第30話 その恋は実ったのだろうか
私の名前は青葉恵美。
紅茶専門店を運営していたある日、過労が祟ってか階段から足を踏み外してしまった。そう日本生まれで一応は日本育ち。学生時代に海外に何年か留学して紅茶の素晴らしさに出会って、店を開くことを夢見ていた。
そう。その夢は叶って店も軌道に乗ってきたという時に、私は亡くなった。道半ばで死んだとき、仕事ばかりで恋の一つでもしておけばよかったと後悔した。
だから次に生まれ変わるとしたら「とびっきりの恋をしよう」。そう決めていた。
でも──生まれ変わった後の記憶は酷く曖昧で、目が覚めた時に居た世界は妖精の国、常若の国とも言っていた。
黒狼は自らをケヴィンと名乗り、身の回りの世話を焼いてくれた。「力を使いつくしたので暫くは人の姿になれない」と言っていたが、人懐っこいしとても可愛らしい。
抱きしめるとモフモフして、最高だ。
中世ヨーロッパの趣を感じさせる屋敷に私とケヴィンと一緒に住んでいた。妖精や聖獣と呼ばれる動物の姿に似たものたちが訪れたけれど、人はいない。そもそもこの国に人は滅多に入れないらしい。
前世の感覚からすれば童話の世界だ。
「ヴェロニカは毒矢を受けて治療のために、この国に一時的に避難している。でも人が長い時間いると、妖精へと進化を遂げるけど、君はどうしたい?」
「そう。じゃあ私はこの国を出るわ。傷も癒えたことだし、そして今度こそ素敵な恋を──」
その単語を発した瞬間、頭に痛みが走った。
形容しがたい苦痛と熱と激情が渦巻き、絶望と後悔と深い悲しみが私を襲い──抜け落ちた記憶そのものに恐怖した。
「……あ、……っ」
怖かった。
抜け落ちた記憶は途方もないエネルギーの塊のようで、下手に触れれば私そのものが焼き尽くされてしまいそうになる。この塊はもはや希望が残っているか不明のパンドラの箱だ。
開けたら最後、壊れてしまうのではないだろうか。
転生したヴェロニカという少女は外見から見て年齢は十代後半といったところだろうか。つまり十数年分の記憶を一気に取り戻すのは危険だ。そもそも毒矢を受けている時点で、元居た場所は安全とは言えなかっただろう。
(前世で海外に旅行に行ったけれど基本的に治安も良かったし、事件なんて縁もなかったというのに……。ヴェロニカ自身、狙われるようなことをした?)
「ヴェロニカ?」
「ねえ、ケヴィン。私って犯罪者? それとも危険な取引現場を見てしまって狙われているの?」
ケヴィンは「ふう、やれやれ」と言った面持ちで私を見つめ返す。黒狼でも表情を読み取れるのは私が凄いからなのか、それともケヴィンが人間臭いからなのだろうか。
ケヴィンは私と契約をした聖獣だとは目が覚めた時に教えてくれた。普通の獣は喋ることはないというのだから、彼は特別ですごい存在なのだろう。
「君は身分が高い家に生まれた人で、毒矢は単なる流れ矢だった。本当は僕を狙っていたのかもしれない。だから君は追われていないし、……自由に生きてもいいんだ」
「そうなの? じゃあ、人の国に戻って店を出したいわ。紅茶専門店を開きたいけれど、さすがにニッチ過ぎるかしら」
「その辺は記憶があっても無くても、君らしい」
ヴェロニカの記憶はあまりにも少ない。けれど魔法が使えることやカルム王国に住んでいたことなど最低限の情報は思い出せた。家族に愛されていた──気がする。
それからケヴィンは私に小さな店を用意してくれた。カフェも考えたが、従業員が独り──つまり私しかいないのなら店の切り盛りは難しいと思って諦めた。パンなら前世で良く作っていたし、必要な材料は妖精たちが準備してくれるからあっという間に揃った。試しに蒸しパンをご馳走したらみんな喜んでくれて、やっぱりこういう生き方の方が私は合っていると思った。
体を動かして何かを自分でなしていくことは楽しい。
普通に働いて暮らす。
自分で今日一日のスケジュールを決めて、働いて色んな人と話をする。
話をするうちに、ここの店があるのはカルム王国アイシア領地内で、つい一、二カ月ほど前から復興してまともな生活が出来ていると皆喜んでいた。
今の領主は復興に先駆けて支度金や道具、配給など積極的に行動をしているとお客さんたちは話してくれた。ちょうど隣国のネーヴェ帝国では後継者争いで国が滅ぶ寸前だとかで復興で忙しいらしく、アイシア領に滞在していたネーヴェ人たちも去ったことで治安も良くなったとか。
(ちょうどいいタイミングでここに店を構えることが出来て良かったわ)
お客さんも増えてきて世間話をする人も増えてきた。客層は若い男の人が増え、口説かれることもあったが笑って流した。確かにこのヴェロニカの顔立ちは美人の部類に入るし、男性陣の気持ちは分からなくはない。前世だったらモデルに転職してやっていけるレベルだ。そんな美貌をもっていても、今は誰かと恋をしたいとは思わない。
それは私の失った記憶に起因している気がする。
私は恋をしていたのだろうか。
その恋は実ったのか──。
恋の行方を知ったのは、それから少し経ったある日、衛兵の服装をした身なりの良い偉丈夫が現れた時だった。
閉店後に唐突に現れた彼の身体は僅かに震えていた。
衝撃と歓喜が入り混じったような顔で、美しい真紅の瞳は潤んでいる。とても美しい人だったけれど、どこか憔悴しきっているようにも思えた。
「ヴェラ、迎えに行くのが遅くなって申し訳ありません。ずっと貴女にお会いしたかった」
いつも読んでいただきありがとうございます。
ついに最終幕
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