第31話 数か月越しの答え
まるで絵物語の本から騎士が抜け出たような──完璧な外見に、柔らかな口調。蕩けるような笑顔は目に毒だ。私に恋をしているような錯覚を覚えてしまう。
知らない人だ。
覚えていない──のに、自分の身の上話を語ってしまった。いつもならもう少し警戒するのに、この人の前に立つと身構えていても、警戒しようとしても気づくと自然体で会話をしてしまう。
そうすることが当たり前だと言わんばかりに。
私が『転生者』であることや、『妖精の国』の話をしても信じてくれた。話している距離感がもどかしい。もう少し歩み寄りたいような、本来の距離はもっと近かったような──そんな錯覚を覚えてしまう。
ルーファスと名乗った彼は私に対して好意を持ってくれているのは分かった。けれどその手を取るのが──嬉しいはずなのに怖い。手に取れば幸福が待っているのが分かっているのに、それでも私は彼の言葉を真に受けないように努めた。
「人違いじゃない」
「それを信じて貴方を受け入れて、その後に本当の想い人が現れたら『やっぱり人違いだ』って言って、追い出すのでしょう」
「そんなことはしない。だから信じてください!」
堂々巡りだ。
だって私には彼との思い出が浮かび上がってこない。確証がない。
彼の探し人は、私なのかもしれない。けれど違ったら?
私だけが本気になって──それで結ばれないとしたら。弄ばれるのはもう嫌だ。
(もしかしたら彼の恋人の座を巡ってひと悶着あったのかも? それで裏切られた──のかもしれない)
彼にはどこか必死さのようなものがあり、私に対して引け目のような雰囲気もある。よくドラマである彼氏が浮気をしてその現場を目撃したとかだろうか。王侯貴族の社会では政略結婚が普通なのだろうから、そういった恋愛沙汰もある可能性は高い。それに傷ついて、あるいは疲れてしまったのだろうか。
答えはでない。これもドラマのように都合よく記憶が蘇ったりはしなかった。
「わかりました。貴女が私を思い出してくださるまで、ずっと待ち続けます。店にも通って、話をしましょう。貴女の前世の事を教えてください。代わりに私がこの世界の事をお話します」
「うちの店の乗客になってくれるのなら、喜んで。……そうね。今度来るまでには貴方が座ってお茶が出来るようなカウンターを用意しておくわ」
「それは楽しみです。ヴェラ、また貴女に会えてよかった」
なんて答えればいいか分からなかったから、笑って誤魔化した。
幸せそうに笑う彼は気付いているだろうか。「会いたかった」とか「探そうとしていた」と自分の都合と言い訳だけ。結婚という言葉が聞こえたが、行方不明になった私が居なければ家督が継げないとか、遺産目当て、実家からの持参金が手に入らないとか──そういう可能性だってある。
(あの人から『愛している』という言葉がなかったのが、その証拠だわ。だから期待をしたらダメ。彼の真の目的が何なのか突き止めるところから始めないと)
それからルーファスは言葉通り毎日のように私の店に通った。
他の客とバッティングしないようにいつも閉店後に尋ねて来た。話しぶりから察するにただの衛兵ではなさそうだ。常連で来る衛兵と制服こそ同じだが佇まいや雰囲気からしてもっとこう──貴族のような身分のある人なのだろう。
市街地に出てきているのは偵察か、またはお忍びか。この国の王子だと言われても納得しそうな外見と雰囲気がある。
この国の出来事や道聴塗説に至るまで色々と話をしてくれた。彼は社交的で、明るくて紳士的だ。完璧な騎士という印象が強まった。贈り物も増えた。髪留めからドレス、宝石は高価過ぎて返したけれど、彼はあっさりと引き下がってくれた。
「ヴェラ、今日も愛らしいですね。私の贈った髪飾り、付けてくれて嬉しいです」
自然な流れで私の手を取り、手の甲に軽くキスをする。
本当に女性の扱いに慣れているようだ。イタリア男か。
(ん? なんだか前にもこんな風に思ったような……)
「ヴェラ?」
「何でもないわ。カウンターに座って、今日は新しいお茶を試そうと思うの。試飲していって」
「ええ、喜んで。貴女の淹れたお茶にありつけるとは、私は運がいい」
彼の言葉は本心からで、嘘などはなかった。
真摯で、愛おしそうに見つめる視線を向けられて気付かないほど私は鈍くはない。
「ねえ、仮の話なのだけれど、その相手が仮に私だったとしたら貴方の目的はなんなの?」
「目的……ですか?」
幅は百五十センチ、奥行きは四十センチ前後、高さは八十五センチのカウンターテーブル。二人用のテーブルをケヴィンに頼んだのは、気まぐれのようなものだ。
カウンターに座って彼は考え込む。困っているというより、何というべきか熟考しているようなそんな素振りが見えた。フレーバーな紅茶の香りが店内に広がる。前世で私が好きだった柑橘系の紅茶、アールグレイを再現してみたのだ。
「目的はありません」
「え?」
「すでにヴェラと再会できたことで私の目的は達成しているようなものです。……しいて言うのなら、貴女の特別に、隣にいてもらえるようになれば……」
ルーファスは言葉を噤んだ。
しばし黙っていたが、改めて私をじっと見つめた。
「ルーファス?」
「隣に居て私を選んで欲しい」
彼が私の頬に触れるのはこれが初めてなはずなのに、その手の温もりも感覚も酷く懐かしくて涙が自然と頬を伝って流れ落ちる。
「でもそれは……私を好きだという事ではないのでしょう?」
その言葉にルーファスは息を飲んだ。
きっと隣に居て欲しいというのは、政略結婚相手という事なのかもしれない。ケヴィンも私は階級の高い生まれだとか言っていたのだから、そういう利用価値があるのだろう。
贈物もきっと私に取り入るためで、結婚したらいないものと思われるかもしれない。
一拍置いてルーファスは口を開いた。
沈黙が怖い。
答えを聞くのが怖い──けれど、私はその答えを待った。
「いいえ。私はヴェラ、貴女を心の底から愛しています。騎士としての忠誠を誓う前から、領主としての政略結婚が出る以前、そう貴女とお会いした八年前からお慕いしておりました」
完璧すぎる答え。
ずっと──望んでいたような──形容しがたい感情が私の中で膨れ上がって破裂しそうだ。
「うそ……」
「嘘じゃありません。ずっと貴女に伝えたかった。ヴェラ、貴女を愛しています」
私とルーファスの距離は三十センチほどのカウンターを挟んでいる。けれど身を乗り出した彼はあっさりとその距離を超えて私の唇にキスをする。
情熱的なキスに眩暈がしそうになった。
「私は貴女の優しさに甘えて、そして傷つけた。ずっと待っていてくださったのに、貴女への気持ちを『愛』として認めるのが怖かった──情けない男です。貴女が記憶を取り戻すのが怖いというのなら、それでも構いません。もう一度、私を愛して貰えるように何度も貴女の隣を死守しますから」
「ルーファス。……私は」
零れ落ちる涙が止まらない。
声を出したいのに息が詰まる。
ずっと昔、同じようなことがあった──気がする。その時は酷く辛くて苦しかったのに、今は嬉しくてしょうがない。
「記憶は戻らないけれど、でも貴方の手の温もりも触れる感覚も──覚えていた。だからもっと密着したら、貴方の探し人が私だと確信が持てる……かもしれない」
「え、抱いてもいいですか?」
「抱きしめるだけよ!」
どさくさ紛れて、とんでもない曲解に至ったものだと思わず言葉を返す。
テンポの良い応酬に私とルーファスは同時に声を上げて笑い出した。
ルーファスは私を抱き上げてカウンターで阻んでいた距離をゼロにする。初めて横抱きにされたというのに、彼の腕の中は懐かしくて、愛おしい気持ちが私の中に溢れていく。
ルーファスの首に手を回すと、彼の吐息がかかる。
(ああ。……貴方が私の隣に居るのが嬉しくてたまらない)
ずっと不安だった想いが解けていく。
冬の凍てついた氷が春の温かさで溶けるように、悲しみも、痛みも、苦しみも癒えていく。
「愛しています、ヴェラ」
その言葉を聞くたびにじんわりと胸が熱くなる。
こつん、と額を合わせる彼もまた瞳を潤ませて頬から涙を流した。
「私も、ルーファス。貴方が好きよ。愛しているわ」
記憶が戻っていないけれど、そのことだけはわかる。
ずっと、ずっと私は彼が好きだった。
それだけは本物だ。
二度目のキスはどちらともなく自然と唇が重なった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
成長したなルーファス。゜(゜ノД`゜)゜。えがった。
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