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群青のカタストロフィ  作者: 相川 健之亮
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序章

 あお向けで漂っている。

 波に身を任せ、体が浮遊する感覚を味わう。

 微かなまどろみを感じる。

 永遠に続くように思われる。


 太陽の光がゴーグル越しに目を刺激する。


 また波を感じて、ぬるい海水にそっと耳を包まれる。

 波が砕ける音と、他の海水浴客の発する声が心地よく響く。

 口内に塩辛さが広がる。

 視界の揺れがおさまってくると、また波がやってくる。



 ふと体を起こすと胸のあたりまで浸かっている。

 海がぎらぎらと光りながら次々と波を運んでいるのが前方に見える。


 振り返って、浜辺にまばらに立っているパラソルの一つに向かって手を振った。

 両親も手を振り返した。


 浜辺の方へ歩くと、引き返してくる波が脚に絡まり抵抗してくる。

 そこで生まれる、浜から引き離されるような錯覚を経て、パラソルの影に入った。


 サングラスをした母がタオルを手渡す。

「淳一、もう二時間くらいは泳いだんじゃない? 疲れたでしょ。」

 父はシートの上で寝そべっていた体を起こした。

「そろそろ十二時だ。昼飯でも食べに行くか。」

 十時から泳ぎ始めたので、そう言われることは分かっていたが、まだ泳ぎ足りない。感じていた波の感覚が名残惜しい。

「あと少しだけ泳がせてよ。もっと奥のほうまで行ってみたいし。三十分だけ!」

 父は少しだけ不満そうに見えたが、

「いいけど、足がつかないくらい深いところには行くなよ。」

 と了承した。

 母も、

「気をつけなさいよ。」

とまぶしそうに海の方を見ながら言った。

「大丈夫だって、スイミング教室でも中級コースに入ったんだから。」


熱い砂浜を駆けた。濡れた裸足にへばりつく砂も構わず、薄く伸び縮みしている泡立った海水を目指す。


海水に足をつけ、そのまますがるように奥へ進んでいった。


他の海水浴客は、この時期にしては多くなく、スムーズに前進できる。


先ほど浸かっていたくらいの地点を通り過ぎ、だんだんと海面が上がり、顎にまで達するようになった。


いつもならここまでにして、奥に進まないように泳ぐだけにするが、今日は違った。先に見える何人かの海水浴客。彼らを追い抜いて、この中で一番に奥に進んだ者になりたいと思った。

次第に足がつかなくなってくる。恐怖心を払拭するように体を前に動かした。


前に他の人が見えなくなったところで振り返った。

胸まで入っていたところから見えた浜辺より、はるかに小さく見える。

深さも正確には把握できないが、背丈の二倍はありそうだ。  

途端に心細さと恐怖心が背筋をおそったが、できるだけ冷静であろうと努め、クロールで浜辺に向かって泳いだ。


とりあえず足のつくところまで行けば大丈夫だ。


週二回通っているスイミング教室では、一回で少なくとも千五百メートルは泳いでいる。これくらいの距離、いつものように落ち着いて泳げばなんてことはない、と自分に言い聞かせる。


少し先に泳いでいる大人の姿も見える。

最悪、あの人に助けを求めれば…。


その時だった。

バタ足をしていた足がなにか柔らかいものに触れた気がした。


巨大な影の一部が足に触れたのを想像する。

どくん、と胸に鞭打つような刺激を感じる。

頭の中が恐怖で一気に満たされ、付随するようにいくつもの空想がなされる。


血に飢えたサメ。

虚ろに泳ぐクジラ。

巨大な目のダイオウイカ。

波に漂う人間の死体。


全身に力が入る。

しかしそれだけではなかった。


泳ぎ疲れたわけではないのに、身体が急に重くなり、思うように動かなくなったのだ。


身体が下降していこうとするのに必死に抵抗するが、手も足も思うように動かせない。次第に景色は水の中に移り、パニック状態の脳とは裏腹にほとんど無抵抗に身体が沈んでいく。


すぐ先に人がいるのに声も上げられない。

ごぼっ、と大きな空気の塊を吐いた。


雑音が耳の中いっぱいに広がる。


苦しい。

いやだ。

死にたくない。


薄れゆく意識の中で、曇ったゴーグルの先に見えたのは、海の底から手招きをしている、青白く細長い手だった。








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