第26話 王国最強騎士たるゆえん
「皇帝が六年前からずっとアンタを狙っていてね。……皇族全員に『第五王女ヴェロニカを連れて来た者に玉座を譲る』なんて言い出したから──アンタは狙われたんだ。確かに黒曜石のような艶やかで美しい黒髪は、我が国の守護獣だった竜の色と似ている。他国に行けばルーファスとも会うことも無いだろう」
(ああ、そうだ。ルーファスをもう一度信じて見ようなんて……考えている自分がいた)
竜騎士たちに連れ去られても、命の安全は保障されるか不明だ。ネーヴェ帝国では捕虜扱いではなく奴隷にされるかもしれない。いや髪だけが必要なら生きていなくてもいいだろう。
ミシミシと光の防壁に亀裂が入り始めた。
(ケヴィン。常若の国の道は、開ける?)
『あと少し。……でも、本当にいいの?』
(え?)
『もしかしたらルーファスが、こちらに向かっているかもしれないよ』
ルーファスに来て欲しい。
けれど勝手に期待して失望するのはもう嫌だった。肩は痛いし血は止まらないで石畳を赤く染めていく。呼吸も──辛くなってきた。
ケヴィンは自分の影から常若の国に至る扉を開こうとしているが、まだ少し時間がかかりそうだ。それまで防壁がもたないかもしれない。
(腕の感覚が麻痺して……)
『姫様、月が真上に来る。いいんだね』
途切れ途切れに映る視界は朧気で、熱かった体が急に寒く感じるようになった。常若の国に行けば、エリオットたちも諦めるだろう。
(最後にルーファスの姿が見たかった……な)
防壁が砕かれ、竜騎士たちは私に手を伸ばす。
ドロリとした悪臭と嫌悪感の塊が私に触れようとしたその時──。
一閃。
眩いほどの光が庭園を包み込んだ。
「ヴェロニカ姫! ──ッ、ヴェラ!」
「!」
赤銅色の鮮血が雨のように注ぎ、人が崩れさる中で──白銀のフルプレートアーマーの騎士が視界に飛び込んできた。見間違えるわけがなかった。あれは王国最強騎士──。
(ルー……ファス)
白銀の髪が短くなっており、頬や腕なども血まみれで無茶な戦いをしてここまで来たのだろう。
轟ッツ!
凄まじい地響きを立てて、なにかが地上に堕ちた。凄まじい衝撃と土煙が舞う。薄っすらと見えるそれは、彼の三倍もあるワイバーンだ。しかも一頭ではない、五、六頭いただろうか。
「ヴェラ!」
ルーファスは真っ先に私を抱き上げた。大事な宝物のように頬を摺り寄せる。そんな些細なことが何よりも嬉しかった。
「ルーファ……ス……」
「ヴェラ、遅くなりました」
もう腕は動かないけれど、涙は溢れるように出てきた。今頃になって恐怖で体が震えだす。
ルーファスの温もりにホッとしたからかもしれない。ずっと傍で守ってくれていた──私の騎士。
「来て……くれ……た」
「当たり前です。貴女がいない世界など何の意味もない。本当はずっと、ヴェラがいないと私のほうが、どうしようもなくダメになってしまう」
その言葉が私の傷ついた心を癒していく。
好きという言葉は使っていなかったけれど、ルーファスはずっと私を想ってくれたのだと信じることが出来た。それはきっとルーファスの心に触れたと思えるから。朦朧とした意識の中で、ルーファスは私を庇いながら戦う。
「もうじき、ここにクレイグ王太子殿下とギルバート殿下も駆け付けます」
(兄様たちが?)
「チッ、思った以上に速い登場だ。化物か」
「……エリオット、今引くなら追いませんが」
そう言いながらルーファスは竜騎士の残党と剣を交える。
剣戟の火花がオレンジ色に散る。
ルーファスは私を片腕で抱いているのに最小限の動きで敵を斬り捨てていく。竜騎士の数は数名程度しか残っていない。その中心にいるのはエリオットだ。しかし彼は剣を手にしたまま撤退する気はない。
「千載一遇のチャンスを見逃すつもりはない。我が国にはどうしてもヴェロニカ姫が必要だ。お前さえいなければ、六年もかからなかったんだがな」
「貴方たちの皇帝がおかしなことを言い出さなければ、ヴェラが『攫われ姫』などと呼ばれることも、ギルバート殿下が悪役を演じることもなかった。全てネーヴェ帝国が元凶でしょう」
(ギル兄様が……?)
エリオットとルーファスの刃がぶつかり合い、火花を散らす。多勢に無勢とルーファスの背後を狙って刃が振り下ろされる。背中を斬られようとルーファスは耐え攻撃に転じていたが、切り傷はどんどん増えていく。
私を抱き上げているから動きも鈍い。
剣戟の切れも落ちている。
「ぐっ……!」
頭から血を流し、視界が半分しか見えていない。竜騎士たちは執拗に浅い傷をいたるところにつけていく。
このままじゃルーファスがもたない。ルーファスが先に死んでしまう。
(それだけは……駄目だ)
自分の傷口よりもルーファスの方が危うい。
すでに大量の血を流しながら、私の元まで辿り着いた。おびただしい血が動くたびに流れ落ちている。それでもルーファスは揺るがない。
「もうその辺で諦めて姫を渡せ。そうすれば解毒も可能だ。それとも二人して心中するつもりなのか?」
ルーファスが倒しても竜騎士たちは暗がりから姿を見せる。一体どれだけの兵がここに来ているのだろうか。一人一人が手練れである竜騎士相手に死に体であるルーファスがどこまで出来るか分からない。いいや、私を抱いているせいで本気で戦えていないのだ。
「毒? ヴェラ、毒を受けたのですか?」
「……私の魔法じゃ……解毒できなかったわ」
「当然だ。そう簡単に解毒できるなら取引にならないからな。ネーヴェ帝国では解毒の儀式は手筈済みだ。助かるためには──帝国に来るしかない」
「くっ……」
「……いいや。もう一つある」
私が言いたかったことを告げたのは、ずっと闇と同化していたケヴィンだった。
新月が空のてっぺんに来ている。同時に鐘の音が響き渡り、私の影から扉が出現する。鉄や金ではない。庭園の植物が連なり、それは巨大な扉となって常若の国の入り口を形成した。
「今すぐ常若の国に行けば、この程度の毒なら癒せる」
(ケヴィン……)
「だから──姫様を連れ帰る。これは決定事項だから」
鋭い声は大きくないのによく響き、その場の熱気を凍り付かせた。神の啓示とでも言うようにケヴィンの決定事項は翻らない──すでに雌雄は決したという雰囲気が漂う。ただ一人、その判決に抗う者がいた。ルーファスだ。
「ヴェラ、私は──貴女を離したくない」
私をきつく抱きしめて離さない。彼の鼓動の音が、温もりが心地よくて改めてルーファスが好きなのだと実感する。
(ああ──やっぱり、私はこの腕の中にいるのが……好きだ)
そこからの意識は酷く曖昧なもので、いつの間にかケヴィンは私を抱えて門へと歩いていた。
ルーファスは何処にいるのだろう。
門を通る瞬間、ケヴィンは広範囲最大魔法をどこかへと放つのが見えた。
花火を打ち上げるかのように、それはこの国ではないどこかへ降り注ぐ漆黒の矢だ。
相当怒っていたのだろう。
ネーヴェ帝国を滅ぼそうと思うぐらいに。
剣戟の音が耳に届く。
火花が散る。
それでルーファスがそこにいたのが分かった。
エリオットはルーファスの行く手を遮り、戦いが続いている。
ルーファスが何か──言っている。叫んでいるのだが、何を言っているのか聞き取れない。
「────!」
大丈夫。ちゃんと戻るわ。
だって私たち、結婚式を挙げていないでしょう。
アイシア領の復興だってあるし、貴方のこれまでのことを──たくさん聞きたい。話が……したい。
恋人らしいことだって、全然できていないのだから。
やりたいことがたくさんある。
ルーファス。
すぐに、起きるから。
だから、もう少し。待ってて……。




