第36話 エピローグ・前編
「ヴェロニカ様ぁあああ」
「ナンシー」
オクリーヴの屋敷に滞在して数日後、ギルバート兄様とナンシーが訪れた。
午後に訪れたナンシーは心なしか髪はくしゃくしゃで、目にクマがあり徹夜明けしたような顔色の悪さだったが、彼女は明るい笑顔を浮かべていた。
「ご無事で本当に良かったわ。ギルバート殿下なんて、半年以内に常若の国への道を繋げと仰ってぇえええ」
(疲弊しているのは、そのせいね)
「おや、酷い言いがかりじゃないか。私は妹の身を心配しているから、出来るだけ迅速かつ早急にとお願いしただけだよ」
「ひっ、殿下。いつの間に!」
「仕事が早めに終わったから朝一で屋敷にしていただけさ」
にこやかに微笑むギルバート兄様は、いつも通りニコニコと笑っているが目は凍てついたままだ。けれども彼もあまり顔色が良くはない。ナンシーと同様に寝不足なのだろう。
記憶を思い出して驚いていたことが一つある。
店に訪れていた大半はギルバート兄様やその部下、またはエリオットたちだったのだ。それどころか国王陛下、皇后はもちろん、クレイグ兄様、嫁いだ姉様たちまで平民に扮した格好でパンを買いに来ていたのだから──本当にみんな心配していたのだ。
記憶がない私に対して誰一人、身内だと名乗りでないで、私のやりたいことを尊重してくれた。それがとても嬉しい。いざとなれば無理やり連れだすこともできたはずだったのに。
こそっとナンシーが私に呟いた。
「国王陛下とクレイグ様は連れ戻すつもりだったようですけれど、ギルバート殿下が猛反対して頑張ったみたいですよ。『今まで窮屈な思いをさせてしまったのだから、自由にさせてあげて欲しいって』いつも大魔王様なのに、本当はヴェロニカ様に甘いですよね」
「ナンシー。……でも私、ギル兄様を疑っていたわ」
「それは当然だと思います。……でも、本当に不器用な人ですよね」
言い切ったナンシーに私は思わず笑ってしまった。ここまでハッキリ言えるのがナンシーの素晴らしい所だ。そんな彼女だからギル兄様は手放したくなくて、傍に置いたのだろう。
ふと新たな来客が姿を見せる。
「お久しぶりです。ヴェロニカ姫」
「エリオット。……あ、今はヨハン皇帝だったわね」
以前会った時よりも貫禄が増したというのか、纏っている雰囲気が違う。
挨拶をしようとしたが、彼はそれを制止する。
「非公式で来ているから、礼節はなくていい。それに今まで通り、エリオットでいいよ。それとルーファスにいつでも嫌気がさしたら俺の所に来てくれていいんだぜ」
以前と変わらない軽口に私は思わず笑みがこぼれた。
丁重にお断りするか、冗談で「考えておく」というべきか悩んでいると、背後からルーファスに抱き寄せられる。
「!」
「私の愛する妻を誘惑するとは、やはり一度死んでおきますか?」
「ル、ルーファス」
耳元でかかる吐息にドキリとしてしまう。そんな私の反応を見てか、エリオットは両手を素早く上げて白旗を上げる。
「まったく、最初からそうやって言葉にしていれば、ここまで拗れなかっただろうに。その辺は大いに反省しろ。そして隙あれば、いつでも隣国のネーヴェ帝国が姫君を連れ去るということを忘れるな」
「では今のうちに火種を消しておきましょう」
「怖い、怖い。……でもよかったな、姫様」
本気の殺気にエリオットは身の危険を感じ、素早く部下と共に撤退していった。もっともこの後はギルバート兄様との交渉が始まる。
その交渉の結果、ネーヴェ帝国の残党全員の身柄はエリオット──現皇帝が処罰を下すことが決定した。そこには国家間の取引があったのだろう。だいぶカルム王国に有利な条件で受け入れたらしい。優位な条件には理由の一つに、六年に渡る第五王女の誘拐未遂計画を防げなかった謝罪の意も含まれている。もっともこの手の真相が公になることはないだろう。これで今後、私が『攫われ姫』というレッテルも消えるはずだ。
もっとも数週間後には姫ではなく、オクリーヴ夫人になるが。
それと唯一この国で処罰が適応される者がいた。ジュリア=オクリーヴ。ルーファスの従兄妹に当たる彼女だが、今回の騒動の首謀者ということもあり修道院行は取りやめ、北のシエル領に位置する貴族牢獄へと移送される。処刑を免れたのはギルバート兄様の提案だった。生きて自分の罪の重さを思い知らせる云々──と恐ろしいことを言っていた気がする。
全ては他国からの襲撃ではなく、過激派の暴動ということで内々に処理された。
***
秋祭りの後、ルーファスに自宅に送ってもらおうとしたのだが、そこに私の店はなく、まるで最初から何もなかったかのように空き地だった。
ケヴィンの姿もどこにもなく、私の影に居る雰囲気もなかった。
一方的な契約の破棄。私の中にあった『光の加護』が完全に消えたことで、ケヴィンは私に興味を無くしたのかもしれない。それでもこの先、生きるための指針を残してくれた。
オクリーヴ邸の薔薇の咲く庭園で改めて魔法を使ってみることにした。
噴水もあり、アイシア領の緑の豊かさが感じられる。
「では始めてみましょう、ヴェラ」
「オクリーヴ公として忙しいのではないの?」
「今日の公務は昨日のうちに終わらせてきましたから、ご安心ください」
「そ、そう……」
私に言われることを考えて既に答えを用意しておいたのだろう。今日のルーファスは公爵当主らしい上質なシャツに、紺色と銀の刺繍を施したウエストコートの上に同じ色のジャケットを羽織っており、スラックスも同じ色合いだ。騎士の格好とは異なり、新鮮に映る。
「わったわ。……閃光」
いつもなら眩い光が包むのに、何も起こらなかった。やはり光魔法を使う事が出来ない。風魔法は微力ながら反応するが以前のように、自分の身体を浮かすことなどは不可能だろう。
「常若の国に滞在していた影響なのかもしれませんね」
「そう……なのかしら?」
「あちらの国は基本的に魔力で満たされていると聞いたことがあります。しかしあの国は人間が居続けることは出来ない。その理由を御存じですか?」
「いいえ」
「魔力量の多さに人間の身体が耐え切れないのです。簡単に言えばいきなり水中に連れて来られたようなもので人間のままでは生きていけないのですが、ヴェラは自身の魔力で体全体を覆うようにして微力ながら力を維持してきた。その結果、本来は一生使い切る事のないはずの魔力が殆どなくなったのです。髪の変質もそれが原因かと……」
「……そう」
艶のある黒い髪。前世の私と同じ髪の色は──自分でも気にいっていたのに。亜麻色に近い色合いになってしまった。記憶が戻る前は、この髪を気にいっていたのに記憶が戻った途端、鏡を見るのが怖くなった。
「ルーファスの好きな髪の色だけれど、私は──好きになれるか分からないわ。だから近いうちに別の色に変えられないか侍女たちに聞いてみてもいいかしら」
風が靡き、私の髪が大きく揺らいだ。
ざあざあと木々が笑うように庭園に響く。
『ヴェロニカ姫との結婚など絶対にありえません。結婚するなら亜麻色の髪、エメラルドの瞳、胸もでかくて、家庭的で甲斐甲斐しい人だって決めています』
その言葉が未だ胸に突き刺さっている。あの言葉は本心だったし、今私の事を好いている気持ちも本心だと分かっているのに、ささくれのような傷がじわじわと痛む。
「ええ。もちろん。……もしリクエストを聞いてくださるのなら、私の好きな艶やかな黒髪がいいです」
「亜麻色じゃないの?」
「あれは前公爵が勝手に決めつけていただけです。それに再会して貴女に告白したのは、髪の色が変わったからじゃないですよ」
「わ、わかっているわ」
自分の心を見透かされた気がして、私急に恥ずかしくなって顔を逸らした。いつものルーファスならからかうのだが、そっと私を抱きしめる。
優しく包み込むように。不安を消し去る魔法だ。
「愛しています、ヴェラ」
「ルーファス」
「貴女が心から信じてもらうまで、いいえ。生涯ずっと言い続けます。……ですから、一つだけ約束をしてください」
掠れるようなか細い声に私は「何を?」と返した。
「もう私に何も言わずにいなくならないで下さい。他の異性とダンスを踊るのも嫌です。隣を歩くのも、微笑むのも──なによりずっと貴女を独占したい」
「約束は一つなのに、そう感じないのは私だけかしら」
少し意地の悪いことを言ったのだけれど、彼の熱い眼差しは答えを求める。
こつん、と互いの額が重なった。
囁くように彼は唇を開いた。
「一つです。それだけはずっと変わらなかった。愛するヴェラ、貴女の傍に居たい」
返事の代わりに私から彼に口付けをする。
背伸びをして、唇に触れた。
「私もルーファスの傍に居たいわ」
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最終話まであと1話
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