第24話 ルーファスの本心
改めてアイシア領の実態を書簡で読むと、あまりの酷さに思わず声が漏れた。
「領地管理者は真っ黒ね。帳簿を見る限り改ざんして横領しているわ」
「それだけではありません。関所での税も基準値以上を取っています。門番たちも黒です」
「やることは山積みね」
私の役割は「王族はアイシア領を見限っていない」というところをアピールことだ。慈善活動や復興支援に積極的に参加したほうが良いだろう。けれどそれは私が常若の国に行くのを諦めるということだ。王女としての義務を投げ捨てて、自分の我儘で逃げるのは無責任すぎるのではないか。
そう考えた瞬間、これがギルバート兄様の巧妙な罠だと気づく。
(私が逃げ出そうとしていたのに気づいた? だからその前に先手を打った。王族として貢献してきた矜持を逆手にとったのかも──今ここで逃げ出さなかったら、このままずっと良いように使われる。そんなの御免よ!)
仕事の話がある程度まとまると沈黙が流れた。
私から話すことはもうない。もうルーファスと話したくもなかったから、部屋を出て行こうと席を立つ。
「ヴェロニカ姫」
ルーファスが片膝を付いて私の進路を邪魔してきた。何か申し開きでもあるのだろうか。それとも別の何かだろうか。聞く必要も義務もないが、今日の夜に逃げることを考えたら、ここは油断させるべきだ。そう思ってなんとか踏みとどまった。彼の顔を直視することは出来ず、喉あたりに視線を向ける。
「なんですか?」
「貴女にお伝えしたい事があるのです。……少しだけ私の話を聞いていただけませんでしょうか?」
ルーファスは頭を下げたまま私の言葉を待った。
結局、私が折れなければルーファスは粘り続けるのだ。その執拗さを理解しているからこそ、私はソファに座り直した。「大丈夫、感情的にならずやり過ごせばいい」そう心の中で唱える。
「……それで私に話したいことは何ですか?」
「ずっと黙っていたことですが私が女嫌いになったのは幼少時代のトラウマが原因であり、それ以降人に触れるのがダメなのです。手袋越しでも、こう指先が触れ合うだけで吐き気を覚えると言いますか……」
(潔癖症だって言うのは最初から知っていたけれど……。何をいまさら?)
そう考えて、ふと違和感を覚えた。
潔癖症というのなら私に触れるのは問題ないのだろうか。その質問はずっと気にはなっていたのだ。けれども以前は「騎士として姫をお守りするのですから触れずにどうします」という返答だった。
結婚が決まった今は──何か違うのだろうか。
「……私は、平気なの?」
「ええ。ヴェロニカ様は唯一の例外なのです。ここ数日、パーティー会場でこの体質が完治しているか試してみましたが、やはり吐き気と嫌悪感を覚えました」
(ああ、パーティー会場やサロンに出ていたというのは、そういう……)
どこかホッとしている自分が憎々しい。
期待をしてはいけない──そう言い聞かせる。
「それは──難儀な体質ね」
「ええ、でもこれは自己防衛本能のようなものだと思います。……私は幼いころから『愛』というものがどういったものか知りません。言葉だけの『愛』や醜く嘘だらけの打算と肉欲を満たす──そんな両親を見てきて『愛』はとても醜悪なものだと信じていました」
(……聞きたくない)
「だから私の中で八年かけて芽生えた感情は、忠義という言葉に置きかえていました」
(聞きたくない)
「でも、これがそうではないと気づいたのは、貴女の隣に私以外の誰かが並んでいた姿を見た時です」
「──っ」
聞きたくなかった。
なんで今更そんなことを言うのだろう。
「ヴェロニカ姫、私は貴女の想いと優しさにずっと甘えていたのです。それなのに私は貴女をずっと傷つけていた。……本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
私は──別に謝って欲しかったわけじゃない。「じゃあ、今はどう思っているの?」と聞けたらどんなにいいだろう。でもそれを聞くのが怖い。何度も勇気を出して、そのたびに勝手に期待をして、裏切られて勝手に傷ついた。いつからこんなに臆病になったのだろう。
(ああ、でもこんなのタイミングが良すぎる。今後夫婦生活を一年間、一緒にやっていく上で仲良くするための茶番──だったとしたら? 彼の言葉が嘘じゃない証拠なんてない)
「順序が逆になってしまいましたが、私はヴェロニカ様の隣に居たい。他の異性に目を奪われて欲しくない。貴女のことが──」
「無理して言わなくてもいいわ。急に意見が真逆に変わるなんて、今の私には信じられないもの」
声が震えていたけれど、なんとか抑えられた。
一度、ルーファスへの想いは壊れて砕け散った。だから簡単にルーファスの言葉を鵜呑みに出来ない。八年間、彼の言葉を聞いてきて裏切り続けられたから、これ以上は無理だ。
「ヴェロニカ様。……困惑するのも、お怒りなのも、当然です。けれど、私は貴女のことが大切で、愛おしく思っているのは本当です」
「──っ」
沈黙。
グッと堪えていた感情が今にも吹き出しそうになる。胸が熱くて泣きそうにも、怒りにも似た形容しがたい感情が渦巻いて止まらない。声に出してしまえば決壊したダムのように喚き散らしてしまいそうだ。
(今になって──なんで、そんなことを言い出すの。私はもう、貴方が何を思っているのか、何が嘘で本当か分からない)
「ヴェロニカ様、いいえ、ヴェラ。私は貴女の隣に騎士としてではなく夫として傍に居たい。他の男に貴女を取られたくありません」
「……っ」
真摯な言葉に熱の入った想いは──たぶん、本心なのだろう。
今までの私なら、社交界デビューする前の私なら、この瞬間をどれだけ待ち望んでいただろうか。でも、今の私は素直に喜ぶことは出来なかった。
疑問が洪水となって溢れてくる。
それならなぜ政略結婚という形にしたの。
ずっと一緒に居て欲しいと言いながら、一年という期限に賛同したのはどうして?
亜麻色の髪、エメラルドの瞳の──そう彼女は?
「亜麻色の髪、エメラルドの瞳の──パーティー会場に来ていた彼女を愛妾にして、私をお飾りの夫人にするつもりじゃないの?」
「パーティー? ………………ああ、ジュリアは従兄妹ですよ。両親の命でダンスを踊るように言われただけで、何の感情もありません」
「……」
私の勘違いだった。ルーファスは私の事をようやく好きだと自覚して、求婚してくれた。
それなのに、私は信じ切れなかった。どうすれば信じられるのか、今の私にはまったく想像できない。
「……でも相手は、そうは思っていなかったでしょうね」
「それなら親書にして私が誰を心から想っているか伝えましょう。結婚の報告も添えて」
「……」
「ヴェラ、結婚式はちゃんとしたものをしましょう。七年前、貴女が描いた通り盛大に。ああ、そうです。白薔薇のある教会で、みなに祝福される。ひっそりと式を挙げるなんて貴女らしくありません」
ルーファスは困ったような顔で、それでも優しい眼差しを私に向ける。宝物のように過去の──忘れていると思った思い出を引っ張り出して、私の感情を揺さぶった。
「……ダメよ」
「ヴェラ」
自分の声が震えていることに気づいた。そんな些細な事を覚えているなんて思ってなかったからだ。気を許したら我慢していた涙が零れ落ちそうになる。
「……王都ではサインをするだけでいい。結婚式は好きな相手と恋愛をして迎えないと意味がないわ」
ルーファスは何か言いかけて、口を噤んだ。
酷く苦しそうな顔で私を見返す。
「ヴェラ……」
「だからアイシア領の治安が良くなって、ルーファスの気持ちが本当だと分かったら──盛大に結婚式をあげましょう」
「ヴェラ……っ。ええ、まずは貴女に好いてもらわなければいけませんし、信頼していただけるように務めて──そうしたら、貴女の隣に居られますか」
「……騎士としてじゃないわよ」
「もちろんです」
ルーファスの指先が私の手の甲に触れた。手袋を付けていないからか、強張った手は少し冷たい。手のひらを返して握り返す。
「ヴェラ、私は貴女を想っています。ずっと、ずっと前から」
その言葉に私は返事が出来なかった。
もし嘘でも「好きだ」と答えていたら、何かが変わったのだろうか。
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