姉弟
その村は滅びかけていた。
世界は黒白に塗り分けられ、それ以外の灰色なんて、存在しないように見下されていた。
初めに悪意の黒があった。狂気に塗りたくられた科学者は、その技術で数々の怪物を生み出し、周囲の侵略を始めた。異形の魔物を繰る支配者として、科学者は魔王と怖れられるようになった。
そして、それに対抗する形で正義の白が現れた。しかし、魔王に対抗する為には正義は極限まで強くあらねばならなかった。騎士と呼ばれる強者の一族が出現し、その中でも傑出した者が白の王となると、弱い者は切り捨てられた。徹底的な排外主義、魔物はもちろん許さないが、魔物に負ける弱者も許されなかった。
こうして世界の中で魔王と白王の領土は凄まじい勢いで拡大し、そして、そこから弾き出された者は決まった定住地を持てない流浪の民となった。
村に住んでいるのは、流れ者の成れの果てだった。皆、弱々しく、力なく、元から虚弱な集団だったが、しかし、今まさにその微かな灯火さえも尽きようとしていた。
「……姉ちゃん、本当に行くの?」
「行くわ。他に方法なんてないじゃない」
「でも、僕達だけで行っても、死ぬだけだ」
「だけど行かなかったら、ここで死ぬのを待つだけよ」
いかにも心細そうな弟に、姉は毅然と告げた。
しかし、姉にもわかってはいたのだった。この村にいる人間は、もう全員助からないのだと。
自分の行動が変えるのは、死に場所をどこにするかということだけだろう。
どうせ死ぬのだとすれば、みすぼらしいなりに慣れ親しんだこの村で死を待ちたいという弟の気持ちもわかる。
それでも自分は前のめりに、少しでも前に進んだと思って死にたかった。でも、一人では勇気が出ないから。今、弟を巻き込もうとしている。
「……わかったよ」
弟は震えを飲み込んで、微笑みながら言った。
姉はそんな弟を愛しく思いながら、自分もこの村の外に出る覚悟を決めた。
※ ※ ※
思えば、行きはありえないくらいにうまく行ったのだ。
姉の計画は廃棄された魔王の研究所から何か物資を持ち帰るというものだった。
もしかしたら食糧があるかもしれないし、幸運が重なれば魔王軍の誇る科学力で生み出された薬が見つかるかもしれない。
そして、姉弟はとても幸運だったのだ。顔を覆う形で装着し、回復力を高める救命マスクを発見することができたのだから。これで病に臥せる姉弟の母親の治療もできるかもしれない。
しかし、幸運とは続かないものだ。
帰り道、姉弟は尾けられていることに気付いた。そして、気付いた時にはもう手遅れだった。
相手は魔王の創り出した異形、リザードマン。鎧を装備したトカゲ人間だ。恐らく正規の魔王軍ではなく、はぐれの魔物だろう。どちらにせよ普通の人間である姉弟に敵うはずもない相手だった。
リザードマンは嗜虐心にその顔を歪め、血を吸ってきた剣が鈍い輝きを放った。