媚薬クリーム
ー早朝
いい天気だ!前日の夜に降った雨が土壌や木々を湿らせており、
歩いているだけで四方からのマイナスイオンを感じる。肌は急速に冷却され、
顔全体、そして通気性の良い衣服に爽やかな風が吹き抜ける。
そんな良い1日だった。
しかし、そんな良い日であっても、一昨日、そして昨日と二日連続で続く
エルフの行方不明事件もあってか、森の中に漂う空気は、いつもより
若干重く、張り詰めたかのような緊迫感と焦燥感をもろに感じる。
これは森全体に漂う一種の波長の乱れのようなものであって、
うまく表現するなら、『空気感が違う』と言うべきであろう。
ただ、そんな非日常の空気の中、
まるでスパイスカレーにチョコを入れるが如く、
飽和し緩んで弛み切った空気を漂わせる発情期真っ盛りの女性が隣に一人。
「なぁツルギ!知っていたかい?エルフは頭を撫でられる事で、
オキシトシンという幸せホルモンが分泌されるんだ。これは不安や
恐怖を和らげる効果があると言う。今のツルギにとっても必要な
事なのだと思うのだが..」
「マジっすか。お願いします」
異世界で、エルフのヘッドスパを体験しながら森林浴!ん〜最高!
「あのなツルギ..。良ければ私の頭も撫でて欲しいのだが..」
「ふふっ。良いですとも。頭でも足でもお..とにかく何でも撫でます!」
スタンリューマの黒髪からは、地球にはない独特な香りがする。
それは決して臭いと言うわけではない。寧ろ良い香りだ。
例えるとするならば、ローズマリーの香りに近い。彼女の頭を撫でる事で、
俺の手にもその匂いが付着する。そして、
彼女の見えない所で、
俺は彼女の匂いが付着したその手の匂いをクンカクンカ嗅いでいる
事はシークレットインマイハーツというで..。
「ツルギ。これからしばらくは、
この森はエルフェンズたちに警護させているし、
何か起きてもすぐに対処できるから安心してくれ」
「なら、良いんですけど..」
明らかなフラグ発言をした彼女だが、確かにもう安全なのかもしれない。
何せ、このエルフの森の警護を担当している一人はあのキューラさんだ。
鍛え上げられた上腕二頭筋と三頭筋により放たれる重くかつ速い剣戟。
引き締まった腹筋と、背骨を支える腸腰筋、刃○に出てくる格闘家並に
鍛え上げられた丈夫な大腿四頭筋。それでいて、過去の実績も申し分ない。
彼女はこの森で最強のエルフだ。彼女が傷を負うのを、もう数世紀は
見ていないと、スタンリューマさんは昨日、一人で熱弁していた。
(因みに刃○云々の例えは俺が勝手にしただけで、彼女がそういったわけではない)
「でもまさか、彼女がやられるなんて事は..」
「それは万に一つもないから安心してくれ。
それより君は、私の警護をして欲しいのだ。
私は武術に関してはからっきしだからな。
か弱い女の子を守るのは殿方の勤めだろう」
「一つ訂正!スタンリューマは女の子ではなく、おばさ」
ー彼女の俺の頭を撫でる手の握力が、途端に強くなった。
「すみません..。女の子です....」
とまぁこんなわけで、朝の一幕は終わった。場面は切り替わり、
現在森の警護にあたっているエルフェンズたちの様子を、丹念に記述していこう、
♢
昨晩からスタンリューマの命を受け、大樹の指定エリアに分散し、
森の移ろいを休息の間もなく観察し続けている、現代だったら労基に
余裕で引っかかりそうな過重労働を強いられているエルフは現在約6名。
うち一人はキューラさん。そしてまた一人はビースト。残る4名も、
彼らの実力には及ばないものの、
キューラによって幼い頃より剣術の指南を受けた。
エルフの中でもとりわけ武芸に秀でる精鋭たちである。
「全く..。まさか一晩中森の守備役とは..。スタンリューマも人遣いが荒い..。
交代制にすれば、幾分かましにはなるのだがな....」
そう森の一角のとある木、一本の太い枝の上に座り、ぼやいていたのは
キューラだ。彼女はもう、半日以上同じ場所で、
エリアに異常がないか確認しているのだ。
「あ〜眠い眠い..」
彼女は重い瞼を擦った。無理もない。彼女は先週あたりから、
眠くなる頻度が増えたのだ。エルフも人間同様、
一日の約半分は睡眠時間にあて、
脳をリフレッシュさせるのが常だが、
キューラは天性のショートスリーパーであり、
1日の平均睡眠時間は約2時間ほど。これで事足りてしまう。
この特殊体質ゆえ、彼女は長期任務に重宝される人材であるのだが、この所、
彼女の睡眠時間は日増しに増えており、
今では人並みに寝ないと眩暈が走るようになった。
それに、今までは普通に扱えていた剣も、今日は腰にぶら下がっているだけなのに、
妙に重く感じる。
「はぁ..。そろそろ寿命かな..。まだ半分折り返したくらいだと思ってたんだけど..。
年月なんて一瞬で流れちゃうし、もう、私は自分が今、何歳なのかも分からない..」
ただ、弟子は立派に育った。特にビーストは、私が不調とはいえ、
先日の木剣での対決で私から一本を取ったのだ。
まだまだ未熟だが、彼はこれからもっと..
「師匠!!暇だから出向いてやったぜぇ」
はは..。噂をすればという奴かな。木の下で、ビーストが私を呼ぶ声がした。
ー全く..。持ち場は離れるなとあれ程言ったのに、、
「なに?ビースト??」
ーあれ..。
「ビースト!?」
木の下に目をやったのに..、誰もいない....。
「ビースト....」
「師匠」
どうしてだろう..。声はするのに..。声はする...........。
まさか、、、、、、、
「キューラさん」
気配はなかった。それでいて、私の背後にその女は立っていた。
銀色に鈍く光る剣を、私の首筋にそっと当てながら。
あはは..。この禍々しいオーラを、
私はどうした感知出来なかったのだろう..。
「魔女さんね..」
後ろは振り向かなかった。というより..、体が動かない..。
ーそれに、キューラさん、ね..。
気持ちの悪い声だ。声質も音程も、どれを取っても美しく、非の打ち所がない。
だから気持ちが悪いと思った。まるで、この世に存在する完璧のモデルを、全て
合わせたような模範的な声で、
個性的でいて、個性的でないその声は、一度聞いたら
頭の奥底に残り、こびりついて離れないような、そんな声をしていた。
「あなた、私を殺すの..?」
『えぇ、殺します』
「なぜ?」
『あなたたちが、私を殺そうとするからです』
「そう..。じゃあ最後に聞くけど、一昨日と昨日の行方不明事件。
犯人はあなた?」
『はい』
「......そっか〜..。なら『死ね』..」
瞬間、彼女は首筋の刀をへし折った。腕で叩き割ったのか?それとも、
腰にぶら下がってい剣を抜き出し折ったのか?答えはそのどれにも該当しない。
口で、噛み、折ったのだ。
「魔女さん。一つ忠告しといてあげる。エルフの森..、いえ、この世界で一番
強いのが私!!さぁ、覚悟しなさいよ!!」
振り向きざまに、その鼻っ面をへし折ってやる!!
その前にどんな顔をしているのかしら?さも醜い顔に決まってって..あれ....
”液体”
ージュワァ
??????????????
「あああああァァアアアアアァァアイタイイタイ痛い痛い!!!!」
なになになになになに、、、、、この激痛は!!顔が猛烈に熱い!!
目も開かない!!!!何これ何これ何これ何これ!!
『塩酸。塩化水素。酸性の液体です。生物にかけると、皮膚は爛れ、溶けます』
「痛い痛い痛い痛い痛いいイタイイタイ!!!!!」
『あぁ、掻き毟らない方が良いですよ。
ただでさえ皮膚がグズグズなのに、そんな事
すればもう、あなたの顔は一生元通りにはならないでしょう』
「はぁ...。痛いよ、痛いよ、痛いよ..。どうなっているの..、痛い..」
『凄い事になってますよ。あんなにお美しい顔でしたのに、毛根は全て溶け、
頭髪は無くなっている。
目も瞼が癒着しているので、それでは開けられないでしょう?
あぁ何より、まるでケロイドのように、顔全体が、醜く腫れ上がっている..』
「痛い..。痛いよ..。助けて..助けて..」
『はい。今あなたを助けます。
先ほどの塩酸に近い強酸性の物質を、クリーム状に
加工したものです。これを今から、あなたのお体に少しずつ塗っていきます。
最初は痛むと思いますが大丈夫です。徐々に慣れますので....』
「や、、、やめて....」
『じっくりと、まずは手足の先から..』
「あ....」
『大丈夫。痛くは無いですか?あなたは徐々に、痛みから解放される。
自身の肉体を引き換えに、身体的苦痛から解放される。あぁ....、何て
素晴らしい事なのでしょう......』
「あぁああ..あ。あ。あ。あ」
『気持ち良いですか?そうですか..。良かったです。あなたの身体、
もう上半身は爛れてしまいましたね..。でも、まだ下半身が残っています。
最後まで頑張りましょう..。最後まで耐え抜いた時、あなたは救われる..』
数時間後、持ち場の交代にいつまで経っても来ないキューラの身を案じた
精鋭の一人が彼女の持ち場へ向かった所、そこには彼女”だった”、
醜い肉片が、枝の上に横たわっていた。




