村の復興 その1
アキラが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。いや、そう思っただけで改めて確認してみると、辛うじて床よりは柔らかい程度の、ボロ布を束ねただけのみすぼらしい寝具ではあったのだが……何も敷いていない床で寝たり、あるいは家から追い出され、寒空に外で震えながら寝ることも多かったりしたアキラにとってはまずまず良い方の寝心地と感じられた。とにかく、ここにアキラを寝かせてくれた誰かがいるはずだ。あの姉弟だろうか。胸の傷を確認してみると、肉体の表面を水面に見立てたみたいにブクブク泡立つ膨らみが残っていて気分が悪くなったものの(火傷はアキラにとっていい思い出ではない)、痛みはもうほぼなくなっていた。これも神に与えられた力のおかげなのだろうか。あの姉弟にも助けられたのかもしれない。
寝具から起き上がり、その部屋を探索してみる。家……というよりは小屋という感じだ。本当に雨風凌げる程度の作り。アキラの住んでいた日本ではまず見られない建築物だろう。改めて異世界に来たんだという情緒を感じるが、恐らくこれはこの世界でも貧しい部類なのだろうと思う。
特に見るべきものもなかったので、アキラはそのまま外に出た。
どんよりと重い雰囲気が周囲に漂っていた。
これは恐らく村、だと思う。
立っている小屋の数は十数軒と言ったところ。アキラがいたところが特別粗末な作りということもなく、ほぼどれも同じような外見だった。
数人見える村の住人の顔は一様に暗く、アキラはここが終わっていく途中の場所なのだと思えた。
アキラが暮らしていた両親や親戚の家の雰囲気に近い。暴力の気配こそないが、これから持ち直すことはなく、ただ転がり落ちていくだけのような、そんな諦めが漂っているように思えた。
「あら、起きたの。元気してる?」
外で何やら作業をしていたらしいあの姉弟の姉の方が、アキラに声をかけてきた。
「僕は……大丈夫だよ。ここまで運んでくれたの? ありがとう」
「バケモノみたいな回復力ね。それにあなたに貴重な救命マスクを使ったのだから、感謝してほしいわ」
「そうなんだ、ごめんね。ありがとう。かなり大事なものだったんじゃない?」
「私達が村から離れて、危険な研究所まで行った理由だったの」
「ごめん、本当に申し訳ない。お詫びというわけではないけれど、僕にできることがあったら、なんでも言って」
「そんな安請け合いをしていいのかしら?」
「僕はそのためにこの世界に来たんだ」
「この世界に?」
「うん。……あっ、これあんまり言わない方がいいことだったのかな……いや、でも神からは何も言われてないしなあ……」
「神? ねえまさかあなた神の使いだなんて言わないわよね?」
「神の使い、かあ……うーん、そう言われてみれば、そういうことにもなるのかな?」
「ふざけてるわね」
姉は呆れたように息を吐くと、信じられないという風に首を振った。
「結果的に助けられたのは感謝してる。でも、なんでリザードマンを回復させたの?」
「そうだよね。君たちから見れば考えられないことだよね。でも、僕としてはあいつを殺したくはなかったんだ。君は許せないかもしれないけれど、あの時の僕はああするしかないと思ったんだよ」
「……そう」
ミトセは心底呆れた風に息をついたが、しかし、気を取り直したかのようにまた口を開く。
「ま、別にあなたの事情に深入りしたいわけじゃないからね。今はそれでよしとしましょうか。じゃあ神の使いさん。私のお願いを聞いてくれる?」
「神の使いはやめてくれるかな……僕の名前はアキラっていうんだ。そうだ、君の名前は?」
「ミトセよ。じゃあ、ちょっと付いて来て」
アキラはミトセに案内され、小屋の一つへと向かった。
小屋の中には丁寧に敷かれた寝具の上に横たわる女がいた。恐らく村で苦労して少しでも上質な布を集めた寝具なのだろう。その女の世話に心が行き届いているのがわかる。反面、あまりに女の病状は深刻であるようで、そういった心遣いが虚しく思えてしまうほどだった。
呼吸は弱々しく、顔色は死人のように青白い。医療知識のないアキラにはどれくらい保つのかはわからなかったが、その生命があまり長くはないことだけはわかった。その寝具の脇には、ミトセの弟が心配そうに寄り添っていた。
「この人を治せばいいのかな?」
「できるの?」
「……多分。まだ僕も来たばかりだから、自分に何ができるかできないかわからないんだ。でも、僕はこの世界に誰かを助けたいからこそ、誰かの力になりたいからこそ来たんだ。手を尽くすよ」
「誰かを助けたい、か。あなたのいたところには随分余裕があったのね。……いえ、こんなことを言うべきではなかったわ。ごめんなさい、憎まれ口を叩いて。私はあなたに一縷の望みを託したの。だからお願いよ、母さんを助けて」
「気にしないでいいよ。――やってみる」
弟の隣に並び、母親の身体の上に手を差し伸べる。
病を治すにはどんな風にイメージすればいいだろうか? リザードマンを回復させた時は無我夢中だった。救命マスクだけで自分の深い傷が治ったとも思えないから、そちらも自分の治癒能力が働いたのかもしれない。どちらも意識してやったわけではなかった。それに単純な刀傷と、継続して身体を蝕む病とでは大きく性質が異なるだろう。
目を瞑り母親の身体を感じようと試みる。
身体のエネルギーが光のように認識できた。母親の身体はほとんど光を喪っている。病だけが彼女を弱らせているわけではないだろう。栄養不足もあるだろうし、長く続いた病が、彼女の生命力とでも言うべきものを乏しくさせ、寿命を先細らせている。
だとしたらまずその生命力を賦活させる必要がある。
そして、単純に持っているエネルギーの大きさで言えば、宇宙の始まりから終わりまでを含む世界を無数に生み出すという、埒外な世界創成の沼の一部を受け取ったアキラ以上の存在はこの世界にはいないのではないだろうか? それくらいにアキラは力を与えられているし、重い使命を背負っているのかもしれない。
アキラは軽く息を吐いて、その重みから来る緊張を紛らわせると、自らの生命力を母親に分与しようとした。この作業はかなり慎重に行わないといけない。針一つほどの量で充分なはずなのだ。自分は器だからこそ、沼のエネルギーを受け取っても爆発四散しなかったが、あんなのをそのまま受け取ったら普通の人間ではただでは済まないはずだ。
慎重にエネルギーを移す……一瞬、反応がないかと思ったが、次の瞬間に一気に母親の生命力が輝きを増した。いや、少しやり過ぎたかもしれない。力が入り過ぎてしまったか?
「あらこんにちはあなたはどなたですかもしかしてあなたが私を助けてくれたのかしらどうやって助けてくれたのかしらあらあらあらあら」
起き上がり早回しのような異様なテンションで壊れたように喋る母親に再び手を向け、眩しいくらいのエネルギーを発する母親の身体を必死に調整する。アキラ自身も初めてのまともな能力行使に息が乱れていたから、息を整えるのと母親のエネルギーを落ち着かせるのを同調させるようなイメージでコントロールを続けると、やっと母親の身体が放つ光も姉弟と同じような自然なものになった。
「……ええと、」
母親は自分に起こったことがわからず、戸惑っているようだった。
「お母さん!」
「母さん!」
姉弟がアキラを押しのけるようにして母親に抱きつく。気持ちはわからないでもなかったが、アキラとしては母親の治癒を続けたい。大丈夫だ、今まで母親の身体に意識を集中していたから、それを姉弟の身体が取り巻いていてもこのまま治療はできそうだ。
全体の生命力が回復したからか、病に侵されている部位が黒く視認できた。臓器が広くやられてしまっているようだ。アキラのいた現実で言う末期がんのような状態なのかもしれない。
アキラには医療知識はない。しかし、神が医者ではなく自分を選んだのにはやはり理由があったのだろう。アキラは自分の生きてきた人生の環境からなのか、人を濁らせ終わらせるものを、一つの概念として認識できていた。この場合は母親を侵す病気がそれである。だからこそアキラは黒く認識できるそれを、自らの力を持って白く塗り変えることができる。それこそがアキラが抱いた願いだったのだから。人を救いたい、そのための力が欲しかった、そのための時間が欲しかったというアキラだけの祈り。その特有の性質こそがアキラに治癒の力を与え、気付けば母親の病は完全に取り除かれていた。
「うん、大丈夫だ。治ったと思う。臓器のダメージは、与えた生命力が回されることによって、丁度傷が塞がるように治っていくだろう」
「最初、お母さんおかしくなってたよ。……ホントに大丈夫?」
弟の方がアキラに声をかけてくる。
「僕もこんな治癒をするのは初めてのことなんだ。探り探りの部分はある。もし具合が悪くなったら何度でも見るから」
「本当に身体が楽になりました。なんてお礼を言っていいやら……」
「この人を助けたのは私たちなのよ! だからこんなの当然なんだから……」
「強がらないでいいのよ、ミトセ。ハルもずっと一緒についてくれて、大変だったわね」
しばらくアキラは家族が抱き合うのを見ていた。本当に良かったと思ったし、同時にこれが本物の家族の姿なのかな、と少し寂しく思った。