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神の間 その1

 ミカミアキラが雨の中で家出した時、既にかなり酷い状態にあった。彼は雨の中、呆気なく衰弱死した。

 彼が目を覚ましたところは、それまでの薄暗い路地裏とは打って変わった不可思議な場所だった。

 床は石畳に絨毯が敷いてある。薄暗い手狭な室内を、暖炉の炎が照らしている。

「……ここはどこ?」

 呟く自分の声にアキラは違和感を感じた。

 自分の手を見てみる。やはり、死んだ時とは少し違っているような……。

「16才まで成長させてある。お前のいた世界では高校一年生相当だ。頭はぽんこつのまま変わってはいないが、しかし10才よりは少しはマシになっただろう」

 そう言った男は暖炉の近くの肘掛け椅子に腰かけていた。長い白髪の爺さんで、丸眼鏡をかけ、髭もたっぷりと蓄えている。室内の感じも相まって、洋風の容貌に思えるが、彼は日本語を話していた。

「お前のわかる言語で話しているだけだ。別に何語でも対応可だよ」

 自分の考えを見透かされたような言葉に、アキラは首を傾げる。

「お前の考えなんて全部お見通しだよ。神だからな」

「そんな外見なのに喋り方は若いね」

「気になるのはそんなことなのか? この格好の方が神らしく見えるだろ? 見かけっていうのは結構大事なんだよ」

 アキラは神を名乗る男の足元近くの床を見た。そこにこの部屋で一番特異な現象が発生していた。

 それは小さな紫色の沼だった。ブクブクと泡が浮き上がってくる。それは中空にしばらく漂ってから、消えた。その泡を見ていると凄まじい頭痛が襲ってきた。

「おいおい、そんなもの見てたら気が狂うぜ」

「ここは、どこなの?」

「最初の問いに戻ってきたな。お前はどこだと思う?」

「……天国?」

「まあお前にとっては死後の世界って意味じゃ間違っちゃいないが――しかしここは天国じゃない。名付けるなら神の間ってとこか。俺がいる部屋だからな。シンプルでいいだろ?」

「これから僕はどうなるの?」

「他の世界に転生することになる」

「他の世界って? 僕が生きていた世界には戻れないの?」

「それじゃあ見てる俺が楽しくないだろ? ほら、直視はするなよ……これが世界だよ」

 男が手で示すのは、沸き立つ泡の数々だった。

「これが……世界?」

 泡を直接見つめると頭痛がするので、視界の端に映るようにしてみた。

 そうしていると、泡に宇宙が浮かんでいるのが見えた。

「こんなに簡単に弾けるのが、世界だって言うの?」

 宇宙の始まりから終わりまでが、沼から泡が浮き上がり、そして弾けるまでに詰まっているとでも言うのか。あまりにも呆気なく、あまりにも脆い。これがアキラが住んでいた世界だと言うのだろうか。

「そうだ」

 神はあっさりと頷いた。アキラの心に激しい動揺と疑念が渦巻くが、しかし、不思議と心のどこかでは神の言葉に納得している自分にも気付いた。自分が二つに分裂したみたいだった。

「どうしてだか俺の言葉通りだと思っちまうだろ? 当然だ、俺は神なんだから。神の間では真理しか語られないんだよ。お前ら人間は俺の言葉に従うしかない。頷くことしか許されてないんだからな」

 高慢な言葉に、アキラが少し身を縮こまらせると、神はおどけるように肩をすくめた。

「まあそう固くなるな。俺が決めることはお前にはどうしようもできないことなんだから、大人しく従えばいいって話だから。お前にはこれから今まで生きてきた世界と別の世界に行ってもらうが、しかしただ行けばいいってもんじゃない」

「……その世界で生まれ変わるんじゃないの?」

「違う。さっき言っただろ? わざわざ16才までに成長させたって。お前はその姿で異世界に行くんだ。俺がわざわざここにお前を呼び出したのは、ありきたりな輪廻転生のためじゃない。俺はずっとここで世界を見つめてるだけだ。神を名乗ったが、その実はずっと退屈なままの管理人生活さ。だから俺に娯楽を提供してもらう」

「無様にその世界で死ねってこと?」

「発想が暗いな……ま、生い立ちを考えれば無理もないか。違う違う。むしろ逆だ。お前にはこの世界を生む沼の力を練り込んでやる。このぶくぶく沸き立ってる紫の沼は世界が生まれる元そのものだ。だけど、この泡どもは宇宙の一つそのものなのに、俺は宇宙を超えた巨大サイズじゃないし、この泡が消えるまでに一つの宇宙が誕生して終焉してるのに、そんなに長い時間に感じないだろ? この泡は時間も空間も超越した存在なんだよ。それが生まれる元の沼の力をお前に練り込むとどうなると思う?」

「わからないよ」

「素直なガキは嫌いじゃない。だけどもっと考えろよな。宇宙の源のエネルギーを得られるんだぞ? お前は人間の身でありながら、神のように万能に振る舞うことができる」

「神のように……」

「そうだ。お前は確か新興宗教の孤児院に身を寄せていたな」

「シスターのこと?」

「そうだ。お前には学がない。常識もない。しかし、他の人間にはない特殊な世界観を持っている」

「そうなのかな」

「それがお前を器にすることの意味の一つだ。それだけじゃないがな。人間に万能の力を与えても、そいつらのやることは同一にはならない。なぜだかわかるか?」

「何をしたいかが異なるから」

「正解! いいじゃねえか。何でもできるから何でもやれと言われても、結局そいつのやることはそいつの人生に左右される。発想はそいつの生きてきた過程に縛られるからな。わかりやすいところでは犯罪だな。司法や社会制度すらも丸ごとぶっ飛ばせるくらいの力を得たとしても、普通の人間として生きていた頃の倫理観が邪魔をする。力を得てから多少アウトローを気取ったところでなあ、たかが知れてるんだよ。だから俺は選別する。初めっからぶっ壊れてるヤツをな」

「僕はそんなにおかしいかな?」

「ふん。お前の人生を今一度確認でもしてみるか? ミカミアキラ。両親からは徹底的な無関心を貫かれた。特に話しかけられることもなく、触れ合うこともなく。興味を惹こうとでもしたのか、泣き声を上げる幼いお前は熱湯をかけられた。それがお前にはっきりと残る唯一の両親との記憶だ。お前は生存するに足るだけの最低限の世話は受けていた。だが、両親は最終的にお前を捨てた。お前が不要になり、失踪した。そして、そんなお前を気にかけている人間はただ一人だった。両親がいる頃から彼女はお前のことを気にかけていて、いつまでも響き続けるお前の声に、鍵もかかっていなかったお前の家に不法侵入した。彼女は新興宗教の信者だった。家出少女や家出少年、行き場がない子供たち、虐待される子たちを小さな家に匿っていた。お前は孤児院と思っていたようだが、当然認可なんてされていない。女は誘拐まがいのことまでして子供を集めていたからな。だが、確かにお前は救いを感じた。お前の人生におけるただ一つの救済だった。女は己の宗教観を刷り込みなどはしなかったが、新興宗教の世界観を記した本自体はその家に置いてあった。お前はそれを自ら読んで、女に教えを乞うた。女はお前に喜んで教えた。幸せな時は短かった。女には金がなく、少ない食糧を皆で分け合ったが、限界が来た。女は皆に謝罪し、そして、警察が踏み込んできた。女は逮捕された。お前は警察に保護され、両親の親戚に預けられた。叔父と叔母に。だが、叔父と叔母はお前の両親を憎んでいた。その子供であるお前にも憎しみがあった。夫婦仲は元から悪かったが、お前を世話することになり、より関係性は悪化した。お前は日常的に暴力を振るわれ、そして、新興宗教の女との日々が、お前にただ一つの反抗を許した。大雨の日にお前は家を出て、そして、お前は呆気なく死んだ。――さて、お前には自分の一番の特異性が何だかわかるか?」

「…………」

 唐突に自分の人生を振り返られ、半ば呆然とそれを聞いているだけだったアキラは、その問いかけにすぐに答えることができない。

「お前には欲と呼べる欲がない。大人に押し潰される人生の中で、自分が何が欲しいかなんてわからなかった。でもだからこそ、女への憧れがお前の中に焼きついた。彼女のようになりたい。誰かを救いたいと。自分を顧みる心は脆弱で、ただただ他人への救済願望だけが残っている。これはかなり歪な状態なんだぜ」

「そんな歪な僕に、何を求めるの?」

「俺が求めるんじゃない。お前が決めるのさ。新しい世界に行って、何をするのかはお前が決めろ。そうだな……ちょっとした親切心として、サンプルを二つほど話してやるよ。お前以外に違う世界へと送り込んだ二人の話を」

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