第二話「出会い」
出会い
「おい、シロ! アヤの奴知らねえか」
男からかけられた言葉に、女は面倒くさいという感情を隠しもせず、顔をしかめながら応じました。
「知らないです。ていうか、アヤ先輩のことならサク兄の方が知ってるでしょ? それに、カヤ先輩もいるし」
「愛想ねえなあ」
ため息とともに呟かれた言葉に、女――シロは知りません、とつれなく返しました。
ここは、アメノ歴史研究所。シロの働く職場です。
シロは真っ白な若い女性でした。全身が真っ白でした。艶やかに光る髪も、輝く目も、薄く開かれた唇も、柔らかそうな肌も、つるつるに磨かれた爪まで白でした。
そんな彼女は歴史学者として、日々をフィールドワークや研究に費やしていました。
先ほど声をかけてきた、短髪にたくましい体つきをした男性――サクは彼女の先輩にあたる人物です。ですが、人間にあまり興味のないシロは、よく絡んでくる研究所の所員のことが、あまり好きではありませんでした。
ったく、どこに行ったんだぁ?と、サクはがしがしと髪をかいています。
「ん? サクたんアヤのこと探してんの?」
ひょこ、と開いた扉から顔とポニーテールの先っぽをのぞかせたのは、件のアヤの姉であり同じく研究所所員、カヤでした。
「おー。任せてたレポート、どうなったかと思ってよ」
「ざんねーん、アヤだったら“フィールドワークの帰りにかぁいいもの見つけたんだぁ~”っつって、“あと一時間したら帰るねえ!”って言って既に2時間が過ぎているところですよ?」
「あの可愛いものジャンキーめ……!」
仕事はどうした! 仕事は!と叫ぶサク。カヤはけらけらと笑っています。
「お疲れーっす、ってあれ? みんな休憩中っすか?」
さらにその後ろからやってきたのは、少し癖のある黒髪に真っ白な肌をした青年でした。
「おうヒロ坊、学校帰りか」
「おっつーヒロヒロ」
シロも、お疲れ、を込めてひらひらと手を振っておきました。
「うっす! 今日も勉強がんばったっす! こっからは歴史の勉強っすけど! あ、これシロセンパイに差し入れっす」
ずずずい、とやってきたヒロは、シロの前に飴玉を一つ置きました。オレンジと白のストライプ模様の、可愛らしい飴玉でした。
「おうこらヒロっちよぉ、あたしらのかわゆいシロたんに色目を使うたあいい度胸じゃあねえの」
「ヘッドロック!? いやいや、そーゆうんじゃねーっすよ! 一個しかもらえなかったんで、一番年の近いシロセンパイにあげたってだけっす! いでででで!」
そんなやり取りを横目に見ながら、シロは包み紙を外し、その橙色の宝石を口の中に放り込みました。
ころん。
「んまい」
「ほら!! シロセンパイの貴重なデレが見れたじゃないすか!!」
は?とシロが三人の方を見ると、
「尊い……」とカヤが口に手をやり、
「くっ……まだまだだぜ」とサクが頬を染めて横を向いて、
「シロセンパイの緩んだ顔はレアっすからね~!」とヒロが得意げになっていました。
……ナンダコレ。シロは顔をしかめました。やはり、鬱陶しい人たちです。
「別にデレてないし」
「さすがツンデレ!」
「ツンデレじゃない」
「あぁ~シロたんが今日もかわいいんじゃぁ~」
「落ち着けカヤ」
シロからしたら、どれだけ塩対応しようとも懲りずに話しかけてくるここの人間は変人としか思えません。
「ていうか、なんでこんな面倒なやつに話しかけてくるんですか」
ため息まじりにシロが問うと、三人はきょとん、としたあと。
「そりゃあ、シロセンパイのこと好きですし!」
「そうそう、かわゆいシロたんの反応が見れるだけで幸せ~♪」
「……まあ、仕事仲間だからな。かっ! カワイイなんて思っちゃいねえからな!!」
という反応をしました。シロはそんな面々が嫌いではないのですが、思わずチベットスナギツネ顔になる程度の関係だと思っていました。
「たーっだいまぁ~♪ 見てみてぇ~クマさん♪」
「アヤ!! テメエ仕事ほったらかして……かっ!」
「 “わいいじゃねえか……”サクは言葉を飲みこんだ」
「カヤぁ!!」
「ひゅー♪ この可愛いもの好きトリオめ!」
「天誅」
「ぐはあ!! なんでオレだけ!」
……付き合ってらんない。
シロは仕事に戻りました。
***
「……うん。これなら発表しても問題ないでしょう」
シロの論文を読んだ所長のアメノは、目元にしわを浮かべながら優しく微笑みました。
「シロくんは長く、この国についての研究をしているけれど……何か新しくやりたいテーマはありますか?」
論文を封筒に仕舞っていたシロは、アメノの質問に手を止めました。
「そうですね……」
思考を巡らせたシロは、ある日発掘した、『とある人物の手記』について思い出しました。
「私の手元に、『偽物の悪魔』に関する資料があるんです。……気が向いたらそれについて調べようかと」
「『偽物の悪魔』に関する資料……? 未だ謎の多い一族ではありますが。資料が見つかったという話は聞いたことがありませんね」
「歴史学者を志すより前に見つけたものなので」
アメノは少し考え込んだあと、温かく微笑みました。
「シロくんが調べたいというのなら、許可を出しましょう。……ところで、シロくんはあまり休みを取っていないようですが大丈夫ですか?」
アメノに言われて、そういえばずっと研究所に入り浸っていたな、とシロは気づきました。一人暮らしをしているシロは、あまり家に帰りません。帰っても、浴室と寝室くらいしか利用しない生活が続いていました。一人が嫌いなわけではありませんが、仕事をしていないと落ち着かないのです。
なのでシロは、仕事でしたいことはすぐに話せますが、家でやりたいことを聞かれても、何も思い浮かばないのでした。
「いえ……大丈夫です。休息はきちんと取れています」
シロの言葉に、アメノは眉を下げます。
「そうですか……なら、やりたいことができたら申請してくださいね。シロくんは有休がたくさん残っていますから」
「考えておきます」
失礼します、お疲れさまでした。そう挨拶を交わして、所長室からロビーに出ると。
「あ、シロちゃんお疲れ様。今日は帰るんだね」
今日の戦利品だという、茶色いクマのぬいぐるみを抱えたアヤと出会いました。
「ええ。家に置いた資料を取ってくるのと、ついでにシャワーでも浴びようかと」
「うんうん。シロちゃんいっつもここにいるから、たまにはおうちでのんびりするといいよぉ~」
アヤは、人よりふっくらとした頬を赤く染めて穏やかに笑いました。
それにちょっぴり和んだシロは、良い気持ちでそれでは、と別れを告げました。
「雨降ってるみたいだから、気を付けてねぇ~」
***
ばたばたばたばた。
ビニール傘が、雨を弾きます。
研究所からシロの家までは、歩いて15分ほどの距離があります。もう夜中でしたので、人はほとんどいませんでした。
ゴミ捨て場に通りかかり、そういえば次の燃えるごみの日はいつだったか、と考えたシロは驚きました。
ゴミ捨て場に、真っ黒な傘を抱きかかえた真っ黒な少女が倒れていたからです。ぱさついた髪も、苦し気に息を吐く唇も、かさついた肌も、荒れている爪までが、己と正反対に黒い少女でした。
「――『偽物の悪魔』?」
シロは呟き、思考を巡らせました。頭の中に、『とある人物の手記』――研究のことが浮かびます。それと、目の前の彼女を見比べ、逡巡し――決心しました。
そして傘を折りたたみ、黒い少女を背負いました。
***
ハッと、黒い少女は目を覚ましました。
周りを見ると、まばゆい白色の壁紙に、白い机、白い椅子、白い扉が映りました。ドアノブだけが銀色で、ぼうっとそこを見つめます。
「ここは……」
びょういん、かな? 少女は首をかしげました。彼女はゴミ捨て場で眠っていたはずなのに、どうしてこんなところにいるのでしょう。ベッド脇の机の上に、倒れる直前まで持っていた黒い傘が置いてありました。
と、ドアノブが回り、扉が開きました。
「あ」
「!」
出てきたのは、この部屋に似つかわしい、真っ白な女性でした。艶やかに光る髪も、輝く目も、薄く開かれた唇も、柔らかそうな肌も、つるつるに磨かれた爪までが、己と正反対に白い人でした。
「起きてる」
黒い少女は掛布団の裾を握ったまま、硬直しました。綺麗な女の人だと思いました。
「良かった。ぐっすり眠っていたから、起こしたら悪いなと思って静かに過ごしてたんだけど」
「あ……りがとう、ございます」
おれいなんて、いうのはじめてだ。黒い少女は思いました。対して白い女の人は、にこりと笑いました。
「いいよ、お礼なんて。私が勝手にしただけだから。あ、ここは私の家だよ」
快活に話す彼女に、黒い少女は、綺麗で、真っ白で、明るいこの人は自分とは正反対だな、と思いました。
「私はシロ。あなたは?」
「……え、と」
名前を聞かれていることは分かります。しかし黒い少女は、自分の名前を叔母に呼ばれたことがありませんでした。なので、確か自分にもあったはずだ、えーとえーと、と、十秒以上使って、やっと思い出しました。
「クロ……です」
「クロちゃんね」
「クロで、いいです……」
「そう? なら、私もシロでいいよ。敬語もいらない」
それは、あたかもシロとクロが対等であるかのような、そんな言葉でした。クロは恐れ多く感じながら、それでも逆らえず頷きました。
「それで、クロはどこから来たの?」
「……おばさんの、いえから。おいだされ、て」
迷惑そうな、しかめ面を思い出しました。それに、悲しみを覚えながら、クロは話しました。今までの生活。行くあてのない、小さな冒険。それを、シロは真剣な顔をして聞いてくれました。
「……そうか。辛かったね……」
言って、シロはクロの頭を撫でました。その感触は、温かくて、優しくて、心がぽかぽかしました。そして、クロは、涙を零しながら、その感触を噛みしめました。
「じゃあ、クロは……行くところ、ないのか」
クロがひとしきり泣いたあと、シロはそう言いました。その手は、未だクロを慰めようと、頭を撫でています。今、二人は大きなベッドに隣り合って腰掛けていました。
「うん……」
頷いたクロは気づきませんでした。その返答に、シロが笑みを浮かべていたことに。
「それなら」
シロはパッ、とクロを見ました。それを、クロも見つめ返します。
「私と一緒に、この家で暮らさない?」
クロは一瞬、シロが何を言ったのか、分かりませんでした。しばらく固まって、シロの言葉を反芻して、ようやく。理解したクロは、胸がどきどきしていることに気づきました。
温かい家。優しい真っ白な人。それと共に過ごせる毎日は、どれほど幸せなのでしょう。
「いい、の?」
そう確認する声は小さく、震えていました。けれど、そこには渇望と、新しい毎日への期待が詰まっていました。
真剣に見つめるクロに、シロは。
「もちろん。私もひとりだったから、誰かと一緒に過ごせるのは嬉しいよ」
そう言って、笑ってくれたのです。