第28話 ルーファスの視点2
不規則な生活をして三カ月が過ぎたころ。
ふとヴェラの夢を見た。白黒ではなく、色鮮やかな世界が蘇る。
彼女は平民が着るような地味なドレスを身に纏いパンを並べていた。どれもこれも美味しそうで焼きたての香りが鼻腔をくすぐる。夢の中の彼女は笑顔で、とても幸せそうだった。彼女と目が合うことはない。すでに私を過去として受け入れているという表れなのだろうか。手を伸ばそうとしてもその手は届かない。もどかしくて、苦しくてたまらなかった。
「ヴェラ……」
ポツリと零れた名が波紋のように広がり、彼女が私のいる方へと振り返った。
驚いたような、それでいて期待にも似た眼差しが注がれる。彼女は私へと歩み寄ろうとしていたが、途中で歩みを止めてしまう。
「ヴェラ!」
彼女に触れようと体を動かそうとした瞬間、ごん、と鈍い痛みが生じ──私は目を覚ます。
***
目を開けると、見慣れた天蓋があった。
いつもと違って見えるのはベッドから落ちたからだろうか。ふと、部屋の中から香ばしい匂いが漂う。まだ夢の中にでもいるのかと思ったが、頭の痛みは本物で、ここは現実だ。
執務室は寝室の隣にある。どうやら匂いの下は隣のようだ。
(執事が夜食に持ってきていた? いやそれにしてはここまで香ばしい匂いがするのはいささか変だ)
執務室の机には紙袋があり、中には焼きたてのパニーニが入っていた。中にはハムやチーズ、新鮮な野菜とわずかにマスタードの匂いがする。表面はパリッとしており縦縞の焼き目が食欲をそそった。しかも焼きたて。今日の夢といい不思議なことばかりが続く。
(どこの店だ?)
紙袋に視線を戻すと三つの薔薇の紋様が描かれていた。それは昔、ヴェラが描いていたモチーフに似ている。『もし市井に降りることが出来たらカフェか紅茶専門店を開きたいわ』と言っていたのを思い出す。
彼女の声。
彼女の笑顔。
全部、覚えている。
懐かしい記憶に想いを馳せながら、パニーニを口にする。毒耐性の魔導具を付けているので問題はないだろうと思っていたが一口食べた瞬間、あまりの美味しさに余計な考えは消え失せた。
口にした時のインパクトはもちろん、私好みの味付けに食べ応えだった。私のために作った──と自惚れてしまいそうな味に感動すら覚えた。
(まさかヴェラが? いやそんな都合のいいことがある訳……)
食べ終わってみると自分が今までさほど食事を摂っていなかったことに気づく。執事からも食事をしっかり摂るように言われていたのを思い出し──ヴェラからではないことに勝手ながら落胆した。
当然と言えば当然の帰結だが、それでも期待してしまう自分がいた。
(なんて身勝手な願望だろうか。私がヴェラを追い詰めたというのに、差し入れかもしれないなどと余りにも都合が良すぎる)
それからパンの差し入れは時折、執務室に置かれるようになった。そのたびに旬の材料を使ったキッシュやフォカッチャ、食べやすいグリッシーニという細長くポリポリと口当たりのいいパンもあった。
執事の話では「知人の店からのお裾分け」だという。信頼性はあるので、定期的に手配して貰うように頼んだ。
それから更に二週間後。いつの間にかパンが届くのを楽しみにしている自分がいた。
この頃からだっただろうか。領地運営も軌道に乗り始めてきたとの報告が入るようになってきた。特に治安が酷かった分、衛兵たちの巡回を増やしており安全に暮らせるよう慎重に対応をしていく。
数日後、領内の視察に出ていた兵たちが報告にやってきた。
「ルーファス様、顔色が良くなったようですね」
「ああ。最近は気にいっているパンがあってな」
「もしかして『トリプルローズ』の店ですか? あそこの店、焼きたてがとっても美味しいですよね」
『トリプルローズ』、三つの薔薇。そのワードに運命的な何かを感じた。
「その店はどこにある?」
「え。ああ、アイシア領の貿易都市アルゴ、この近くですよ。一、二カ月前だったかな、できたばかりですが、めちゃくちゃ美味しくて、ものすごく安いんです。おまけに店主が美人で──」
「黒い髪、黒檀のような瞳か?」
思わず部下の言葉を遮ってしまった。だが期待も虚しく返ってきた言葉は希望していたものとは異なるものだった。
「いえ確かに瞳は黒かったですが、髪は亜麻色に近い色でした」
「……そうか」
「でも、あの女店主。平民とは思えないような気品というか雰囲気がありまして……」
「わかった。……お前たちは報告書を提出したら暫く休んでくれ」
「ハッ」
***
部下を下がらせた後、悩んだ末に『お忍びでの視察』という体のいい言い訳を用意して、衛兵の制服に着替え黒の外套に袖を通し、部下二人を連れだって市街地へと向かった。
思えば自分の目でアイシア領がどれぐらい復興していたのか、あまり見ていなかった気がする。
もしヴェラが居たら真っ先に現場に直行し、何度も根気よく視察といって通っていただろう。彼女が一緒に居たら、傍で妻として居たら、そんな妄想をしてしまう自分が嫌で閉じこもるように極力部屋からは出ずに黙々と仕事をこなし、会議は屋敷内で行っていた。
アイシア領は春のあとは短い夏、そして長い秋と続く。市街地は活気に満ち溢れている──とまではいかなくても家の修繕、屋台や人の姿が幾人も見かけられた。市民の服装や表情も、この領内に戻った時より幾分かマシになった。
部下が絶賛していた店は、市街地の中央広場から少し外れた場所にひっそりとあった。小綺麗な二階建ての店だが、なぜだか意識しないと見過ごしてしまいそうな──不思議な感覚がした。人除けの魔導具でも使っているのだろうか。いや店なのだから人除けとは少し異なるのかもしれない。
からんからん、と鈴を転がした響きのいい音が耳に届いた。
「ありがとうございました」
聞き覚えのある声にドキリとした。
忘れる筈もない。恋焦がれていた者の声音。
世界の色が鮮明に──なる。
白黒ではない。
「ヴェラ」
気付けば真新しい店へと大股で歩き出していた。扉の前には《閉店》と書かれた看板があったが無視して扉を開いた。
からんからん、と歓迎するような音色が店内に響く。
「あ、すみません。今日は店仕舞いでして……」
店の片づけをしようとしていたのか、奥の部屋に入ろうとしている美女がこちらを振り返る。亜麻色の長い髪は彼女とは異なる。だが、黒曜石に似た宝石のような瞳に、顔立ち、佇まい。
「──ッ」
思わず息を飲んだ。
直感で彼女がヴェラだと確信した。今すぐにでも抱きしめようとしたが、万が一、いや億が一の間違いが合ってはいけない。ほぼ百パーセント彼女で間違いないと分かっているが、それでも騎士として、いや単に自分が拒絶されるかもしれないという事実を恐れて、にこやかに話しかける。
「ヴェラ、迎えに行くのが遅くなって申し訳ありません。ずっと貴女にお会いしたかった」
「あの……。どちら様?」
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