神の間 その2
どうやらもうアキラがどこか別の世界に送り込まれ、そこで神様の真似事をさせられるということは、男の中では規定事項のようだった。アキラはため息を吐きながら、仕方がなく言う。
「じゃあ聞かせて」
「俺が選んだ中でもとびきりの異端者だ。飛んだ先の世界で、それぞれ屠殺者と星母という通り名を得た」
「屠殺者……」
星母はともかく、屠殺者の方は響きからして凶悪だ。
「屠殺者が人間の頃は何にもできない気弱な屑だった。ヤツは表面上見るなら何の問題行動も起こさなかった。いつも俯いて歩いていた。高校生の頃、突っ込んでくるトラックに気付かず、ヤツはあっさりと跳ね飛ばされて死んだ。しかし、ヤツは死ぬその時までずっと考えていることがあった。人の殺害方法だ。屠殺者と呼ばれることになる男は、人が目に入る度にその殺害方法を考えるような男だった。一人につき三つの殺す方法を考えた。男が嫌いな相手なら百種類は殺す方法を考えた。しかし、その生涯で誰かを殺すことなんてなかったし、暴力を振るうことすらなかった。男の殺意はただ内面で醸成されていただけだった。こういうただの妄想野郎は幾人か選別したことがあるが、新しい世界に送っても何にもできない腰抜けで終わることもある。不発弾だ。だが、実際に人生で殺しをやっていた軍人や殺人鬼と違って現実での行動に縛られない分、新しい世界に移った時、妄想を現実にすることに躊躇を覚えないタイプは一気に開花する。屠殺者はその類だった。屠殺者は新天地で目覚めた瞬間に人を殺していた。水を得た魚さ。いや、ある種の機械のようだった。彼は殺して殺して殺した。殺し尽くした。ありとあらゆる殺人方法を試し、ありとあらゆる人間を殺した。その過程で屠殺者は殺人という概念そのものを追求しているように見えた。そして、とうとうヤツは人間をやめた」
「人間をやめたってどういうこと?」
これは自分に待ち受けている運命の話でもある。アキラは流石に聞き逃がすことができずに、口を挟んだ。
「器になった人間は人間が発想することならなんでもすることができる。時空を超越した宇宙の種を有した人間なら、時間を飛び越えることすら可能だろう。しかし時として器は、その願望を叶え続ける内に、人間の枠組みに収まることができなくなってしまう」
「一体どうなるの?」
「器によるが……屠殺者の場合はより人を殺しやすい形に変化した。いや、進化したと言った方がいいかな」
「違う生物になった」
「器の変化した姿が単純な生物と言えるかは俺にもわからん。お前のいた現実でわかりやすいように喩えるなら、屠殺者は惑星を覆う疫病のような状態になった。そして、惑星そのものを溶かし尽くし、他の惑星へと向かった。屠殺者は、宇宙を覆い尽くす病害になったんだ」
「まるで神話みたいだね」
「これを神話と思うのがお前らしいというか……お前の神への認識は歪んでいる」
「だから選んだんでしょ?」
「言うねえ。じゃあ次は星母の話だ」
「うん」
「星母になることになる女がただの人間だった頃、彼女はめちゃくちゃな色狂いだった。相手がどんな相手だろうと寝たし、その行為自体を心底楽しんでいた。若い男から老いた男まで年齢も関係なく彼女は相手になった。しかし、そこに秘められた願望に、彼女自身が気付いていなかった。気付かないままに行動に身を任せていたが、やがて自覚した。あの女はただただ孕みたかったんだよ。孕んで自らの子供をこの世に産み落としたかった。だからこそ、どんな相手とも行為に及んだ。少しでも妊娠の可能性を高くするために。少しでも色々な男の遺伝子を取り込むためにだ。しかし、この女の本命の願望は――本命の願望だけは果たされない。コイツは孕むことができない身体だった。だけど、この女は諦めなかったぜ。ただの自暴自棄とも取れるが、彼女の取った戦略は数撃ちゃ当たるだった。これまで以上にあらゆる男と、これまで以上のありえない回数を。無理に無理を重ねた結果、女は三十代で死んだが、その死に顔は幸せそうだった。タガの外れた緩みきった顔ではあったけれどな。目的に向かって諦めず、その過程を楽しんで。まあ楽しそうな人生だ。そして、俺が沼の力を埋め込んで与えられた二回目の人生は、その楽しい人生の続きになった。世界創成の泥の力を借りてるんだ、人間に元々備わってる機能である生殖能力の拡張なんて容易いさ。女は生殖を思う存分楽しんだ。そうだな……三百人くらいは産んだんじゃないか? そして、そこまでが彼女が人間のままでいられる境界線だった。星母となる女は気付きを得た。彼女なりに生殖行為とはどういうことなのかを考えた。生殖とは一人でできることじゃない。男の遺伝子を取り込んで女は孕む。彼女はこの図式を簡略化した。自分以外の何かを取り込めば、即ち自分は孕むことができると。つまり食べれば孕むのだと。そう思い込み、そして世界創成の沼の力はそれを叶えた。女は何でも食べたし何でも孕んだ。豹を食べれば豹と人間のハーフを産み、トカゲを食べればトカゲ人間を産んだ。樹皮を貪り食えば樹人を産んだ。女は食欲と性欲の化身になり、やがて星そのものを取り込んだ。そして何を孕んだと思う? 新しい世界を産んだんだ。人間の身でな。その世界は百年と保たない繰り返しの世界に過ぎなかったが、しかし、人間の身から始まった行いとしては確かに偉業だ。異形の夢のカタチとも言えるがな」
興奮して語り終えて一息吐く、なんだか人間臭いというよりはジジ臭い神に(実際、話し言葉は完全に若者の為に、老人の皮を被っているみたいで気持ち悪いのだが、その仕草は確かに爺さんっぽかった)、アキラは素朴な質問を呟く。
「二人とも星をダメにしちゃったんだね」
「まあ、俺からすればいくらでも湧くこんな世界、一つ二つダメにしてもらっても構わないんだがな。それより面白い方が大事だ。さっき話した二人は、やはり惑星スケールまでに願望を拡大していったという意味ではなかなか面白かった」
「僕にもそれくらいのスケールを期待してるってこと?」
「いや~どうだろうな。別に規模感だけを求めてるんじゃないんだ。俺が求めているのは色々な物語さ。確かに一つ一つの人生を見れば、コイツは突き抜けて面白いな、と感じることはある。だけどトータルに見た時には、やはり多種多様であることが一番飽きが来ない」
「どっちにしろ暇つぶしってワケか……」
「そりゃそうだろうよ。お前だって来世が魚とかよりは多少はマシかもしれないぜ? お前はお前のまま、人生をやり直せるんだから」
「そうか、人生を……」
そう言われれば悪くもないのかも、とちょっとだけアキラは思ってしまった。暗闇ばかりの人生だったけれど、そんな人生を過ごしたからこそ、誰かを救う機会に恵まれたのかもしれないと思えば。
「それじゃあそろそろ前置きは十分だろ?」
「……え、」
そうだ、とアキラは改めて思い至る。これから自分は世界を生む沼という得体の知れない力を宿すことになるのだと。どうなんだろう? 痛い……のだろうか? 自分は人よりは確かに痛みに慣れているかもしれない、しかし、それと痛みを自ら受け入れられるかと言えば、それはまったく別の話だった。
「今からお前に世界の沼の力を与える」
「やっぱり、そうだよね。それって痛いの?」
「まあ死ぬくらい痛いと思ってくれ。それより痛くないってことはない。じゃあ行くぞ」
神はノンタイムで動いた。肘掛け椅子から動かないままに右掌を上にして持ち上げる。それと連動するようにして、沼の一部、ほんの僅かな量が浮遊した。神の手を押し出すような動作と共に、それが僕へ向かってくる。
「ちょ、ちょっと待っ、」
待ってくれるはずがなかった。濃い紫、闇色の沼はアキラの胸に到達し、そのまま水面を潜るようにズブズブと沈み込んだ。
瞬間、アキラは身体が爆発したかと思った。人間には過大な意味不明な質量を詰め込まれた感覚。アキラはお腹いっぱい食べたらこんな気分だろうか、とどこか的外れな現実逃避をした。
こんなものを食いきれるワケがない。どうしようもない。弾ける。
アキラは跪き、荒い息を吐いた。
しかし、数呼吸の内にその痛みは落ち着いてしまった。
逆にそれがアキラには大きな違和感だった。痛みとは鈍く続くものである。こんなに大きな痛みをもたらす変異がすぐに収まるというのはかなり不気味だった。
「よし、適応したな。それじゃあ行って来い!」
適応しないパターンもあったのか、などと質問する余裕はアキラには与えられない。
唐突にアキラが立っていた床が透過し、そのまま彼はどこまでも落下していく。どこまでも。どこまでも。
落ちていく闇の色は、彼がよく被って縮こまったブランケットの中みたいに暗かった。